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「陛下っ」
「時間がないゆえ詠唱を急ぐ、少しの間耐えよ」
少しとアーデルベルトが表現したように、決して長い時間ではなかった。
が、かざされた手のひらに何かを吸い取られるような感覚にシェイラはぐらりとし、隣にいたヴィリーに支えられる。
5年間の、夏の間も決して袖の長い服しか着ていなかった理由の、王の所有物であることを示す腕輪がぱりんと割れ、おそるおそる袖口を少しまくってみる。
「よいぞ」
割れた腕輪を進み出た近衛兵の1人に渡していると、短く告げられ、咄嗟にまばたきをする。
違和感に思わず手のひらで左目を覆う。
視界がぐらぐらとするし、熱を持っているような気がする。
「シェイラ」
「大丈夫だと、思います」
兄の問いかけにうなずき、支えてくれていた手から離れる。
自分のものではないような気がしたものの、けれど、あのアンバーの左目の違和感とは異なる感覚に、自らの左目を取り戻せたのだと知る。すぐに鏡を見たい衝動に駆られるが、国王の御前でそのような勝手ができるはずもなく、姿勢を戻し、左目を覆っていた手も元に戻す。
「そんな」
その時、信じられないというなつぶやきが耳に入る。
エルンストだ。
続いてなんなのそれ、というアリアの声が続き、自らの色彩が戻ってきたことを改めて実感する。
アーデルベルトを見上げると、彼もまた、少し不自然そうに左目の下のあたりを指で押さえていた。互いに自然な状態に戻ったのに、妙な違和感が続くのは5年、あまりにも長い間、不自然な状態に慣れていたからだろうか。
「驚いているようだが、こちらが本来のシェイラだ。であろう?」
後半の語尾だけがヴィリーに向けられ、おっしゃる通りでございますとの肯定が戻る。
「父上、そんな」
「シェイラの左目を余が奪っていた。色が違っていたのは、余の魔術に使役されていたからだ」
「左の、アンバー」
「そうだ、余はヴィリーとシェイラの目を奪い、2人をそれぞれそなたとジークヴァルトの側に置いた。1つはジークヴァルトが謀反を起こさぬか、自ら起こさぬともよからぬ輩が近づきやしないか監視するために。もう1つはエルンスト、そなたがまこと、王に相応しい者か監視をするために」
お前の王太子の地位は仮のものだったと、アーデルベルトは告げる。
確かにエルンストは立太子した。が、5年前のあの円卓で、フェルディナンドは学術院の卒業の年までと、自らの子らを差し出してきた。
信じていると言われた。
あれはこういうことだったのだろう。
エルンスト殿下が学術院を卒業されるまでの猶予を差し上げましょう。
殿下が王位に相応しい方であるならそれでよし。
けれどもし、そうでないのであれば。
正しい選択をされるものと信じている、と。
「この5年間、余の左目は常にシェイラが見るものと捉えていた。故に、シェイラが本当にそこの娘をいじめていたというのであれば、余が気づかないはずがない」
「シェイラの言葉に偽りがないと余が証明しよう。そのうえで何か、言うことがあるか?」
「ち、父上っ」
「エルンスト様のお父さま…!」
アーデルベルトの鋭い眼光にエルンストが言葉を失うと、彼の腕を引っ張り、アリアが前に進み出る。国王の許可なく発言をすることもありえなければ、お父さまなどと呼ぶこともありえない。
あまりの不敬に卒業生の中には卒倒しそうになる者も出るが、意外にもギロリと睨むだけですぐに口を開かなかったアーデルベルトに肯定されたとでも思ったのか、アリアが訴える。
首元で首飾りの青が揺れる。
シェイラは一瞬アリアを止めようと思ったが、アーデルベルトがそれを望んでいるわけではないことを悟り、口を閉ざす。
私たち、愛し合っているんです。
だから私たちの結婚を認めてください!
呆気に取られた。
いじめれたという話の風向きが悪くなったと気づいたのか、正面から訴えることにしたらしい。
一層のこと、清々しい。
どう返すのかとうかがうようにシェイラが見上げれば、アリアを見下ろす無表情に思わず目を逸らす。
怒り狂って、いる。
見る人が見れば明らかな怒りの表情に、この場から逃げ出したくなる。
今でこそ、国王として王宮にいることが不自然ではなかったものの、自ら戦場に達、鬼とも恐れられた人である。よく向かい合っていられるものだと、訴えるアリアに関心をしてしまう。
エルンストの方はと言えば、蒼白してしまっている。
「シェイラ様もきっとエルンスト様のことをお嫌いなんです。だって、楽しそうに会話しているところなんて見たことないもの」
私だったらもっとエルンスト様を笑わせてあげることができますとアリアは胸をはる。
シェイラにとってはなかなか痛い言葉だった。
アリアの言葉に、この部分だけは同意する。
アリアはエルンストを笑わせることができる。
けれど、愛し合っている者と結婚することが、幸せとは限らない。
獰猛な笑みを唇の端に刻んだアーデルベルトが、言いたいことがそれですべてかと、低い声で問う。問いながらも解を求めてないのは明らかで、ようやく国王の圧を気づいたらしい、アリアが言葉を失うのもかまわず、彼は続けた。
「余は、そなたに発言を許したつもりはないが、…許そう。エルンストの妻となる女性というのだからな。…あぁ、許してやろうエルンスト。シェイラとの婚約破棄も、この娘を妻とすることも」
「父上!」
「ただし」
「マティアス侯爵令嬢との婚約破棄をしたそなたは、…次代の王となる資格はない」
アーデルベルトはこの時、苦悶の表情をしていたかもしれない。
退路は塞がれていた。
このような貴族の子弟が集まる場所でエルンストが婚約破棄を叫んだ時、アーデルベルトにはもう、エルンストを選ぶという選択は残っていなかった。




