↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妖怪スカウト  作者: ニシムラユウト


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/27

日常のおわりに

「ぶっ殺してやる。覚悟しろよ、化け物」


その言葉が終わるか終わらないかのうちに、男の体が消えた。


いや、消えたんじゃない。速すぎて目が追いつかなかっただけだ。


「コウタ!」


唐傘の声がした。と同時に、その体が僕と男の間に飛び込んできた。


鈍い音がした。男の拳が唐傘を打つ。唐傘の体が地面に叩きつけられ、そのまま傘の姿に戻って転がった。


「唐傘!」


動かない。そのまま、ぴくりともしない。


男は、地面の傘を見た。まるで邪魔なものが消えたとでも言うように。


その時、空気が凍る音がした。


きぃん。


「コウタ、下がって」


卯咲(うざく)だった。


掌(てのひら)を前にかざして集中する。指先が白く光る。今までとは違う。地面がみしりと鳴った。男の四方から、氷の壁がせり上がる。まるで籠のように、男を中に閉じ込めていく。さっきまでとは比べものにならない分厚さだった。


「…氷か。さっきから思ってたが」


中から声がした。閉じ込められているのに、その声はよく通った。それどころか、壁の向こうで笑っているみたいだった。


「無駄なんだよ」


一拍置いて氷の壁が四方に勢いよく砕けた。粉々になった破片が夕方の光を反射して、きらきらと舞う。きれいだった。きれいなのに、怖かった。


卯咲が、もう一度掌を突き出す。でも何も出なかった。


「……っ」


指先が震えていた。掌を向けたまま。でも何も起きない。氷が出ない。出そうとしても、何も。


「卯咲?」


卯咲は、膝をついた。


がくりと、その場に崩れるように。息が荒い。顔色が、悪い。具合が悪そうだった。


「最悪な気分だろ?」


男が、卯咲を見下ろす。


「頭が割れるみたいに痛いだろ。耳の奥でずっと誰かが囁いてるみたいにうるさい。目の前がぐるぐる回る。体の芯から力が抜けて、意識を保つだけで精一杯。呼吸も、まともにできない。……まるで、この世の終わりが全部来たみたいだよな」


静かに言った。


「妖力切れだよ。短時間で威力の高い氷壁を生み出し続けたら、そうなる」


卯咲は、男を見上げた。何も言えなかった。言えなかったんじゃない。わからなかったんだ。何が起きているのか。自分の体に、何が起きているのか。


「俺は戦うとき、常に妖力の残量を計算してる。勝負もつかないうちに力切れするとはな」


男の目は冷たかった。でも、どこか興味深そうでもあった。


「……さてはお前、戦ったことがないな?」


そう言って、口元をわずかに緩めた。


卯咲は、答えなかった。答えられなかった。


膝をついたまま自分の手を見ている。瞳が揺れていた。


卯咲の顔に、初めて焦りが浮かんでいた。いつも無表情な彼女が、今は明らかにうろたえていた。息が浅い。肩が、小さく上下している。苦しそうに、口元を押さえている。


僕は、その姿を見ていることしかできなかった。


唐傘は、傘のまま転がっている。卯咲は、膝をついて動けない。僕は何もできない。守られるだけだった。卯咲に守られて、唐傘に守られて。僕はただ、そこに立っているだけ。


男が、僕のほうへ歩いてくる。


「いつまで人間のふりをしているつもりだ?」


眉が、苛立たしげに歪んだ。


「腹かっ捌いて、中身を引きずり出してやる」


僕は声も出せなかった。


足が、動かなかった。


その時だった。


「コウタ!」


声がした。


路地の入り口に、父さんが立っていた。紺色のダッフルコート。青みがかった銀髪。肩で息をしている。走ってきたんだ。


僕を見た。それから、男を見た。


その瞬間、空気が変わった。


ふわりと風が吹いた。いや風じゃない。もっと静かなもの。世界が、静かになった。


男が足を止めた。


父さんは一度だけ大きく息を吐いた。それから、低い声で言った。


「……離れてください。野蛮がうつりますよ」


父さんの声は静かだった。でも、その静けさが怖かった。怒りを全部、内側に押し込んでいるみたいな静けさだった。


男は、父さんを見た。


「あんたもこの子の仲間か」


「はい」


「人間を守る妖怪がいるとは」


男の声に侮蔑(ぶべつ)が混じった。


「俺が住む山で化け物が出た。原因を追っていたら、この町にたどり着いた」


「そうしたらこの子供を見つけた。妖怪に守られる人間。……おかしいと思わないか? 」


父さんは、少し考えるように間を置いた。


「ええ、思います。ですが、あなたには関係のないことです」


笑った。だけど目は笑っていなかった。


男の視線が、僕を射抜いた。


「そいつは人間じゃない」


父さんの指が、わずかに動いた。


「あんたが助けようとしているその子は、化け物だ。俺にはわかる。俺の鼻は、化け物の匂いを嗅ぎ分ける。そいつの中に、とんでもないもんが眠ってる」


「違います」


はっきりと言った。


「コウタは、人間です」


「騙されてるな、あんた」


男は、嘲笑(あざわら)った。


「化け物に騙されてる。化け物が人間のふりをして、あんたを利用してるんだよ。妖怪は純粋だからな」


「違います。あなたは何も知らない」


「知ってるさ。化け物は、化け物だ」


「俺は、そいつを殺す。それが俺の正義だ」


「……正義、ですか」


父さんが、呟いた。


「あなたの正義は、一方的ですね」


あきれたような声だった。


「……話し合いは無駄みたいだな」


男が、静かに言った。


「ええ。残念です」


父さんが、笑った。


コートのポケットから小さな機械を取り出した。それを自分の耳に付ける。


「魏骸(ぎがい)との戦闘ではありませんが、規則なので」


そう言って、また僕のほうをちらりと見た。いつもの困ったような笑みだった。

こんな時でも。こんな時なのに。


それから、男のほうへ向き直った。


「周りには誰もいません。あなたの正義とやら、全力で見せてください」


僕は知っている。化生対策室(けしょうたいさくしつ)のひとたちが、裏で動いてくれている。この資材置き場に、誰も入れないように。誰にも気づかれないように。父さんが戦う時は、いつもそうだ。


りん、と鈴の音がした。どこからだろう。父さんの周りに、白い光の粒が浮かび始めた。蛍みたいに。雪みたいに。ゆっくりと、無数に。


空気が、ふわりと揺れた。父さんの銀髪が、風もないのに持ち上がる。コートの裾が、はためく。


「父さん……?」


父さんは、目を閉じていた。穏やかな顔。祈るみたいに。 体が、光に包み込まれていく。


ダッフルコートが、白い装束に形を変える。神主の衣装に似た、清らかな白。銀髪が光を受けてきらめき、頭のてっぺんから狐の耳が現れる。それに、さっきの小さな機械がついている。ボディカメラだ。化生対策室のひとたちと、情報を共有するための。


背中には、大きな白い尻尾が一本。ゆっくりと弧を描いて揺れている。腰には、青い鞘の刀。手がその柄にそっと添えられる。


光が、ゆっくりと収まっていく。


そこに立っていたのは、狐だった。いや人だった。どちらとも言えなかった。

人のかたちをした、神様みたいな何か。

白い装束。白い耳。白い尻尾。

琥珀色の瞳だけが、父さんのままだった。


僕は、息を呑んだ。


この姿を、僕は知っている。六歳の時。魏骸に襲われていた僕を、父さんが助けてくれた。あれから六年。ずっと見ていなかった。忘れていたわけじゃない。こんなに、きれいだったなんて。こんなに、かっこよかったなんて。


これが、父さんの本当の姿なんだ。


男が、嗤(わら)った。


「なら、俺も本気で行く」


父さんは少しだけ笑った。首をかしげる。耳の先で、紙垂(しで)がさらりと揺れた。


「どうぞ?」


その瞬間、男の体が弾けた。


黄色い光。ビカビカのまぶしすぎる光。父さんの白い光が静かな水面なら、これは雷そのものだった。点滅する。明滅する。夜の街を切り裂くネオンのように。もう、目を開けていられない。


光が破裂した。


ドカーンという音が、腹の底に響く。


光の中で、男の姿が変わる。


牙が伸びる。爪が伸びる。頭の上に虎の耳。背中から虎の尻尾。体の周りに、雷が走る。着ていた服が中国風のゆったりとした装束に変わる。


虎だった。


それも普通の虎じゃない。雷を纏った虎だ。


男が動いた。


速い。さっきまでとは比べ物にならない。虎の姿になってから、男の動きは桁違いだった。爪が空を裂く。雷が走る。地面が焦げる。


でも、父さんは動かなかった。


ギリギリまで引きつけて刀を立てる。爪と刀がぶつかる。火花が散る。体が、わずかに後ろに滑る。踏ん張った。受け流した。


「……重いな」


呟く。でも、表情は変わらない。冷静だった。


男が連続で爪を振るう。上下、左右。斬撃が父さんを囲むように走る。それを刀で受け、いなしかわす。一歩も引かない。でも、攻めもしない。


「守ってばかりだな」


男が笑う。


「その程度か、狐」


答えなかった。


男が大きく踏み込む。渾身の一撃。爪が父さんの胸を狙う。速い。避けられない。


その瞬間、父さんの姿が消えた。


いや、消えたんじゃない。狐火(きつねび)だ。青白い炎が、男の視界を遮る。


「何っ」


男が目を細める。その一瞬。


父さんは、男の死角にいた。


真横から、刀が閃(ひらめ)く。男が反応する。でも遅い。刀が男の脇腹を掠める。赤い血が飛ぶ。


「っ」


男が後ろに跳ぶ。でも父さんは追う。


父さんは、下から斬り上げる。


男が爪で受ける。体勢が崩れる。父さんはすかさず、蹴りで男の体を打つ。


男がよろける。


「…多才だな」


男が笑った。でもその笑みは苦い。


「炎に、刀に、蹴りってか。狐ってのはみんなそうなのか?」


「さあ」


「僕だけじゃないですか」


父さんは、刀を構えた。


「ひとつ、良いことを教えましょう」


男の眉が、ひそんだ。


「あなたの戦い方は、獣と同じだ」


何も言わなかった。でも、目がわずかに揺れた。


「本能のまま、ただ強いだけ。それも強さではあります。ですが」


父さんの声は、静かだった。


「僕は、命をかけて魏骸と戦ってきた」


刀が青白い炎を纏った。鞘から滲み出るように、静かに刀身を這い上がっていく。夕暮れの資材置き場に、青い光が揺れた。


「仕掛け、駆け引き、殺し合い。あなたの戦いには、それがない」


男の口元が歪んだ。牙が、のぞく。


「……ふざけるな」


低い声だった。地の底から響くような。


僕は、息を呑んだ。男の怒りが、空気を震わせている。さっきまでの余裕は、もうどこにもない。


でも父さんは、動じなかった。


「強いだけでは、勝てない」


目が、静かに光った。


「これで、終わりにしましょう」


父さんが刀を振り上げた、その時だった。


ふいに空気が、軋(きし)んだ。


資材置き場の奥。夕闇の向こう。何かがいた。


黒い靄(もや)。人の形をしている。でも人じゃない。目が縫い閉じられていて、表情はわからない。笑っているようにも見える。


「……魏骸」


父さんが呟いた。


「まさか、このタイミングで」


あれが、魏骸。


喉が、詰まった。


見える。なぜ。


父さんが封じてくれたはずなのに。


魏骸が、動いた。


冷たいものが、僕の腹を一気に切り裂いた。


「コウタ!」


遠くで、父さんの声が聞こえた気がする。


僕の体から力が抜けていく。膝が折れる。地面が近づいてくる。冷たい。地面が冷たい。腹が冷たい。何かが抜けていく。ああ、これ、僕の中身かな。


視界が暗くなる。


父さんの声が、遠くなる。


ああ、父さん、ごめん。


僕は、意識を手放した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。