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妖怪スカウト  作者: ニシムラユウト


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22/27

修行

いつも通りの朝だった。


白い、見慣れた天井。カーテンの隙間から光が差し込んでいる。もう昼に近いのかもしれない。


体を起こす。枕元の時計は十時を回っていた。


廊下に出る。父さんの部屋の前を通る。ドアの隙間から中を覗くと、父さんはまだ同じ姿勢で眠っていた。呼吸に合わせてシーツがわずかに動く。それだけが、生きている証みたいだった。


昨日のことを思い出す。魏骸(ぎがい)。雷牙(らいが)の言葉。起きない父さん。


ああ、やっぱり現実なんだ。胸の奥が、ぎゅっと痛くなる。


台所に行くと、誰かがいた。


卯咲(うざく)が、流しの前に立っていた。手に包丁を持っている。まな板の上には人参。切りかけのまま、止まっている。


「卯咲?」


振り返る。いつもの無表情。良かった。だいぶ元気そうだ。


「おはようございます」


「おはよう。……何してるの?」


「カレーを」


「カレー?」


「昨日、作れなかったので」


そう言って卯咲はまた人参を切り始めた。包丁の音が一定のリズムで響く。

トントントン。


昨日行った商店街。みんなで買った玉ねぎと人参、安くなっていた牛肉。


あの時は、こんなことになるなんて思ってもいなかった。


「唐傘も呼ぼうか」


「そうですね」


玄関に行くと、傘立に唐傘がいた。声をかけると、ポン、と人間の姿になった。


「カレーっすか。僕も食べます」


その声は元気がなかった。


三人で食卓を囲んだ。


カレーは普通の味がした。


食べながら、卯咲がぽつりと言った。


「あの時、何もできませんでした」


顔を上げる。卯咲は下を向いたまま、スプーンを動かしていた。


「氷壁を何枚も出して。それで妖力切れを起こして。自分の体に何が起きているのかすら、わからなくて」


「卯咲……」


「山では、戦ったことがなかったので。妖力の残量なんて、考えたこともなくて」


スプーンが皿の縁に当たって小さく鳴った。


「コウタを守れませんでした」


唐傘が、黙ってカレーを口に運んでいる。いつものおしゃべりは、鳴りを潛めていた。


僕は、何と言えばいいのかわからなかった。卯咲は悪くない。僕が弱いから、守られるしかなかったんだ。


「次は、大丈夫だよ」


それだけ言うのが、精一杯だった。


卯咲は小さくうなずいた。


でも、本当は大丈夫じゃなかった。


僕は、二人に隠していることがある。それを隠したまま「大丈夫」なんて、言えた義理じゃない。


「二人に、話しておきたいことがあるんだ」


カレーを食べる手を止めて、僕は言った。唐傘が首を傾げる。卯咲は無言で僕を見た。


「僕の中に、魏骸のかけらがある」


唐傘の手からスプーンが落ちた。カチン、と音を立てて床を転がる。


「……え?」


「父さんから聞いた。でも、なぜあるのか、いつからあるのかは僕にもわからない」


卯咲は動かなかった。ただ、目だけが少しだけ大きくなった気がした。


「今までは父さんが術で抑えてくれてた。だから僕は、魏骸が見えなかった。普通に暮らせてた。でも父さんが倒れて、今は不安定な状態になってる。……それは、雷牙が言ってた」


唐傘が床に落ちたスプーンを拾う。手が震えているのが見えた。


「僕の中に魏骸がいる。これはもう、二人に隠しておけないことだと思った」


唐傘の顔が、強張っている。卯咲は目を閉じて何かを考えていた。

言ってしまってから少しだけ後悔した。


二人は、しばらく何も言わなかった。


やがて卯咲が口を開いた。


「……コウタは、コウタのままです」


僕は、首を振った。


「でも、魏骸になるかもしれない」


「それは、私たちも同じです」


卯咲は、僕から目を逸らさなかった。青い瞳の中で、静かに雪が降り続いている。


「私たちだって、魏骸になるかもしれません」


沈黙が落ちた。台所の換気扇の音だけが、やけに大きく聞こえた。


「僕もっすよ」


唐傘がスプーンを置いた。


小さな声だった。いつもの元気な声じゃない。


「僕だって妖怪っす。いつどうなるかわからない。魏骸になるかもしれないのはコウタだけじゃないっす」


卯咲が唐傘を見た。唐傘は、少しだけ笑った。それから僕の方を向いた。


「でも、先のことなんてわかんないっすよ。明日、僕がなるかもしれないし、コウタがなるかもしれない。どっちもならないかもしれない」


声は笑っていなかった。いつも軽口ばかり言っている唐傘が、初めて見せる顔だった。


「……でも、もしコウタが魏骸になりそうになったら、僕が必ず止めるっす。卯咲もいるし雷牙もいるし父さんもいる。僕一人じゃ心もとないけど四人がかりならなんとかなるっす」


唐傘は、まっすぐに僕を見ていた。


「だから、大丈夫。今は気にしなくていいんすよ」


僕は少しだけ息を吐いた。肩から力が抜けていくのがわかった。


「……そうか。きっと、大丈夫だよね」


言ってから、少しだけ笑えた。僕は、一人じゃない。それだけで大丈夫な気がした。


僕は、二人を見た。


ずっと、モヤモヤしていた。父さんからかけらのことを聞いた時から、二人に言うべきかどうかずっと考えていた。言えば怖がられるかもしれない。距離を置かれるかもしれない。そう思って、言えなかった。


でも、言ってよかった。


卯咲が、静かに口を開いた。


「話してくれて、よかったです」


僕は、うなずいた。


その時、スマホが震えた。


画面を見る。知らない番号。でも出てみると聞き覚えのある低い声だった。


『今から来れるか』


雷牙だった。


『地図を送る。唐傘と卯咲も連れて来い』


「うん」


電話は、それだけですぐ切れた。


雷牙が指定した場所は、歩いて十五分くらいの人気のない河原だった。


川沿いの土手。草は枯れて、水は冷たい色をしている。冬の河原は、風が強くて耳が痛いくらいだった。


行くと、もう雷牙がいた。土手の上に立って、こちらを見下ろしている。


「遅ぇぞ」


「ごめん」


「まあいい。それより、今日からお前らを鍛える」


雷牙は、僕たち三人を見回した。


「あの狐が寝てる間、俺がこの町の魏骸を片付けてる。別に俺一人でもできる。けどな、お前らにも戦力になってもらう。手が足りねぇのは事実だからな」


そう言って、卯咲を見た。


「まずは雪女からだ」


卯咲が、びくりと肩を震わせた。


「お前は力の使い方が下手すぎる。威力だけ高くて、すぐ切れる。山で暮らしてただけあって、戦闘はド素人だ。無駄が多すぎる」


何も言わなかった。でも拳をぎゅっと握っているのが見えた。


「まずはあれだ」


雷牙が河原に空き缶をいくつか並べた。五メートルくらい先に。


「あれに氷の刃を当てろ」


「刃…ですか」


卯咲は缶を見る。


「壁は守り。刃は攻め。壁は質量がでかすぎる。刃なら、ずっと少ない力で済む」


卯咲は、掌(てのひら)を前に出した。指先が白く光る。空気が、きぃんと鳴る。


でも、何も出なかった。


「…っ」


卯咲の顔が強張った。掌を握り直す。もう一度前にかざす。指先が光る。でも氷は出なかった。


「壁は出せるんだろ」


「……はい」


「大きいものはイメージしやすい。だが刃のように小さいものは、輪郭を掴むのが難しい。お前は今まで、雑に大きいものだけ作ってきたんだ」


卯咲は、唇を噛んだ。


「もう一回だ」


卯咲は何度も試した。十回。二十回。指先が光るたびに僕は息を止めて見ていた。でも空気が凍るだけで刃は出ない。


目に見えて集中力が切れていくようだった。それだけ大変なのだろう。


「次、ビニ傘」


「素材で呼ばないでほしいっす!」


唐傘が、声を張り上げた。雷牙は面倒くさそうに片眉を上げた。


「じゃあ何て呼べばいいんだ」


「唐傘っす! ちゃんと名前があるっす!」


「……唐傘な」


「そうっす!」


「お前は付喪神だろ。物から妖怪になった。なら、元の姿から形を変えられるはずだ」


唐傘を見る。


「お前の本体は古い傘だろ。そこから変化できるレパートリーはいくつある?」


「人間と、唐傘おばけの二種類だけっす……」


雷牙はふむ、と何か考えていた。


「じゃあその二種類を融合して、『傘を持っている人間の姿』をイメージしろ」


唐傘は、きょとんとした顔をした。


「人間の姿になっても、武器がなければ戦えない。体当たり一本で戦うつもりか?お前の姿は武器と使い手、両方になるんだ」


雷牙は、唐傘の頭のてっぺんから爪先までをじっと見た。それから、当然のことのように続けた。


「傘を武器に指定したのは手っ取り早いからだ。お前の頭にはもう傘のイメージがあるからな」


「やってみるっす」


唐傘は、目を閉じた。手を握る。力を込める。しばらく何も起きなかった。


「……出ないっすね」


「もっとイメージしろ。お前の本体は何だ」


「傘っす」


「お前は、どんな傘になりたい」


「強い傘になりたい。どんな攻撃でも折れないような。どんな敵でも倒せるような」


「そうだ。それをイメージしろ。手の中に呼び出せ」


唐傘は、何度も目を閉じた。手を握っては開き、握っては開き。でも何も出なかった。


「ダメっす。全然できないっす」


「初めから出来たら苦労しねぇよ。何事も継続だ」


唐傘は自分の手をじっと見つめた。それからまた目を閉じた。


二人が修行を開始してから、三十分が経った。唐傘はへたり込んだ。卯咲は膝に手をついて肩で息をしている。


「はい、一旦休憩。二十分後にまた始めるぞ」


雷牙がそう言った。卯咲と唐傘は悔しそうに下を向いた。


「それじゃ次は」


言いかけた雷牙がふいに顔を上げた。


「……魏骸が出たな」


「え?」


「倒してくるから、少し待ってろ」


そう言って、雷牙は走り出した。あっという間に土手を駆け上がって、見えなくなった。


「パワフルっすねぇ」


唐傘が、ぽつりと言った。


「山育ちだからかな」


僕がそう言うと、唐傘が笑った。でもその笑い方は、いつもの元気がなかった。


「頑張らないとっすね」


「うん」


その声は、自分に言い聞かせているように聞こえた。


十分ほどで雷牙が戻ってきた。服が血だらけだった。


息を呑む。返り血だろうか。赤い染みが袖からも裾からも広がっている。


僕が見ていると、雷牙は面倒くさそうに言った。


「すぐに消える」


確かに、染みがじわじわと薄くなっていく。


雷牙は僕の前に立った。


「次、お前だ」


心臓が、跳ねた。


「コウタ。お前の中に魏骸がいるってのは、悪い話ばかりじゃない」


「……どういうこと?」


「考え方によっちゃあ、その力を使ってお前自身が戦うことだってできる。俺たちのようにな」


僕も戦える。その言葉が、胸に落ちた。


「安城(あんじょう)の話だと魏骸ってのは元になってる妖怪がいるんだよな」


「うん」


「なら、当然お前のかけらにも元の妖怪がいるはずだ」


僕は、自分の胸に手を当てた。ここに、いる。何かの妖怪が。


「お前の中にあるもの、確認させろ」


雷牙は、僕の胸に近づいた。鼻をすんと鳴らす。


「ふむ……」


少し考える。


「なに?」


「一反木綿だな」


「一反木綿」


僕は、家で読んだ妖怪図鑑のことを思い出した。一反木綿。布の妖怪。細長い白い布の姿をして、空を飛ぶ。人を包んだり絡め取ったりする。確かそんなようなことが書いてあった。


「じゃあ始めるか」


雷牙は僕の右手を取った。爪を立てて、掌に当てる。


でも、そこで手が止まった。


「……どうしたの?」


「いや」


雷牙は少し考えて、それから小さく息を吐いた。


「後であの狐に怒られるだろうな」


心配しているんだ。傷つけることを。


「大丈夫。僕の意思だって言うよ」


雷牙は、僕の顔を見た。それから、ふっと口元を緩めた。


「そうか」


爪が、すっと掌を走った。


「…っ」


鋭い痛み。血が線になって滲む。赤い。掌の上で玉になって盛り上がる。


「その傷口から、布が出てくるところをイメージしろ」


「布?」


「白い布だ。包帯みたいに細く長い」


痛みが、じんじんと広がる。掌の上の血が、夕方の光を反射している。


布。布。白い布。包帯みたいに細くて長い。


目を閉じる。掌の痛みだけがはっきりとある。その痛みの奥に何かがいる気がした。


でも。


何も出ない。


「……出ない」


「もう一回だ」


目を閉じる。布。白い布。掌の奥。いるはずだ。いるのに。


やっぱり何も出ない。


「焦るな。お前は今まで、こいつを封じられていた。六年間だ。いきなり出せと言われて出るもんじゃない」


雷牙の声は、思ったより静かだった。


「……うん」


すっかり、日が暮れた。


「今日はもういい。明日もやるぞ」


その日はそれで終わった。


帰り道、僕は自分の掌を見ていた。かさぶたができかけの傷。その下に、何かがいる。でもまだ出てこない。


家に帰って父さんの部屋を覗いた。父さんはまだ眠っていた。


「父さん」


声をかける。返事はない。


「僕、まだ何もできないや」


布団の横に座って父さんの顔を見た。眠っているように穏やかな顔。本当に、神様みたいだ。


「でも、明日も行くよ。強くなりたいから」


そう言って、僕は部屋を出た。

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