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妖怪スカウト  作者: ニシムラユウト


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10/27

職場見学

次の日。


学校から帰って来た僕は、唐傘と雪女を連れてビルの前にいた。

でも、僕はこのビルの正面玄関から中に入ったことはなかった。


事前に渡されていたカードキーを機械にかざすと、自動ドアが開いた。

中には待合室があり、僕たちはそこのソファに腰かけた。


「ここって、コウタの家があるビルっすよね」


立てかけた唐傘が、きょろきょろと辺りを見回しながら言った。

父さんの職場だから大丈夫だと思うけど、念のため傘の姿だ。


「なんか、オフィスって感じっすね」


「うん。実は……」


僕は、少し言い淀んだ。


「正面から入るの、初めてなんだ」


「マジっすか」


「うん。いつもは裏口から。二階から上は父さんの仕事場だって聞いたけど、入ったことない」


「へえ……珍しい造りっすね」


唐傘が感心している。

雪女は黙って座っていた。

僕は父さんの仕事について、あまりよく知らない。

仕事場も、職場の人たちのことも。


しばらくすると、父さんがエレベーターから出てきた。


「すみません、お待たせして」


いつもの父さんだった。

でも、ほんの一瞬。

僕は、何か、引っかかるものを感じた。

父さんの声。

いつもと、同じはずなのに。

何かが、違う。

でもそれが何なのか、僕には分からなかった。


三人の顔を見て、父さんは僕たちを中に招き入れた。

扉が閉まると、静かに箱が動き出した。

僕は、壁に貼られた階数表示をぼんやりと見上げていた。

二、三、四……。

上の階に上がるのは、生まれて初めてだった。


雪女は黙っていた。険しい顔をして、じっとしていた。

どうやら彼女はこういう場所が苦手らしい。狭くて、閉鎖的で、無機質な場所。

山に住んでたって言ってたもんなぁ。


「もうすぐですよ」


彼女を気遣ってか、父さんが声をかけた。

ポーンという機械的な音が鳴り、五階で扉が開いた。


降りた先は、想像していたよりずっと普通のフロアだった。

白い蛍光灯。灰色のカーペット。パーテーションで区切られた島がいくつかあって、そのどれもに人が座っている。

パソコンの画面が青白く光っている。誰かが受話器を肩と耳で挟んで、書類に何か書き込んでいた。

印刷機が低く唸っている。コーヒーの匂いがした。


「ここが化生対策室(けしょうたいさくしつ)です」


先導していた父さんが振り返らずに言った。声はいつもの丁寧な口調だった。


「正確には、このフロアが管理部門と情報部門。実働は僕一人なので、部隊というほどのものではありませんが」


唐傘が小声で「部隊」と繰り返した。雪女は黙ったまま、フロアを見渡していた。


奥のほうから恰幅の良い男性が歩いてきた。髪は白く、眼鏡の奥の目は疲れているようで、しかしよく光っていた。スーツの上着を片手に提げている。


「安城(あんじょう)……さん」


「お久しぶりです。コウタ君」


僕は彼を知っていた。六年前、僕の病室に来た人だ。あの時父さんが一緒にいた。


「コン」


男は父さんをそう呼んだ。父さんは軽く頭を下げた。


「室長。三人を連れてきました」


「ああ、うん」


室長と呼ばれた男は僕たちを順に眺めた。手の中で唐傘がぴくりと動いた。雪女は微動だにしない。


「雪女に、唐傘ね。コウタ君も大きくなって……六年ぶりだったかな?」


「はい」


「よろしくね。私はこの室の長をやってます。安城って名前だけど、覚えなくても良いよ。みんな室長って呼ぶから」


そう言って、男はフロアの奥を手で示した。


「こっちにおいで。説明するから」


案内されたのは壁一面がガラス張りの部屋だった。中には大きなテーブルが一つ。その上に、町の地図が広げられている。いや、地図というより地図の上に何かが描き込まれているものだった。


赤い点が無数にあった。北から南まで町のほぼ全域に散らばっている。そのうちいくつかは、線でつながっていた。線は細かったり太かったり、点の大きさもまちまちだった。


「これが、ここ一年の発生記録です」


安城さんが言った。


「赤い点が魏骸(ぎがい)の出現地点。太い線が、同じ個体が移動したと推定される経路。黒い丸が、被害が出た場所。死者は赤丸、負傷者は白丸」


僕は地図を見た。赤い点は町の中心部に集中していた。中心から離れるにつれて点は減っていく。石を池に落としたときの波紋みたいだと思った。


「ここ、特に多いですね」


僕は言った。


「多いんですよ。全国で発生する魏骸の、およそ七割がこの町に集中している。他の地域は年間で数件から十数件。ここは、去年だけで百を超えた」

「百のうち、七割は無害。ただ、そこにいるだけ」

「危険なのは三十。それを、コンが狩ります」


「でも…」


安城さんの声が、少し沈んだ。


「今年は、もう五十を超えている。去年の同じ時期の、倍だ」


唐傘が小さく息を呑んだ。雪女は、地図の一点を見つめていた。


「どうして、この町なんですか」


「わからない。それがわからないから、私たちはここにいるのです」


父さんは、腕を組んで窓の外を見ていた。何も言わなかった。


この説明を、父さんは何度も聞いてきたのだろう。

この地図を、何度も見てきたのだろう。

それでも、赤い点は減らない。


父さんの横顔は、少し疲れているように見えた。

めんどくさい、のかもしれない。

でも、それだけじゃない気もした。

僕には、わからなかった。


安城さんは、少しだけ父さんを見た。


「…最初は私一人でした。警察にも相手にされなくてね。なんせ魏骸は人に見えないから」


「そんな時、コンが現れた」


父さんは、答えなかった。


「…まあ、その話はまた今度。今日はこれを見てもらいたかったんだ」


安城さんはテーブル脇に置かれたパソコンに何か打ち込んだ。壁のスクリーンにぼんやりとした映像が映し出される。

灰色の背景に煙のような靄のような、輪郭の定まらない塊が浮かんでいる。動いている。ゆっくりと、這うように。


「これって」


「そう、魏骸です」


僕は息をのんだ。


「奴らは肉眼では見えない。だが特殊な電磁波を発している。これを検知すると、ぼんやりだがこうやって可視化できる。うちの機械でね」


不気味な映像だった。

雪女の目が、画面にくぎ付けになっている。

彼女にも、あれが何かわかるのだろう。


「コンは、これを着けて戦います」


安城さんが指差した先、テーブルの端に小さな装置が置かれていた。


ボディカメラ。マイクと小型カメラとスピーカーが一体になったものらしい


「戦闘の邪魔にならないよう、最小限のデザインにしてあります」

「現場の映像と音声が、ここにリアルタイムで入ります。私たちはそれを見ながら、指示を出す。逃げ道の確保、周辺の避難、援護のタイミング。全部声で伝えます」


「父さんは、一人で」


「そう。一人で」


安城さんは、少し間を置いた。


「だから私たちは、せめてその後始末を引き受ける。倒れた人を運ぶ。壊れた建物を直す。亡くなった人の手続きをする。警察には事件として扱わせない。事故、行方不明、そういう形で処理します」


僕は、フロアの外をちらりと見た。パソコンに向かっている人たちがいた。電話をしている人もいた。皆、静かに働いている。


「警察の人は、知らないんですか」


「知りません。ごく一部の上層部だけです。現場の連中は、ただ『上からの指示』で捜査を打ち切らされる。不満も不信もあるでしょう」


「君のところに来た高木のようにね」


高木。


僕の入院中、無理やり聴取しようと押しかけてきた刑事だ。

あの時僕は、「化け物がいる」としか言えなかった。


「大人を馬鹿にするんじゃない」


苛立った彼の声を、今でも覚えている。

でも、伝えられない。

伝えたところで、魏骸は見えないのだから。


「コン」


安城さんが、もう一度呼んだ。父さんはゆっくりと振り返った。


「彼らに、何か言うことは」


父さんはしばらく黙っていた。それから、僕たちを見て静かに言った。


「ここで働いている人たちの中には、僕のことをよく思わない人もいるかもしれません」


その顔は、少し寂しそうだった。


「僕は妖怪ですから。人間の組織に、妖怪が一人で入り込んでいる。気持ちのいいものではないでしょう。それでも、彼らは僕を支えてくれている。だから」


父さんは、少しだけ頭を下げた。


「君たちも、彼らを嫌わないでください」


僕は、フロアのほうを振り返った。さっきまで電話をしていた人が、こちらを見ていた。目が合うと、その人はすぐに視線を逸らして、また受話器を耳に当てた。


コン。

父さんの名前だ。


六年一緒にいて、僕はそれを知らなかった。

聞かなかったのは、僕だ。

父さんのことを、知ろうとしなかったのは。


窓の外では、町の灯りが、ひとつまたひとつと点いていく。

地図の赤い点よりも、ずっと多くずっと温かい光だった。

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