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シェイラはエルンストから一歩後ろの場所を、歩く。
表面からは何の感情も読み取らせないエルンストは今、何を思っているのだろうかと想像しようとする。
あの卒業式からまだ10日ほどしか経っていないが、エルンストに対し彼女が思うことはあまりに少ない。
廃嫡という結果が残念だというくらいだろう。
婚約破棄は些細なことだった。エルンストを王座を与えるためにこの政略が整えらえた時、自身が王妃となる覚悟をまったくしていなかったわけではないが、彼が秀でた人物であれば、シェイラ以上に自身の妃に相応しい女性を見つけるだろうと確信していた。
シェイラが婚約者の地位から降りたとて、マティアス侯爵家はエルンストと彼の妃となる人の後ろ盾になっただろう。元々マティアスは王妃を自家出すことに興味のない家だ、歓迎さえしただろう。
だというのに学術院に入ったエルンストは荒れ、アリア=カラフェを溺愛した。
きっかけがたあの王により与えられた瞳の色というのなら、残念としか言いようがない。
思いつく限り一番最悪な方法で貴族社会にマティアスをないがしろにし、貴族社会を敵に回したエルンストには廃嫡の道しかなかった。
現在、すっかり冷静さを取り戻したように見えるエルンストは、果たしてアリアを心底愛していたのだろうか。
アリアは王太子ではないエルンストを、愛せるのだろうか。
あの愛は真実だったのか。
その片鱗を今から知ることができるだろうか。知ったところで何も変わらない、そう諦めつつも見てみたいようにも思えた。
きっと、エルンストにとってはただの熱病であった方まだましなのだろう。
そんな思いはすぐに霧散した。
フェルディナンドはエルンストとシェイラをアリア=カラフェの取調べの場に呼んだ。2人に求められたのは道化の役割だ。請け負ったシェイラは、婚約期間中でさえありえなかったというのに、いささか遠慮がちながらもエルンストの腕に手を絡め、アリアへと笑みを向けた。
エルンストは手を振りほどこうとはしなかった。
視線で人が殺せるのならばシェイラは今頃死んでいたかもしれない、それほどに荒々しい視線でシェイラを睨みつけたアリアは、まるで自身の恋を必死にかばうかのように、最も危うい言葉を叫び出した。
アリアの取調べはそう長い時間かからなかった。
エルンストとシェイラの組み合わせに衝撃を受けたアリアは、勢いのままエルンストを傷つける言葉を口走った。
その言葉こそが自身の父と一族を窮地に陥れることになる。
本当に、我が父ながらえげつないことをやるとシェイラは内心ため息をついた。
途中からは新しい情報もなく、エルンストとシェイラを呪うような言葉ばかりが続くようになり、ほんの30分ほどで2人は取調室を離れることになった。
自身が恋した娘の豹変にエルンストは呆然としていた。
とてもでもないがすぐに移動できそうもなく、シェイラは近衛兵にエルンストを託し、1人宰相府を出た。
エルンストの傷口を抉っただろう言葉は、アリアの意図に反し、シェイラの感情を揺らさなかった。
シェイラにはエルンストに対する恋愛感情はないのだから、当然だ。
ただ、とても疲れた。
出来ることならば部屋に引きこもり、誰とも会いたくない。
が、途中参加になるだろうとはいえまだお茶会には十分に間に合う時間で、途方に暮れるしかない。
行かないとは言えないだろう。
想像していたよりずっと短い時間の取調べで、アリアは結果として、こちらの聞きたい内容をあっさりと口走ってしまった。
カラフェ男爵は極刑を免れないだろう。
修道院に送られるはずだったアリアもまた、流刑地へと行先を変えるのだろう、重罪人の血縁者として。
とてもではないが華やかなお茶会の場に参加しようという気にはなれない。
そして、アリアが口走った言葉が、ライドゥルとの関係にどのような影響を与えるのか考える時間も欲しかった。参加したくない。
そんな思いが足取りにも出ていたのかもしれない。
「どうした、何処か悪くしているのか」
不意に背後から怪訝そうな声をかけられ、はっとする。
アーデルベルトだった。
高貴な人物にシェイラが慌てて礼を取ろうとすると、よいとめんどくさそうに止められる。
王宮内ということもあり近衛兵の1人も連れず移動している国王は、シェイラの全身を眺め、さすがにそれでは不味かろうと顔をしかめた。
わざとらしく咳払いをする。
「陛下?」
「行先は同じだ」
共に遅刻組だなと苦笑したアーデルベルトは、王太后のお茶会に顔を出すとのことだった。
国王としては次代の王妃に興味がないわけではないからなと、まったく興味のなさそうな声で告げられ、益々逃げ出したくなる。
所詮自分は数合わせくらいの意味しかない。
何故、ジークヴァルトが伴侶を選ぶ場に立ち会わなければならないのだろうか。
逃げ出して、しまおうか。
拳を握りしめ立ち尽くすシェイラに、アーデルベルトの視線が向けられる。
怜悧なアンバーに覗き込まれれば、自身の弱さを見透かされているようで、頬の筋肉がぴくりと跳ねる。
「別にサボってもいいとは思うが」
シェイラの揺らぎをサボりという言葉であっさりと表現した国王は、お前はジークヴァルトのことに関してだけは年頃の娘のような顔をするなと呆れられる。
「本当に、ジークもそなたも、どうしようもない」
「陛下」
アーデルベルトは呟いた。
彼からすれば信じられないような状況だった。
貴族社会の都合により引き離された2人の躊躇を理解しないわけではない。が、想定していなかった場所から王位がこぼれ落ち王となり、贅沢三昧だけでろくに王妃の務を果たさなかったマルグリッドを王妃としていたアーデルベルトにとって、3公爵家の力関係など些細なことに見える。
そんなもので躊躇うくらいなら5年も秘め続けず、とっとと別の娘を妃とすればよかったのだ。そうすれば、今頃子が誕生し、エルンストに王子の地位を残すなどという寛大な措置は採れなかっただろう。
ジークヴァルトもだが、シェイラもシェイラだと、やつれた表情を見下ろす。
何故、フェルディナンド譲りの優秀な頭脳は、このことばかりには役立たずなのか。
王妃の役目が王の補佐ならば、これ以上優秀な候補は見つけられない。見つけられたとしても、彼女をして5年修めた妃教育を妃になりたいというという野望だけで更に短期でこなせる娘はあまりにも稀有だ。そんな娘が今まで頭角を現していないとは考えられない。
国の母としての慈愛と貫禄はまだ未知数だが、それは地位を得て初めて得るものだ。
自身をあまりに卑下しているのか、或いは盲目さ故にすべてに対しあまりに臆病になり過ぎているのか。
若さというものか。
若き日、荒れに荒れた自分も似たようなものだったかと想像し、ふと懐かしささえ覚える。
自分は何も吹っ切れないまま臣下となり軍属し戦場と立ち、気づけば王となっていたのだが、今、あの時ほどの猶予はない。
アーデルベルトは通りがかった兵士に国王付きの女官長を呼んでくるよう命じた。
「やはり、サボりを認めるわけにはいかんな。余が王太后様に叱られる」
「陛下?」
口調に反し、アーデルベルトはひどく真剣な表情をしていた。
数日前、ジークヴァルトを焚きつけた言葉はすべてありうる未来だった。
王家はシェイラ=マティアスを手放さない。これから更に開花するだろうこの優秀さををみすみす逃すような愚行はしない。
ジークヴァルトが躊躇し別の娘を妃とするというのなら、別の者が掴み取るしかない。
マルグリッドという役立たずの王妃に渡りその座を許されたのは、王太后の存在と、この5年間が平時であったことの恩恵に過ぎない。
「まだそなたがエルンストの許婚であった時、余はそなたに覚悟を問うたな。それに対し、そなたは命令とあれば従うと答えた」
「それは」
「ジークがそなたを選べないのなら、余がそなたを妃とする」
「何をおっしゃっておられるのです」
「戯言ではない。戦時となるのであればなおのこと、王家はそなたを手放す気はない」
「ですが、陛下」
「余の継妃であればすべての貴族が賛同するだろう。そして皆が勝者であった王の子を熱望するであろう。その子はおそらく、…ジークの次へと祭り上げられる」
(私は、あなたが新たな妃を迎えるのを見たくなかった。それが、ジークの婚約者にと望んだシェイラだなんて、認めたくなかった)
(カテリーナ)
(お許しくださいませ、アーデルベルト様)
カテリーナはそう言った。その言葉にアーデルベルトは救われた。
が、1つの未来だ。
胸の巣食う感情をすべて投げ捨ててしまえるのならば、寧ろこれこそが最善だ。
声がかすれていた。
あの時、アーデルベルトが諦めなければ、父王はそれでも彼女を奪っただろうか。もう少し抗えば違う未来があったのではないか。
アーデルベルトのことは願いであり、後悔でもある。
「大体そなたは自身を卑下し過ぎだ」
あまりに簡単な事だった。
フェルディナンドも同様に考えているだろう。それを娘に告げていないのはよほど王家から引き離したいからか、娘の苦労を案じてのことか。
どちらもだろうがあの男であれば前者の方が優先と言いかねんがな。
そんなことを思いながら告げる。
「そなたは余がユーリエをどうにかせよと命じれば、迷うことなく是と言うだろう」
「陛下」
「ジークのためにそれをせよと言えば言葉通り死に物狂いでやるであろうよ、自らの望みとして」
「それは」
「出来ないとは言わんな」
そなた達が躊躇していることはそのくらいのことに過ぎん。
シェイラの反論を封じたアーデルベルトは、とにかくその地味な服をどうにかせよと命じる。
気づけば、女官長が数人の女官とともに控えていた。
「いずれにせよお前は王家に嫁ぐ。ならばせめて、好いた男を望め。楽な道ではないだろうが、絶たれた道ではない、まだ」




