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妖怪スカウト  作者: ニシムラユウト


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六年前

安城(あんじょう)さんは急かさなかった。マウスに手を添えたまま、僕を待っていた。


「……見ます」


声が、少し掠れた。


安城さんは、ゆっくりとクリックした。


画面が暗転する。それから、灰色の映像が流れ始める。


揺れる視界。走っている。カメラは父さんが着けているものらしい。

息遣いが聞こえる。足音。風を切る音。


『反応、前方三十メートル。魏骸(ぎがい)です』


別の声が聞こえる。化生対策室(けしょうたいさくしつ)の人間だろうか。若い男だ。


映像の中で父さんが、何かを斬る。目にも留まらぬ速さで。

灰色の靄(もや)が、煙のように消える。


『反応消失しました。お疲れさまでした』


オペレーターが言う。父さんの息が、少しずつ落ち着いていく。

カメラが、周囲を映す。夜の公園だ。街灯の光。ベンチ。砂場。ブランコ。


父さんがカメラを外そうとする。ふいに後ろで、誰かが苦しみ始める。


『っ!』


映像が回る。そこにもう一人いる。父さんの仲間だ。

それが妖怪なのか人間なのか、僕にはわからない。

でも父さんと一緒にいる。だから、きっと妖怪なんだろうと思う。


『テン!』


父さんが叫ぶ。


テン。


それが、仲間の名前だった。


『大丈夫ですか!しっかりしてください!』


いつもの落ち着いた口調じゃない。切迫している。


『反応が……反応が……』


オペレーターが言う。何の反応か、僕にはわからない。


テンと呼ばれた仲間が顔を上げる。その目から、血が流れている。

涙みたいに。頬を伝って顎を伝って、地面に染みを作っていく。


彼の手から、何かが落ちる。


…鎌だ。


乾いた音を立てて、地面に転がる。


『まさか』


父さんの声が震える。映像が揺れる。


仲間の体が歪み始める。輪郭が滲む。灰色の靄が彼の体から溢れ出す。


それまでは、はっきりと映っていた。その姿も、足元の黒い染みも。

でも靄が溢れ出した瞬間から、映像の中で彼の輪郭がぼやけ始めた。

それはさっき、父さんが斬った魏骸と同じ色だった。


『やめろ……』


消え入りそうだった。あの父さんが、こんな声を出すなんて。


『やめてくれ……』


靄を見上げながら半歩、また半歩下がる。父さんも、怖いんだ。


カメラ越しの映像では、その姿はぼやけている。

灰色の、動物のような形をした何か。

輪郭が定まらない。でも、父さんにはそれがはっきりと見えている。


野生の獣みたいな叫びが、辺りに響きわたる。父さんが反射的に刀を構える。

その手が震えている。


魏骸が、父さんに向かってくる。


一撃目。刀で受ける。重い。体勢が崩れる。


すぐさま二撃目が来る。


咄嗟に身を低くしてかわす。そのまま、下から上へ刀を振り上げる。


刃が、靄を切り裂く。

とどめを刺せる。そう思った。


でも、父さんは刺さなかった。


一瞬、手が止まった。


その理由を、僕は知っていた。


魏骸は、闇に消えた。


映像が乱れる。画面にノイズが走る。音声が途切れる。


『っ、カメラが…』


オペレーターの言葉が、途切れ途切れに聞こえる。


さっきの衝撃でカメラが壊れ始めたらしい。映像が何度も乱れる。色が反転する。音が歪む。


それでも、映像は続いていた。

父さんが魏骸を追う。夜の住宅街。見覚えのあるアパートの一室。


僕が昔、住んでいた家だ。


映像が揺れる。カメラが壊れかけているからだ。でも、映っている。

開きかけた玄関の扉。倒れている人のようなもの。動かない。母さんと、その交際相手だ。


映像は、そこで一度止まる。ノイズが走る。音声が途切れる。でも、また動き出す。


画面の端が黒く染まっている。血だ。床にも壁にも飛び散っている。

誰のものかはわからない。映像が荒くて細かいことは見えない。

でも黒い染みが、そこら中にある。


部屋の奥に、子供が倒れている。

僕だ。六歳の、僕だ。今よりもずっと小さい。


そこにゆっくりと近づく影。灰色の靄。魏骸だった。


父さんが、真っ直ぐに僕のところへ向かう。


白い袖が、視界の端に映る。


刀が閃く。乾いた音が二つ、続けて聞こえる。


ガシャン、ガシャン。


僕は知っている。あの音だ。


魏骸の腕が、鎌ごと床に落ちる音。


映像では、靄が揺れるだけ。


でも、音は聞こえる。


魏骸が後ずさる。灰色の靄が、少しだけ遠ざかる。


父さんの言葉が漏れる。音声が歪んでいて聞き取れない。


でも、僕にはわかる。


あの声だ。


柔らかくて、優しい声。


顔は映らない。それでも僕は知っている。あの銀色の髪も、琥珀色の瞳も。


父さんが、刀を構え直す。


白い装束が、闇に浮かぶ。


その刃が、闇を裂く。


魏骸の体が、真ん中から裂ける。


灰色の靄が、あふれ出す。


そして消えた。


静かになる。


父さんの息遣いだけが、聞こえる。


刀を収める音。


父さんが、振り返る。


僕のほうへ。何かを言っている。


聞こえない。


でも、わかる。


『もう大丈夫だよ』


音声が、完全に途切れる。


そして、映像が切れた。


最後のフレームが、止まっている。真っ白な画面。何も映っていない。


「……ここまでだよ」


安城さんが、静かに言った。


「カメラが壊れたんだ。魏骸の攻撃を受けたからね」


僕は真っ白になった画面を見つめていた。何も言えなかった。


「コンは、この映像を君に絶対見せないだろう。でも、君には知る権利がある。」


安城さんは、少しだけ間を置いた。


「彼は君を守ろうとして、君から真実を奪っている。…それは、守ることじゃないと私は思う」


「後でこっぴどく怒られるだろうけどね」


肩をすくめる。


「…コウタ君」


安城さんが、僕の名前を呼んだ。


その声は、いつもの軽い調子じゃなかった。


僕は顔を上げる。


安城さんは、僕をまっすぐに見ていた。冗談を言うときの目じゃない。ふざけるときの顔でもない。


これは、覚悟を決めた人間の顔だ。


「もう一つだけ、君に知っておいてほしいことがある」


僕はゆっくりと頷いた。知りたかった。ここまできたら、全部。



安城さんはさっきの映像を巻き戻す。


走る父さん。乱れる映像。幼い僕。近づく灰色の影。


そして、魏骸が僕のすぐそばまで来たところで停止した。


「ここだ」


画面の中で灰色の靄が幼い僕の上に覆いかぶさろうとしている。


「魏骸はね、コウタ君。人間を襲う。それは知ってるだろう」


安城さんの声は静かだった。


「でも、襲うだけだ。人間そのものに興味はない」


僕は母さんと交際相手の最期を思い出した。


魏骸は二人を殺した。


子供が玩具(おもちゃ)を壊すみたいに。


だけど魏骸は、死体には見向きもしなかった。


そのまま、僕のほうへ来た。


ゆっくりと、何かを確かめるように。


そこまで考えて、僕は首を振った。


わからない。考えたくない。


「ねえ、コウタ君。最近、わかったことなんだけど…」


安城さんが続ける。


「魏骸は、共食いするんだ」


安城さんの声が、部屋に落ちる。


その瞬間、さっきの光景が嫌な形で繋がった。


僕は安城さんの顔を見た。


「魏骸は他の魏骸を捕食する。これは強い個体に現れる特性だ。食べればより強くなる。だから魏骸は魏骸を探す。そして見つけたら、食べる」


安城さんは、画面をもう一度指さした。


僕は画面を見た。


幼い僕に覆いかぶさろうとする、灰色の靄。


「この魏骸は、君に向かってる。襲おうとしてるんじゃない。まるで…」


安城さんはそこで一度、言葉を切った。


静かだった。


部屋の空気が、止まっていた。


そして、安城さんは言った。


「まるで、食べようとしてるように見えないか?」


…意味がわからなかった。


食べる?


誰が?


魏骸が?


僕を?


思わず安城さんを見る。


でも、その目は逸らされなかった。


冗談でも比喩でも、脅しでもない。


彼は、本気でそう言っている。


魏骸が、僕を。

食べようと。


それって。


心臓の音が、うるさくなった。

手が、冷たくなった。

さっきまで普通だった部屋が、急に、知らない場所みたいに見えた。


「…どうして」


声が震えた。


「僕は、魏骸じゃない」


その時、ドアが開いた。

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