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「そ…んな…」
呆然としたつぶやきはエルンストのものだった。
アーデルベルトが発した言葉の意味をすぐには理解できなかった。
国王たる父の唯一の子である自身が、王となる資格がないなど理解できるはずもなかった。
エルンストは次の言葉を発することも出来ず、エルンスト様と腕にしがみついてくるアリア、ではなく。
婚約者、いやもう既に元婚約者であるはずのシェイラを見る。
化け物と何度罵ったかしれない。
エルンストだけではなく、マルグリッドも同様に言っていた。
右と左の目の色が違う、嫌味なほどに優秀な、一度として自身の婚約者とは認められなかった年下の少女だった。
自身に相応しくない、婚約破棄されて当然と断じていた。
が。
(これは、誰だ…)
長い睫毛の下に現れる両の双眸の碧は、凪いだ湖面を思わせる。
隣に控えるヴィリーの右目はエルンストが毛嫌いしたシェイラの右目と同じアンバーで、その色は言葉の通り、厳しいアーデルベルトの双眸と同じ色だった。
その、アンバーを失い。
今しがたシェイラが取り戻した揃いの碧は、先ほどまでよりも随分と柔らかな印象を与える。
整った顔立ちは、エルンストの好むそう、アリアのようなかわいらしさは足りないものの、少なくとも。
化け物では、なかった。
少なくとも今見るシェイラは、普通の少女だと気づき。エルンストの頬がひくりとひきつる。
自分は何をしたのだろうか。
「何故ですか、父上」
震える声が問う。
「そなたが余の、子であるからであろう」
対して淡々とした声で告げた父を見上げながら、エルンストは必死に5年前の日を思い出そうとする。
婚約者が決まったことを自ら伝えにきた父は、エルンストに諭した。
そなたの婚約者を大事にするようにと言われた。
『そなたの父の母上は平民の出身だ。本来ならば王になるはずもなかったし、実際に一度は臣下にも降りた。それがどういう運命のいたずらか戦場に立ち、王位を手に入れた。乱世であったからこそ、この手に王位が転がり落ちてきた』
そなたの王位は父の功績により手にしたものだ。
いや、父だけの功績ではないな。宰相が自身の子らを差し出してきたことにより、ほんの少し均衡をずらしてくれただけのことだ。
ここに乱世はない。
乱世があったところで、そなたはまだ戦場に行けるような年ではない。
この父の母の身分が低かったように、そなたの母もまた、貴族社会においては取るに足りない家の出だ。
そなたの地位は、そなたが想像する以上に危ういと心せよ。
学術院でよく学び、鍛えるがよい。
何よりもそなたが王にふさわしい人物とならねばならん。
そして、そなたの婚約者を大事にせよ。
シェイラはあの宰相の娘、マティアス侯爵家の令嬢である。彼女の家柄と知性が、そなたの王座を守るであろう。
よいな、エルンスト。
よいな。
「エルンスト様?」
「シェイラ…!」
エルンストは側にいたアリアの声を無視し、しがみつく腕を振りほどきさえし、顔をぐしゃりと歪める。
いつにない猫撫で声にシェイラは思わず背を揺らし、ヴィリーはすいと目を細めさえする。
今更もう手遅れだと断じながら妹の顔を覗き込むと、頬を引きつらせた彼女の表面は蒼白と言っていいほどに白かった。
頭がきりきりと痛んだ。
戻ってきた左目が馴染むのに時間がかかるのだろう。
そう、5年前。奪われた時は2日ほど吐き気に悩まされ、寝込むことになった。魔力で本来あるべき姿を捻じ曲げれば、歪みが大きいのも当然のことだ。
とにかく退席を許されるまでは耐えるしかない。そう言い聞かせながら頭痛と戦っていたシェイラにとって、エルンストの今更ながらの豹変は無駄に時間を引き延ばすだけのものとしか感じられなかった。
それでもアーデルベルトの視線が自身の方を向いたことに気づけば、何の反応も返さないわけにはいかない。
果たして自身にどんな解が求められているのかと頭め巡らせれば、ずきんと走る痛みに意識が飛びそうになる。
「陛下のご随意のままに」
なんとかそう告げて視線を落とす。
声を発した時には、これは求められていた解ではないかもしれないと思ったものの、思考をまとめる余裕はなかった。
ヴィリー兄様と。
もう無理だと、思わず隣の兄に縋ろうとするも、それは声にならなかった。
「マティアス侯爵令嬢」
突然そう呼ばれる。
シェイラはこの声に、そう呼ばれることに慣れていない。
けれど、硬い響きに反し案じるような声音に、あ、と。
息が漏れる。
「具合が悪そうだ」
「殿下…」
続く頭痛をこらえ、気力だけでなんとかその場にたっていたシェイラはこの時、随分と弱っていた。
もう王太子の婚約者ではないのだという安堵も相まり、常の彼女の冷静さを奪った。
ドレスの裾がふわりと揺れる・
(ジークヴァルト…さま…)
「シェイラ」
「シェイラ!」
ジークヴァルトの方が一瞬早かった。
せっかくの卒業パーティーの場を台無しにされた卒業生、貴族の子らは、王太子の廃位という貴族社会に激震を巻き起こす重大事に直面し、更にこの時。
代わって次の王座に最も近い場所に立っただろう王弟殿下が、それは大切そうに。
マティアス侯爵令嬢の背を支え、まるで痛みを分かち合うかのように表情を歪める姿を見ることになる。
手放しに歓迎できる状況にはない。寧ろ、苦い表情を浮かべる者の方が多いだろう事態だったが、この時ばかりは彼らも口をつぐんだ。
「陛下、シェイラ嬢に退席の許可を。随分と苦しそうにしておられる」
「でん…か…」
シェイラはジークヴァルトの腕からなんとか逃れようとするが、触れた手のひらから痛みが引いていくような気がして、離れられない。
続きは改めようとアーデルベルトは応じた。
卒業パーティーをするような状況になかった。
アーデルベルトは卒業生達の晴れの場を奪ったことを詫び、今度は王宮で卒業パーティーを開くことを約束した。
そして、自身の言葉を翻すことのないよう律するように、卒業生、ならびに彼らに連なる貴族社会に対し、宣言をした。
王子エルンストの王太子の地位を剥奪する。そして、マティアス侯爵令嬢との婚約破棄を許す、と。




