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妖怪スカウト  作者: ニシムラユウト


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23/27

初陣

また、朝が来た。


雷牙(らいが)の特訓は続いた。


二日目。卯咲(うざく)が手を振り下ろすと、その軌道に沿って小さな氷の粒が飛んだ。


三日目。粒が少し大きくなり、缶にこつんと当たった。


「当たった」


卯咲が、小さく呟いた。


「そうだ。そこからだ」


雷牙は、それだけ言った。


四日目。唐傘が初めて手の中に傘を出した。すぐに消えた。でも出た。


「出たっす!」


「よし。もっと長く留めろ」


「はいっす!」


五日目。卯咲の一閃(いっせん)が缶を走った。細い傷だった。でも、確かに切れていた。


「やった……」


卯咲の声が、初めて震えた。


雷牙は、うなずいた。


「その調子だ。力を使いすぎるな。あと何発打てるか、常に数えろ」


「はい」


掌(てのひら)の傷は、塞がりかけると雷牙がまた切った。


「まだ出せないなら、塞がせるな」


両手のひらに、鋭い痛み。血が線になって滲む。赤い。掌の上で玉になって盛り上がる。


その傷口から布が出てくるイメージをしろ、と雷牙は言う。僕は目を閉じる。掌の痛みだけがはっきりとある。その痛みの奥に何かがいる気がした。


でも何も出ない。


その日が終わっても、僕だけまだ何もできていなかった。


家に帰ってベッドに寝転がる。両手を見る。新しい傷が、古い傷の上に重なっている。塞がりかけたところを、また切られた。赤い線が何本も交差している。


その下に何かがいる。いるのに、出てこない。


卯咲はあんなに小さな刃を出せるようになった。

唐傘は傘を留められるようになった。

僕は。


掌を握る。握っても、何も出ない。指の隙間から白いものが覗くわけでもない。


焦りはじわじわと体の内側を這い回る。急かすなと自分に言い聞かせてもそれは消えなかった。


体を起こして廊下に出る。父さんの部屋の前を通る。ドアの隙間から中を覗く。父さんはまだ同じ姿勢で眠っていた。


部屋に入って、ベッドの横に座る。


「父さん」


声をかける。返事はない。


「僕だけ、まだ何もできてないんだ」


眠っている顔を見る。


こんな時、父さんなら何て言うだろう。きっと僕のことを心配して、戦わなくてもいいと言うだろう。僕が守るから、と一人で何とかしようとするだろう。


ずっと一人で戦ってきた。一人で背負ってきた。

魏骸(ぎがい)のことを僕に隠して。仲間を斬ったことも一人で抱えて。


これは、僕が父さんを助けるチャンスなんだ。


ベッドから手を離して、立ち上がる。部屋を出る。ドアを静かに閉める。


六日目。卯咲の刃は置いてある缶を勢いよく切り裂いた。唐傘は、長い時間傘を出していられるようになった。


僕は少しだけ手ごたえを感じていた。掌の奥。痛みの記憶の底。何かが、確実にいる。


一反木綿。布の妖怪。白くて細長くて、空を飛ぶ。父さんが押さえてくれていたもの。六年間。


掌の中で、何かが動いた感覚がした。


七日目。河原に着くと、雷牙がいつもと違う顔をしていた。


「今日は最後だ」


「最後?」


「一週間やった。ここで何も掴めなかったら、やり方を変える」


雷牙が空き缶を持ち、それを宙に投げる。


卯咲が手を振る。氷の刃が飛び、缶を半分に切った。


「よし」


唐傘は目を閉じ手を握った。手の中に、閉じた黒い傘が現れる。


「開いてみろ」


唐傘がそれを開く。ぱっと広がった。雷牙がそこに拳を叩き込む。


どん、という音がした。唐傘が二歩後ろに下がる。でも傘は壊れなかった。


「盾にもなる。閉じれば棍棒。回せば撹乱。お前は守りに向いてる」


「……僕、これ、使えるんすか」


「使える。お前の武器だ」


唐傘の目が潤んだ。


雷牙が、僕の前に立つ。


「コウタ」


「……うん」


「できそうか」


僕は両手を見た。赤い線が何本も重なっている。今日の傷はまだ新しい。血が乾ききっていない。


でもその下に何かがいる。


目を閉じる。布。白い布。包帯みたいに細くて長い。


ゆっくりと引き出すように、意識を集中する。掌の奥。痛みの底。六年間、父さんが抑えていた場所。


両手の中で、何かが動いた。今度ははっきりと。


目を開ける。両手のひらから、白いものがにゅっと出てきた。


布だった。細長い、白い布。左右の掌からゆらりと伸びる。風もないのに、揺れている。


「……やったな」


雷牙の声が、少しだけ嬉しそうだった。


僕は、自分の掌から伸びる白い布を見つめていた。自分の体の一部みたいに、動かせる。指を動かすみたいに、布の先を曲げられる。


「これが、僕の中の……」


「一反木綿。お前の力だ」


布は、左右ともに五十センチくらい。まだ短い。でも、確かに僕のものだった。


掌をそっと握る。布がすっと引っ込んでいく。


でも、掌の奥で、何かがまだうごめいている気がした。


修行最終日の夜。


家に帰ると、玄関に知らない靴があった。革靴。誰のだろう。


リビングの扉を開けると、そこには安城(あんじょう)さんがいた。


「あっ。すみませんねコウタ君。勝手に上がり込んでしまって。コンから連絡が来たので、様子を見に来たんです」


ソファーに父さんが座っていた。人間の姿をしている。


父さんだ。


目を覚ましたんだ。


胸の奥が一気に熱くなる。駆け寄りたい気持ちを、足が勝手に止めた。


「父さん」


父さんが顔を上げる。青みがかった銀髪。琥珀色の瞳。いつもの姿。いつもの顔。でも、顔色が悪い。起き上がっているだけでも辛そうで、ソファの背もたれに体を預けている。


「コウタ」


声が掠れていた。


「無事で、何よりです」


それだけ言って、父さんは少し笑った。肩がわずかに落ちる。安城さんがすかさず支える。


「まだ喋らない方が」


「大丈夫です。これくらい」


父さんの目が、ふと僕の手に向いた。


掌。赤い線が何本も交差している。血は乾いている。でも、生々しい。


「その手は」


「修行」


「…修行?」


聞き返す声が、低くなる。


「誰と」


「卯咲と唐傘と、雷牙」


「雷牙…」


父さんの手が、膝の上で固く握られた。指が白くなる。安城さんがその手にそっと触れる。


「コン。後で」


「いえ。今聞きます」


父さんは僕を見る。琥珀色の目に、静かに怒りが滲んでいる。


「コウタ。あなたは何をしているのですか」


責める声ではなかった。悲しむ声だった。それが、一番、痛かった。


「強くなりたかった」


「何のために」


「父さんを助けるため」


父さんは、目を閉じた。長い、長い、ため息のような呼吸。


「僕は、あなたに普通の子供でいてほしかった」


「でも父さんは一人で戦ってる」


「それが僕の役目です」


「僕の役目じゃないの?」


言葉が、口から出ていた。止まらなかった。


「僕は妖怪の仲間を集めてた。だって僕は戦えなかったから。人間だから。それしかできないから」


僕は拳を胸に当てた。手が震えている。


「だけど僕には魏骸のかけらがある。それを使って僕が戦えるなら、僕も戦う。それは当然のことじゃないの?」


父さんは、答えなかった。


ふいに安城さんのスマホが鳴った。画面を見て、表情が変わる。


「魏骸が出た。商店街の裏。一体だ」


父さんが立ち上がろうとした。ふらついて、また座り込む。安城さんが止める。


「コン、無理だ」


「行きます」


「行けないでしょう。まだ立つのもやっとだ」


「でも」


「父さん」


僕は父さんの前に立った。


「僕が行く」


父さんが、首を振った。


「行かせません」


「行く」


その時、リビングの扉が開いた。


唐傘と卯咲が立っていた。


「僕たちも行くっす」


唐傘が言った。卯咲は無言でうなずいた。


父さんの顔が、さらに険しくなる。


「おい、迎えに来た。行くぞ」


雷牙が来た。父さんに気づくなり、にやっと笑う。


「やっと起きたか、狐」


「…雷牙」


父さんが雷牙を睨む。


「行くぞコウタ」


「待ちなさい」


制止する父さんを、雷牙が見る。


「あんたが寝てる間、こいつは毎日修行した。手のひら切って、血出してそれでもやめなかった。あんたのために強くなりたいんだと」


「親なら信じろよ。子供の成長を」


父さんが言葉に詰まった。雷牙は背を向けた。


「俺が見てる。あんたは安心して休んでろ」


手をひらひらさせながら部屋を出ていく。


僕は父さんを見た。琥珀色の目が、揺れている。


「必ず、帰ってきます」


頭を下げた。それから、雷牙の後を追った。


外は、もう夜だった。街灯の光が濡れた路面に滲んでいる。


人気のない商店街の裏手。細い路地。ゴミ箱が並んで、壁には落書き。そこにいた。


一体。巨大な猪のような、黒い塊。背中には無数の針のような毛があり、牙が二本下から突き出ている。瞼は固く縫い閉じられ、目元から血が滲んでいる。見えていないはずなのに、こちらを睨んでいるのがわかる。


「猪か。山を思い出すな」


雷牙が低く言った。


「突進が速い。真っ直ぐ来る。避けるか受け止めるかしかない」


「卯咲、唐傘」


雷牙が名前を呼んだ。


「お前ら三人でやれ。俺は見てる」


「見てるだけっすか」


「そうだ。できなきゃ、ここで終わりだ」


魏骸が前足で地面を掻く。低い唸り。そして、突進。


速い。狙いは僕だ。まっすぐ向かってくる。


卯咲が手を振り下ろした。氷の刃が飛ぶ。肩に当たるが、頑丈な毛皮に弾かれる。止まらない。


唐傘が傘を開いて前に出る。どん、と音がして後ろに押される。足が地面を滑る。


「ぐっ…重いっす!」


雷牙が、腕を組んで笑っていた。


「いいぞ。その調子で耐えろ!」


「なんであの人あんなに楽しそうなんすか!?」


唐傘が叫ぶ。


卯咲は無言で手を振り下ろした。さっきより大きい氷の刃が、魏骸の背に突き刺さる。


「コウタ!」


卯咲の合図で僕は両手を前に出した。


掌から、白い布が出る。左右からしゅるしゅるっと伸びる。


訓練の時は出すだけで精一杯だった。五十センチ。それが限界だった。


でも今は違う。布が自分の腕みたいに動く。指を曲げるみたいに、布の先を操れる。訓練で何度も何度も繰り返した動きが、体に染みついている。


魏骸が跳ぶ。牙が僕の体に届きそうになる。


僕は咄嗟に腕を振る。白い布が魏骸の体に素早く巻きつく。前脚。胴。首。相手を縛る。捕まえる。


暴れる。ものすごい力だった。布が引っ張られる。腕が抜けそうになる。


「押さえてる!」


「今っす!」


唐傘が傘で魏骸の横っ面を打つ。魏骸の頭がわずかに逸れる。卯咲が手を振り下ろす。氷の刃が魏骸の背に突き刺さる。


でも魏骸はまだ動く。抜け出そうと、引きちぎろうともがく。白い布がきしきしと音を立てる。


布を引く僕の手に、少しずつ繊維が千切れていく感覚が伝わってくる。


「うぅ…布が…」


僕は必死に歯を食いしばる。


その時だった。


布の色が変わった。


魏骸の体に巻きついたまま、染み広がるように黒く染まっていく。


その途端、黒い布は魏骸の体を強く締め上げた。動くほどに布がぎりぎりと食い込んでいく。


魏骸の唸りが、変わった。苦しそうな声。暴れる力が、弱まっていく。


「卯咲、お願い!」


言うと同時に、卯咲が両手を振り下ろした。氷の刃が二本同時に飛んで、魏骸の首と胴を貫く。


魏骸が、崩れる。黒い塊は地面に落ちて、そのまま動かなくなった。


布が、すっと白に戻った。そのまましゅるしゅると掌の中に引っ込んでいく。


「や…やったっす!」


唐傘が、息を切らしながら叫んだ。卯咲は膝に手をついている。


雷牙が、ゆっくりと歩いてきた。


「見てたぞ」


「うん」


「布の色が一瞬、変わったな」


僕は、自分の掌を見た。白い布はもう引っ込んでいる。でも、さっきは間違いなく黒かった。


「あれは、何」


「知らねぇ。けど、お前の中のものが反応したんだろうな」


雷牙は、そう言って、僕の頭に手を置いた。


「ま、初陣にしては上出来だ。よくやった」


その手は、思ったより、温かかった。


家に帰ると、安城さんが玄関で待っていた。


「お疲れさまでした」


「ただいま」


「雷牙が映像を送ってくれたんですよ。今、コンが見ています」


リビングに入る。唐傘と卯咲も続いて入ってきた。父さんは、ソファに座っていた。パソコンの画面を見ている。その表情は真剣だった。


画面には、さっきの戦いが映っていた。雷牙が撮ってくれてたんだろう。


見終わって、父さんは僕に言った。


「コウタ」


「うん」


「その手を、見せてください」


僕は、掌を差し出した。赤い線が何本も並んでいる。


父さんは僕の手を取った。冷たい手だった。そのまましばらく、何か考えていた。


「映像を見て、目に見えて攻撃力が上がった瞬間がありました」


「うん」


「布の色が変わったようにも見えました」


「うん」


「力を使い続ければどうなるかわかりません。……それでも戦うのですか」


父さんの瞳が僕を見る。光を宿した、吸い込まれるような琥珀色だった。


「……それでも戦う」


僕ははっきりと答えた。


父さんは何も言わずに、そっと手を離す。そして小さく息を吐いた。


「話し合いは無駄みたいですね」


雷牙の方をちらりと見た。雷牙は「ん?」と首を傾げた。


以前、雷牙が父さんに言ったセリフだった。それを、僕にそのまま使ったのだ。


「驚きました。強くなりましたね。コウタ」


その声は静かだった。でもはっきりと僕を認めていた。


唐傘がニンマリとした顔をしている。卯咲は無表情のまま、目だけがわずかに細くなった。二人に「やったね」と褒められた気がした。


僕は父さんを見た。ほんの少しだけ笑っていた。声を出さないいつもの静かな笑い方だった。

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