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突然、馬の嘶きがし、車輪が止まった。
予定外だったのだ、急な止まり方に車内が揺れ、マノントン夫人が半分腰を浮かした。
何事かとシェイラとジークヴァルトは顔を一瞬顔を見合わせたものの、互いに馬車の窓を見る。
最初に動いたのはジークヴァルトの方だった。
乗り口を開け、馬車から降りると、2人いる馬使いの名を呼ぶ。警護もあって2人に増員された馬使いは、どちらもジークヴァルトの部下だ。
馬車から完全に降りてしまったジークヴァルトは、乗り口からは見えない場所で話していたが、すぐに一度戻ってきた。が、再び馬車に乗り込もうとしない。
「部下に見てくるよう言ったのだが、何か諍いが起こり道を往来を塞いでいるらしい。私も見てこようと思う」
「殿下?」
ジークヴァルトの言葉に含むものを感じたシェイラは、うかがうように視線を合わせる。街中の諍いはそう珍しいものではない。飲んで騒いでのものだったり、店の間のいざこざだったり原因は色々あるが、大概は兵士が割り込めば静まるものである。
ジークヴァルトと行動を共にするとなれば、相当腕の立つ者であろうはずなのに何故、彼自身までもが向かおうとするのか。そのような疑問を言葉にすることなく視線だけで問えば、相変わらず聡いと、苦笑が戻ってくる。
「貴族が絡んでいるらしい」
「貴族が?」
「部下を置いていくから、少し待っていてくれ」
シェイラが次の言葉を発する前に、ジークヴァルトは駆け出して行ってしまう。
シェイラは振り返り、マノントン夫人を見ると、彼女も困惑した表情を浮かべている。
貴族というのが本当で、見に行かせた兵士というのが平民出身であれば確かに難儀をするだろう。そういう意味ではジークヴァルトが助太刀に行くのは間違ってはいないのだが。
「殿下、いけません」
「お嬢様!」
はっとしたシェイラは、マノントン夫人の制止も構わず、馬車から降りる。降り口のところでは、置いていくと言っていたジークヴァルトの部下が、やはり制止しようとするものの、すり抜ける。
「あなたは夫人を守っていてください」
「お嬢様、行かれてはなりません!」
「いいえ、私が行かなければなりません」
本当に貴族が諍いを起こしているのであれば、必要とされるのは名だ。
ジークヴァルトには名がある。
が、王弟殿下という尊き名を、このような往来で名乗らせ、晒すわけにはいかない。
シェイラは人混みをかき分けて前へと進んだ。
急がなければと焦っているのだが、人を押し分けで進むのは、ジークヴァルトのように背が高ければまだ別だろうが、シェイラには難しい。
その間、色々な人の声が入る。
今は随分落ち着き小雨となっているが、先ほどまで一時雨足が強かった。
ぬかるんだ道で、貴族の馬車が車輪をとられ蛇行し、脇道を歩いていた子供をはねた。
子供をはねたことで、馬車はさらに制御を失い、横転し、破損した。
事故だ。
一番案じられるべきははねられた子供の容体だというのに、馬車から出てきた貴族は怒鳴り散らし、子供の保護者に突っかかった。
責任を取れ、弁償をしろとわめき散らした貴族は、子供とその保護者を、家人に捕らえさせた。
そう、馬車が転がり、でっぷりとした貴族の男の背中を見られる場所までたどり着いた時には、おおよその状況を把握できていた。
シェイラがやってきた時、ジークヴァルトと部下の兵士により、貴族の家人という者達はのされていた。
兵士の背後で守られるようにしている子供と大人を見、シェイラのよく知る人達だったことに驚く。
「シスター・ミーナ、シスター・キリエ?」
シスター・ミーナとシスター・キリエ、そして4人の子供達。彼らに囲まれてもう1人子供がいる。怪我をしているのは、リュイか。
リッカ公爵家が設立に尽力した孤児院は現在王太后カテリーナの支援を受けていて、シェイラもカテリーナに連れられ、定期的に通っている場所だ。
「お嬢様!」
見知った顔に安心したのだろう、若い方のシスター・キリエが泣きそうな顔を上げながら、シェイラの手を握ってくる。
「リュイは大丈夫ですか?」
「はい、それほど深くはないのですが、怪我を」
「リュイ」
兵士が暴れていたらしい貴族の家人達を押さえていることで、余裕ができたのだろう、側の商店の女将が手当ての道具を持ってやってくる。シェイラには怪我の深さまでは分からないが、見た限り怪我をしているのは足だけのようで、ほっと息を吐く。
そして、泣きじゃくるリュイの頭を撫で、立ち上がる。
シスターと子供達のことも大事だが、別にやらなければならないことがある。
ジークヴァルトが貴族の男と対峙していた。
相手が誰かも気づかず責め立てているその男を真正面から見、見覚えのある顔だと気づく。
子供が往来を邪魔して飛び出してきたのだ。
保護者に責任を取らせるのが当然だろう。
そなたはどこの隊の者だ。
私は、軍の上層部にも顔が利くのだ。お前のような無礼な者は罰するよう言ってやる、と。
本当に、聞くに耐えない。
周囲の民衆達とはまったく異なる話を叫び続けているこの男は、恫喝し、自身の権力を誇示すればなんとかなるとでも思っているのだろうか。
ジークヴァルトも同様なのだろう。剣呑な表情をし、頬の筋がぴくりと動く。
「そなた」
ついに限界を超えたらしい。
いつもよりも数段低い、地を這うような声に、シェイラは慌てる。
こんなところで王弟殿下の名を出し、こんな男に恨まれるようなことが許せるはずもない。
「ジーク、あなたは下がってください」
いつになく厳しい声で、シェイラは告げ、2人の間に割り込んだ。
王弟殿下がジークと呼ばれることを、この男が知るはずもない。
「カラフェ男爵、この場はお引きくださいませ」
「お前はなんだ」
「宰相フェルディナンド=マティアスが娘、シェイラでございますわ、男爵」
王弟殿下の名と同様、マティアス侯爵家の名も容易く出していいものではない。
しかも、シェイラは王太子の婚約者で、カラフェ男爵はあの、アリアの父親に当たる。
寧ろ、シェイラの名を出すことの方が後々面倒なことを引き起こす可能性があったが、彼女にジークヴァルトの名を晒すという選択肢はなかった。
「マティアス…!」
「えぇ」
胸の下で指を組み、揺らぐことなく見上げる視線、いつもと異なり右目の方が表に出ていて、一見、柔らかな印象を与える。
が、深い深い理知的な碧は、反論を許さない強さを含み、男爵を見据える。
「失礼ながら、男爵のお話と周囲の方々のお話が異なっているようですわ。私がこれまで聞いた話では、男爵の馬車が蛇行して、脇を歩いていた子供をはねたとのことですが、違いますの」
凛とした声に、周囲が静かになる。
男は射殺さんばかりにシェイラを睨んでいるが、表立って侯爵家に楯突けるような家柄ではない。それでもと、再び自らの主張を繰り返そうとした男に、シェイラははっきりとした声で続けた。
「カラフェ男爵、この件はマティアスが引き継ぎます。男爵に主張があり、何かを求めると仰るというのであれば、後日、我が侯爵家に申し入れくださいませ。周囲の方々のお話などを聞き、侯爵家の方で裁定いたします。今は怪我をした子供が案じられますし、夕方の往来を邪魔し続けるのも難儀でしょう。ここはお引きくださいませ」
男は歯ぎしりをする。
いつまでもその立場にいられると思うなよ…!と、捨て台詞を吐いてくる意味を、シェイラは正しく受け取った。
すなわち、アリアがお前をその地位から引きずり下ろすのだ、と。
「あぁ、そうでした」
が、それには応じず、釘を刺すことだけを優先する。
「この話はマティアスが引き継いだのです。あちらの方々に直接何かをおっしゃるのはおやめくださいませ。王太后陛下カテリーナ様が支援をしている孤児院のシスターです。カテリーナ様がお心を痛められるようなことのないよう、お願いいたしますわ」
そして、反論を許さないとばかりに妃教育で培った完璧な笑みを張り付かせれば、その迫力に圧された男は黙り込むしかなかった。




