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幸願病—君の幸せを願う—  作者: 澪ナギ


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第二章



― 二 ―


 春には、そう決めて。

 年度末で忙しい日々を乗り越えて、迎えた春。


「……は」


 何故か異動が決まった。


 呼び出されて告げられたのは、上層部からの異動。しかも、営業課。ここは、今の部署とは階も違うところ。飲み込み切れないままいれば上層部の人からの言葉が落ちて来る。

「決して君の能力が、とかそういう話じゃない。実際、君がいてこそ経理課はよりよくなった」

 なんとか聞き逃さないようにしていたら。


「ただ、とある人物から。君ならこっちの方がより力を発揮できるのではと打診があってね」


 思わぬ言葉に、止まった。

「人当たりもいいし、こちらとしてもそう思える点があってこの判断になった。一年目で慣れてきた今の異動は、驚くだろうが」

「……いえ」

「期待しているよ」

 ぽん、と肩に手を置いて、その人は去っていく。俺はその部屋に残ったまま。

「……はっ」


 うつむいて出たのは、笑いだった。


「あの上司か……」

 口は笑んでいるのに、出るのは怒り。

 ”とある人物”なんて思い至るのは一人だ。

 上司で、なおかつ上にかけあえる人物は、うちの部署では数人しかいない。あらぬところからというのもあるかもしれないけれど、あの日からその”とある人物”に敵意を向けられているのはわかっている。そしてこのタイミングでの打診。これはもう確定だろう。

「まさかこんな風にされるとは」

 これ俺いなくなって幸にすげぇアタックするとかそんな感じだよな。うわ許せねぇ。けれど今の自分にはどうしようもなくて。



 入社して一年。次に決めたのは、”上に行こう”だった。



 幸にはうまく濁して伝えて、それからはより必死に仕事に打ち込んだ。上に行って、幸の隣を取り戻したくて。必死に仕事をして。

 逢う機会は減ってしまったけれど、その分逢えた時はより頑張れる。

 休みの日も、前よりかは少ないけれど出かけることは変わらず。忙しくも充実した日々にはなっていた。

 たまに幸に会えない日々が続くこともあった。仕事も忙しく、経理のときよりもいろんなタイプの人に逢うことも多くなり、そのタイプによってはストレスも溜まる。幸に逢えればいいけれど、そう都合よく逢えることはなく。こちらから逢いに行こうにもタイミングが合わず行けない、休みの日も逢えない日々が増えて。ストレスは溜まる一方だった。

 そんなとき、異動してすぐ上についてくれていた先輩が「息抜きに」とタバコを吸っていたのを思い出し、タバコを吸ってみた。

「……苦」

 大人はよくこんなものが吸えると、一回目はそう思ったけれど。慣れというものは恐ろしく、いつの日か、むしろそれがないと耐えられなくなっていた。


「はー……」

「様になってきたな空下」

「そうでもないと思いますけど」

 営業課に異動して四か月ほど経ったころ。すっかり行きつけになった、一階にある喫煙所で上司に笑う。タバコを吸って、ため息をつくように煙を吐いて。

 先に出ると言った上司に頷いて、自分はもう少しだけ煙を楽しんだ。

 また最近逢っていないなと、彼女のことを想いながら。

 ぼんやりと、喫煙所の外の廊下を眺めていれば。

「!」

 今ちょうど思いを馳せた幸が、目に入る。まっすぐに前を向いて歩いている幸は当然こちらを見ない。急いで火を消して、外に出た。

「幸」

「! 叶?」

 振り向いた幸は、少しだけ疲れたような顔をしていたけれど。俺を見てぱっと嬉しそうな笑みに変わる。その瞬間を見たことと、逢えたことの嬉しさで俺も顔がほころび、彼女に歩み寄る。

「なんか久しぶりだな」

「ね! 同じ会社なのに」

 くすくす笑う幸に心にあったかいものが広がった。あぁ、癒される。何か月ぶりだろう。そう経ってもいないはずなのに、やけに長く感じた。

「叶はどうしてここに?」

 どうやったらより逢えるかと考えていれば、幸に問われて我に返る。それに、「あぁ」と困ったように笑って。

「タバコ」

「え、吸うっけ」

「部署変わってから吸うようになった」

「えー、そうなんだ」

 自然と二人で歩き出しながら、幸を横目で見る。……タバコを吸う男は嫌だろうか。

「……お前が嫌ならやめるけど」

 そう、言ってみたら。

 彼女はおかしそうに笑って。

「なんでよ、叶が好きで吸ってるんでしょ?」

「まぁ、今は好きだけど」

「いいんじゃない、叶、なんか似合うし」

「そう?」

「うん、様になってる」

「へぇ」

 存外嬉しい言葉に口角が上がった。

「あ、でも体には気を付けなよ」

「おー」

 返事をしている間にエレベーターのところまで来てしまって、さっきの嬉しさが嘘のように憂鬱さが出てくる。この瞬間が終わってしまう。せっかく逢えたのに。

 上に行くための矢印を押しつつ時よ止まれと願ってみても、エレベーターはさっさと降りてきてしまう。

 あぁまた逢えない日々が続くのか。そう思いながら、エレベーターへと乗れば。

「……ね、叶」

「ん?」

 少し人もいるということもあって、詰めてくる幸。距離が近くなって、こちらを見上げて小さな声で名前を呼ぶ彼女に、久々ということもあって心臓がドッと鳴る。気づかないふりをしながら返事をすれば。

「……たまに、来てもいい?」

「? どこに」

「ここらへん」


 ――逢える場所、見つけたから。


 そう小さく呟く彼女に、どうしてあの時告白していなかったのかと悔やんでしまう。恋人になっていたならこの場で抱きしめたのに。もどかしさを感じながら、彼女の問いには当然頷いた。

「当たり前だろ」

 言えば、嬉しそうに笑って。

「じゃあ、”またね”だね」

 あっという間に着いてしまった経理課の階で降りていく幸は、本当にかわいくて。

「……すべて癒されたわ」

 額に手を当てながら、タバコはやめないことを誓った。


 それからというもの、幸せがまたやってきた。


 一服しに行けば、前より多い頻度で幸と逢えた。

 彼女がやってきて、目が合えば俺が「待ってて」と口パクで伝える。それに彼女が指で丸を作るのが、お決まりの合図となって。早めに一服を終えて、喫煙所を出る。そうして外にいた幸と合流して。

「おつかれ」

「おつかれさまー」

 自然に二人、歩き出す。

 歩く速度は、ゆっくりと。

 建物の奥にあるエレベーターにつくのが、遅くなるように。

「最近どう?」

「んー、ちょっと忙しいかな」

「新作も控えてるもんな」

「もー、また私のSNS見てる」

「ファンなんで」

 くすくす笑い合いながら歩いていけば、すぐにエレベーターについてしまった。何度この幸せな時間が訪れようと、それがいつだって残念で。エレベーターを待ちながら聞いてみる。

「今日何時に終わんの」

「わかんない」

「待ってたいんだけど」

「今日、でも結構残業確定だよ。叶のとこは?」

「俺もだけど」

 降りてきたエレベーターに乗って、寄り添って小さく話す。

「私が先に終わるなら待つよ」

「んー」

 それも魅力的な話だな。あぁでも、一人で待ってるとあの人に声かけられる可能性もあるのか。それは、嫌だから。

「お前が先に終わるならやめるか」

「ふふ、何それ」

「一人でいると危ないから。あと残業も遅くなりすぎんなよ」

 ごまかしながら、一人にさせないよう話していく。

「お前んちの近く結構人通り少なくなるって言ってたろ」

「まぁねー。……ふふっ、叶お父さんみたいじゃん」

 なりたいのは恋人なんだけども。言いたいことはぐっと飲み込んで。

「送ってっていいなら夜遅くてもいいけど?」

「だめだよ、叶も疲れてるんだから」

 甘い、そんな話をして。

 できれば本当は、ゆっくり話す時間を設けてそろそろ伝えたい想いがある。休みの日も最近は合わなくなってきた。だから帰り道というのがベストだけど。

 心配もあり、そもそもがなかなかタイミングが合わないというのも事実。

「あ、じゃあまたね」

「……おー」

 タイミングを逃し続けながら、もう終わりかと残念に思いつつ幸を見送って。

 彼女がいなくなったエレベーターで、いつにしようかと思考にふける。早い方がいい。二人きりになれるところ。次の互いの休みの前? それなら休みの日に逢うのがいいか。そう、思いを馳せて。忙しさの中で再び見つけた安らぎを、今度は失わないように。


 そう考えていたけれど。


 決意を決めた秋には、幸とはまた前みたいに顔を合わせなくなってしまった。









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