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妖怪スカウト  作者: ニシムラユウト


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13/27

ひとり

初めて父さんの職場に行った日から、唐傘と卯咲(うざく)は父さんに付いて行くようになった。


最初の日、二人は帰ってくるなり玄関でへたり込んだ。


ガチャリとドアが開いて卯咲が先に入ってくる。

彼女の手に握られたボロボロの傘が、ポン、と唐傘おばけになった。

大きな一つ目が僕を見て、すぐに伏せられた。


「……怖かったっす」


唐傘は震える声で言った。卯咲も黙っていた。瞳の中の雪がだいぶ積もっている。


「あんなの、見たことないっす。動きが速すぎて。目で追えないんすよ」


「私も、何が起きたのかわかりませんでした。お父様が斬るまでは」


二人はそのまま廊下に座り込んだ。

僕は隣にしゃがんだ。何か言おうとして、言葉が出なかった。


唐傘がまだ小刻みに揺れていた。

卯咲の指先が、膝の上で固く握られていた。


「…ごめんね。僕のせいで、二人を危ない目に合わせちゃって」


やっとそれだけ言うと、二人はそろって首を横に振った。


「何言ってるんすか。自分で決めたことっすよ」


「そうです。コウタが謝ることではありません。私たちは、戦うと決めたのですから」


「うん……でも」


「それに、まだまだ修行が足りないっす。もっと強くならなくちゃ」


「私も、早く戦力になりたいです」


そう言った二人の声は、まだ少し震えていた。


---


それが、何度か重ねるうちに変わっていった。


最初のうちは、二人は帰ってくるなり廊下に座り込んでいた。


でも、いつのまにかその時間が短くなっていった。


ある日、唐傘がぽつりと言った。


「父さん、すごいっすね」


卯咲がうなずいた。


「お父様は、本当に強いのですね」


それから二人の話は日に日に詳しくなっていった。


最初は「不安」や「恐怖」だけだったのが、今では「魏骸(ぎがい)の攻撃パターンを少しだけ掴んだっす」「父さんは右からの攻撃を刀で受け流してそこから…」なんて話になっている。


僕にはその光景が思い浮かばない。だって僕は見ていないから。


二人の話を聞きながら僕は自分の手を見た。


この手は、刀を持ったことがない。

この体は、魏骸と戦ったことがない。

この目は、魏骸を見たことが……。


いや。


見たことはある。


六年前。あの日。僕ははっきりと魏骸を見た。


血の匂いも表情も、耳に残る声も全部覚えている。

しばらく夢に出てきて眠れなくなったほどだ。


でも、あれから一度も見ていない。


どうしてだろう。あの時はあんなにはっきり見えたのに。今は何も見えない。


僕には、何もできない。


「……それで聞いたんすけど、魏骸って共食いするらしいんすよ」


「知れば知るほど、不思議な生き物ですね。コウタはどう思いますか?」


「……え?」


二人が僕を見ていた。しまった。話を聞いていなかった。


きょとんとした顔が、こちらを向いていた。


「どうしました、コウタ。何か……」


卯咲が心配そうに顔を覗き込む。


「あ…ええと、ありがとう。大丈夫」


そう言ったけれど、声が少し掠れた。


二人の視線が痛い。この場にいるだけで、息が詰まる。


思わず、僕は立ち上がった。


「……そうだ。僕、宿題やらなくちゃ」


「コウタ」


唐傘が呼び止めるような声を出したけど、振り返らなかった。


僕はリビングを出て、ドアを閉めた。


---


その夜、僕はベッドの中で天井を見ていた。


わかっている。あの二人は妖怪で、僕は人間だ。

人間の僕は魏骸と戦えない。


父さんが僕を連れて行かないのは、危ない目に合わせないためだ。意地悪じゃない。


僕が人間だから。守るべき存在だから。


わかってる。

わかってる。けど。


胸の奥が、ざわざわする。


冷たい水が、ゆっくりと広がっていくような感覚。

熱くもない。痛くもない。ただ、冷たい。

誰にも気づかれないくらい静かに、僕の内側で何かが動いている。


二人は今日も父さんと一緒に現場へ行った。

僕はここで、天井を見ている。


それが嫌なんじゃない。二人がずるいわけでもない。父さんが悪いわけでもない。


ただ、僕だけが、違う場所にいる。


その感じが、どうにも落ち着かない。言葉にしようとすると、うまく掴めない。

嫉妬とは少し違う気がする。もっと冷たくて、どうしようもない感覚。


二人が輝いているのを見て、嬉しいはずなのに目を逸らしたくなる。

そんな自分が、一番嫌だった。


次の日、学校からの帰り道。


僕はなんとなく、化生対策室があるビルの前に来ていた。


上を見上げると、窓が規則正しく並んでいる。五階の窓も、他と変わらない。

ここから見ると、どこに何があるのか全然わからない。


僕はビルの前で立ち尽くしていた。


ここに来たのは、自分でもよくわからない。

入り口はすぐそこにあるのに、僕には入れない。

カードキーも何も、持っていないから。


「コウタ君?」


背後から声がした。


振り返ると、スーツ姿の安城(あんじょう)さんが立っていた。手にはコンビニの袋を提げている。


「どうしたの、こんなところで。中に入らないの?」


「あ、えっと……別に、なんでもないです」


「ふうん」


安城さんは、僕の顔をじっと見た。それから、少しだけ眉を下げて静かに言った。


「なんでもない顔には見えないけどね」


僕は何も言えなかった。


「よかったら、中で話さない?」


「……いいんですか」


「もちろん。どうせ一人で食べるつもりだったんだ。付き合ってよ」


安城さんはそう言ってビルの正面玄関へと歩き出した。

僕は少し迷ってから、後を追った。


案内されたのは、五階の端にある小さな会議室だった。

テーブルと椅子がいくつかあるだけで、壁にはホワイトボードが一枚。

窓からは町が見える。さっき僕が立っていた場所も、ここからなら見えるはずだ。


「子供の飲み物、置いてなくてね」


そう言いながら安城さんは、給湯室からコーヒーの入ったカップを二つ持ってきた。


「あ、飲めます。大丈夫です。ありがとうございます」


「そう。よかった」


安城さんは向かいに座って、コーヒーを飲んだ。

僕も真似をして、一口飲んだ。


苦い。でも嫌いじゃない。


「それで、今日はどうしたの」


安城さんは向かいに座り、カップを両手で包むように持った。


「……話が、したくて」


「ふうん」


含みのある相槌を打って、僕の顔をじっと見た。


「何かあった?」


僕はうつむいた。

何か言わなくちゃ、と思えば思うほど言葉が遠のいていく。


「何もない顔、できてないよ」


安城さんは笑った。でも、その目は笑っていなかった。


僕はしばらく黙っていた。

コーヒーの湯気が消えていく。カップの縁が、少しずつ冷たくなっていく。


「……僕、何も知らないんだなって」


声が出た。自分でも驚くくらい、自然に。


「唐傘と卯咲が、父さんと現場に行ってるじゃないですか」


「うん」


「二人とも、どんどん前向きになって。強くなって、いつか父さんの役に立つんだろうなって」


「うん」


「……僕は、何もできないんです」


安城さんは、何も言わなかった。


「僕は人間だから、魏骸とは戦えないし今はもう見えない。それはわかってるんです。父さんが僕を連れて行かないのは、僕を守るためだってわかってる。二人が頑張ってるのも、すごいなって思う。それは本当だし」


「でも」


言葉が、うまく続かなかった。


「でも、なんか……ざわざわするんです。二人が楽しそうにしてるのを見てると、嬉しいはずなのに胸の奥が冷たくなる。僕だけ、違うところにいるみたいで。僕だけ、置いていかれたみたいで」


安城さんは、ゆっくりとコーヒーを置いた。


「それは、寂しいんだよ」


静かな声だった。


「寂しい?」


「うん。君は、二人と一緒にいたいんだよ。でも、いられない。それが寂しいんだ」


「……でも、僕、二人のこと応援してるんです。ずるいとか、そういうのじゃ」


「わかってる。君は優しいから、二人にそんなこと言えないんだよね。言ったら、嫌われるんじゃないかって思ってる。だから、その分自分の中に溜め込んでしまう。それが、ざわざわの正体だよ」


安城さんの言葉が、すとんと胸に落ちた。

そうか。寂しい、のか。僕は寂しかったんだ。


「コウタ君。君に、見せたいものがあるんだ」


安城さんは立ち上がると、壁際の棚の引き出しを開けた。

鍵がかかっていた。小さなキーケースから鍵を取り出し、静かに回す。

中から出てきたのは、古いUSBメモリだった。ラベルには日付だけが書かれている。


「これは、六年前の記録だ。コンが昔の仲間と戦っていた頃の」


そう言うと安城さんは自分のノートパソコンを開き、USBを差し込んだ。


動画ファイルが一つだけあった。再生ボタンに、白いカーソルが乗る。


「…見る?」


僕はすぐには頷けなかった。


父さんの、昔の姿。僕の知らない父さん。


見たい。でも、見るのが怖い。


そんな自分が情けなくて、僕は唇を噛んだ。

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