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白雪姫と7人の王子様+αⅡ  作者: 夜月猫人
第一章・サン=フレイアの策動 前編
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第九話 離別(4)


 イアルンヴィズの森を北に出てオルフェンを抜け、街道を北上すると、はてしなく直線に続く道の途中に、西に向かって枝分かれした街道がある。


 北へ上れば王都ファザーン、西へ向かえばヴァルクの国境まで伸びる道だ。


 そこを迷いなく北上する漆黒の馬の速度は尋常ではなく、疾風を巻き起こし通り過ぎるその巨大な獣を、道行く旅人は唖然と見送るばかりだった。


 さらに北へ上り続けると、今度は三叉路が近づく。ヴァンは軽く左の手綱を引き、北西へと延びる道へとクンツァイトを誘導した。


 速度を落とさずに進路を変えた黒竜馬から見下ろす景色は飛ぶように後ろへと流れていく。しばらくは何もない荒野に、思いついたように貧相な木が立ち並ぶ場所が続いたが、やがて道の先に市門が見えた。


 逆光に黒く塗り潰された市壁の背景が赤く染まる。平地が広がる見晴らしの良い街道からは、朱を主役とした虹色の空と地平線が、視界いっぱいに見渡せた。その中央で、黒い汚れのように落ちる街の影が、急速に近づいていく。


 目指すその場所を真っ直ぐに見据えながら、ヴァンは、昨夜出会った青年の話を思い返していた。





 嵐の夜だった。


 唸るような雨風が壁を叩き、怯えるように窓硝子が震える王城で、ロバートは、若く美しい己の主人が、寒さや恐怖を感じているのではないかと気を利かせ、暖のとれる毛皮を持って寝室へと足を運んだ。


 蝋燭の光が灯るだけの薄暗い廊下を、時折閃いた雷光が眩く照らし出す。


「エクレーネ様。ロバート参上仕りました」


 扉の前で、時間を気にして静かに告げたその声は、重なるように響いた雷轟にかき消されたかもしれない。


 王妃の寝室の扉を開けた瞬間に、まず、こんな時間だというのに、正面のバルコニーに繋がる大窓のカーテンが開け放たれていたことに驚いた。


 そして、夜目の利くロバートは、その広い部屋の中央にある人影をはっきりと認識した。


 1組の男女が、睦言を呟く距離で抱き合っている。


 身体が硬直し、ロバートは息を飲んでその光景を見つめた。


 その時、窓の外で、暗雲に覆われた空が光った。同時に、部屋の中で何かが光った。


 鏡だ。

 2人を見守るように鎮座する大鏡の鏡面が、雷光を反射して輝いたのだ。


 重厚で華美な彫刻と、門外不出の技巧で作られた一枚板のグレイシアス・ガラス。王城の宝物庫に眠っていてもおかしくないようなその大鏡は、王妃が輿入れの時に、唯一持ち込んだものであるという。


 エクレーネは平民の出だと言われていたが、彼女の私物であるはずの大鏡には、一般市民が一生働いても手に入れられぬ程の値打ちがあった。 


 男の方は、エクレーネの夫であるエルドラド国王――ではない。


 痩躯に、驚くほどの長身の男は、小柄な妃を抱き締め、上から落とすような口づけを与えていた。


 そのまま主人が喰われるのではないか――そんな恐怖が走ったのは、その男が発する気配が、あまりにも異様だったからだ。


「エ、エクレーネ様!」


 思わず、そう声をかけていた。


 だが、呼ばれた当人は、無粋な従者に疎ましそうな視線を投げただけで、すぐにねだるように男の首に腕を伸ばした。ロバートの入室に気付かなかったわけではなく、気付いていて無視していたのだと分かる。


 その時、大窓が白く塗りつぶされ、真上に落ちたかと思うような雷光が閃いた。


「……っ!」


 刹那、床に色濃く映った2人の影に、ロバートは息を飲んだ。


 絡み合った男女の影はそのままに――そこに、実像にはないものが映っていた。


 男側の背から伸びた影。


 それはまるで――巨大なコウモリの羽のように見えた。


 上げそうになった悲鳴を飲み込み、ロバートは毛皮を手にしたまま後ずさった。


 数拍後、待ち構えたように鳴り響いた轟音は部屋の空気を震わすほどで、女性であれば悲鳴の一つも上げそうなものを、王妃はまるで気にした様子もなく、男に絡みついていた。


 闇に沈んだ影の正体を、もう一度確認することはできない。


 だが、その時初めてエクレーネから視線を外し、こちらを一瞥した男に、ロバートは戦慄した。


 暗闇の中で、異様な輝きを見せる漆黒の瞳。


 まるで「見てしまった者」を確認するかのようなその動作に、本能がこの場を離れろと警告した。


「た、大変失礼致しました……」


 絞り出すように、ようやくそれだけを言い置いて、顔を伏せる。


 足がすくみ、毛皮を置いて退室するのが精一杯だった。





「あの鏡には悪魔が棲んでいるのです」

「悪魔?」


 安宿の一室、部屋に一つしかない粗末な椅子に座ったヴァンは、寝台に腰を掛け、肩を落とす青年を見下ろした。


 彼はその嵐の日の後、勇気を振り絞って主人に、その男のことを尋ねたらしい。


「……エクレーネ様は、鏡の精霊とおっしゃっていましたが、あれはそんな可愛らしいものではありません」


 鏡の精霊、というのもふざけた回答だなとヴァンは思ったが、そう言ってしまえば、悪魔も同レベルだろう。


「あの嵐の夜――私の目には、確かに悪魔の翼が見えたのです」


 だが、それを語るロバートの表情は真剣だった。


「エクレーネ様が恐ろしい命令を私に下した夜、あのお方は、癇癪をおこして割った鏡の始末も、私に任されました」


 それは、フィオナが城を追われた夜の話だ。


「新月の夜、フィオナ様を森に逃がした後、城に戻った私は鏡を持ち出しました。物言わぬ鏡の割れ目から漏れ出でる恐ろしい妖気に、一刻も早く手放したい気持ちで一杯でしたが、出来るだけ足がつかないよう、城下を離れ、一つ離れた町の古い骨董屋にそれを売り払いに行きました。だが、恐ろしいことに……その鏡は、年老いた骨董屋の主人を映さなかったのです」


「何……?」

「ぞっとしました。あの鏡は美しいものしか映さないのだと……エクレーネ様がおっしゃっていたことはありましたが、お戯れだと聞き流していました。それが、本当に……」


 頭を抱え、呻いたロバートは、その時の不気味さを思い出しているのだろう。


「悪魔に、魔法の鏡か……」


 口出すと急に子供だましに聞こえるその単語に、反射的に眉をしかめる。


「あの……王女は無事なのでしょうか」


 考え込んだヴァンに、顔を上げたロバートがおそるおそる聞いてくる。


 縋るような眼差しは、回答次第では今にも泣き崩れそうな程に思い詰めていた。若くみずみずしい肌にそぐわぬ、痩けた頬の線が、彼のこれまでの苦悩と憔悴を表していた。


「あなたは、一体……」

「名乗ることはできない。だが、王女は無事だ。お前の安否を案じていた程だ。お前は安心して、父親と暮せ」


 多くの情報を与えることは、ヴァンにとっても、この青年にとっても得策ではない。おそらくロバートは、店に帰れば、店主からヴァンの情報を引き出されるだろう。何も知らないに越したことはない。


 ヴァンの言葉に、憂う藍色の瞳が、少しだけ安堵に和らいだ。


 彼に対して多くを語ることはできないが、これだけは言っておかねばならない。


「――彼女の命を救ってくれたことを、感謝する」


 席を立ち、部屋を出る前に、ヴァンは最後に心から礼を言った。





 市門を目前にした時には、もう西日は駆逐され、夜の帳が落ちようとしていた。


 昼にはフィオナが朝から帰ってこないという騒動があり、兄と顔を合わせないで済むタイミングを見計らっていたら、家を出るのが遅くなってしまった。今日は、この町で宿をとるのが正解だろう。


 かつては白壁だったのだろう、長年の雨風に晒されて灰色に汚れた市壁をくぐり、馬を進める。


 この時間では外を出歩いている者もなく、小さな町はひっそりと寝静まっていた。


 宿と思しき一軒を訪ね、馬を預けて一晩の部屋を借りる。一人でどこかに泊まるということ自体、ついぞなかった話だ。


 ヴァンの旅は、常に二人旅だった。


 兄の目を盗んで家を離れたのは、彼が引き止めようとすることが分かっていたからだ。


 だがそれでも、ヴァンは同じ道を選び取る。結果が同じでありながら、互いに傷つくだけの時間を作る必要はない。


 あるいは、それは逃げ――なのだろう。自覚を握り潰し、ヴァンは狭いが整えられた部屋の寝台に、腰を下ろした。頭を切り替え、これからの道程を思い描く。


 アースガルダ大陸からエーギルの海を挟んだ北西にあるサン=フレイア王国までの道のりは、まだ始まったばかりだ。


 このまま街道を進んでいけば、ヘイムダル大平原の入口、スヴィド共和国との国境に辿り着く。


 スヴィド共和国とアルファザード王国は、現在は友好関係にあり、警戒態勢は敷かれていない。入国するのは、さほど難しいことではないはずだ。



 スヴィド共和国は、西大陸北西に位置する、先住民族の国だ。


「千里を見渡せる」と言われる北の大平原、ヘイムダル大平原の大部分を支配するその国は、国土の8割が平原で、1割が湖だとも言われている。


 元々は明確な国境を持たない遊牧民族で、複数の部族がそれぞれのコミュニティを形成してヘイムダル大平原に先住していたが、新たに上陸した民族に淘汰されることを恐れ、部族同士が手を結び、建国して国境を引いた。


 現在は共和制を敷いており、12の部族からなる自治共和国を抱えている。


 南の国境を接するヴァルク王国とは長らく犬猿の仲にあり、地形的な国境を引きにくい平原の境界線をめぐり、度重なる侵攻を受けてきた。現在もなお、国境付近では小競り合いが続いているはずだ。



 当面のヴァンの目的地は、ヘイムダル大平原を北西に抜けた先にあるウルズ半島だ。ウルズ半島の先端は、エーギル海をフレイア島側に伸びており、最もサン=フレイア王国との距離が近い。


 密入国を企てる身としては、逃げ場のない船での行程は極力短縮したい。大陸国家との国交には消極的な姿勢を見せるサン=フレイアも、最も近い隣人であるスヴィド共和国には、それなりに門戸を開いていた。ウルズ半島とフレイア島の間に横たわるギャラル海峡には、頻繁に商船も行き来している。


 短いギャラル海峡を船で渡れば、目指すフレイア島はすぐそこだ。


 アルファザード王国とスヴィド共和国の国境から、ウルズ半島を目指すにあたって、考えられるルートは2つ。


 ヴァルクとの国境付近を駆けてヘイムダル大平原を西に横断し、西海岸沿いを北上するか、直線距離で、いくつかの自治共和国を抜けて北西に向かうかだ。


(まぁ、前者だろう)


 さほど熟考せずとも答が出る。


 いくつもの自治共和国の中心部を通り抜けるのは、それだけ足がつきやすいし、何よりヴァンの愛馬であるクンツァイトは、スヴィドでは目立ちすぎる。


 ヘイムダル大平原にのみ生息する黒竜馬は、スヴィドの民にとっては神聖な獣であり、飼い慣らされている個体がほとんど存在しないことは周知の事実だ。


 辺境を駆ければ人目につきにくく、時間も短縮できる。唯一気がかりがあるとすれば、国境を挟んで睨み合いを続けているヴァルク側の動向だが、だだっ広い平原で一騎が見つかる可能性を恐れていては、何も始まらない。


 もはや、賽は投げられたのだ。


 あの時、2人で海を渡った瞬間から、ヴァンは何があってもウィルを背負い、己の信ずる道を突き進まねばならない立場になった。


 ……それでも、あの少女の目を見て嘘をつけなかったのは、そうは言いつつ、腹がくくり切れていなかったのだろう。


 弟の行動を見越して、尖兵としてフィオナを配したのは、兄なりの苦肉の策だったはずだ。


 ヴァンの使命感とは全く別の方向から、精神的にあの『森の家』に縫い止めようとしたウィルの思惑は、分からなくはない。


 だが、それで足を止めるほど、ヴァンの覚悟も甘くはない。


 どんな手段も厭わない。


 嘘をつこうとも、この手を汚そうとも。


 そうでなければ、初めから踏み出してはいけない道だったのだから。


「――俺は、後戻りは出来ない」


 呟いた言葉は、誰に聞き取られることもなく、ただ、ヴァンの魂にのみ響いた。




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