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銀河を揺るがす「超重力磁場嵐」——。
それは、いかなる最新鋭の聖律エンジンをも沈黙させる、宇宙の天災である。
白亜の戦艦は、磁場の乱れによって全ての非基幹システムがダウンし、銀河の孤島と化していた。
重力制御が不安定になり、足元から伝わる微かな振動が止まっている。
換気システムの低音も消え、艦内には不気味なほどの静寂と、メインの聖律エンジンが停止したことで切り替えられた予備の核分裂エネルギーによる独特の波長が漂い、天使種の光輪を震わせた。
「……申し訳ありません、リーダー。外部装甲の聖律回路が磁気干渉で焼き切れたものと思われます。復旧まで、私は機関室に張り付きます」
「了解した。復旧の目途は?」
「半日もいただければ、およそ60%の復旧を予測します。以降は復旧した聖律エンジンの自動修復機能に任せられるでしょう」
「そうか。この磁場嵐もおよそ16時間での通過が予測される。磁場嵐の通過と聖律回路の復旧を確認次第、出航するとしよう。面倒をかけるな、ドクター」
「いえ、これが私の職務ですので。それでは失礼いたします」
ドクターは、いつになく真剣な表情で制御端末に修理リストを入力すると、背後に控えていた実弟であるエリュシオンを振り返った。
その美しい淡青の瞳に滲んだ微かな焦燥の色に、エリュシオンの背筋はぴん、と伸びた。
「エリュシオン、お願い。私がいない間、アルシノエを見ていてあげて。今は船の動力供給も止まっているし、あなたは非番でしょう?」
「えっ……いや、僕は、その……」
エリュシオンが反論を口にする前に、ドクターは足早にメインデッキを去っていく。
残されたのは、ドクターの背中を見送って少し寂しそうな、けれど“お兄ちゃんたち”に囲まれてどこかワクワクした顔を隠す様子もない天使種の少女、アルシノエだ。
「ねぇねぇ、リュシくん、なにする?」
その期待に満ちた目線に耐えかねたエリュシオンは、いつもの艦長椅子で制御端末を操作していたリーダーに助けを求めた。
「……。……………………リーダー、助けてくれ………」
「……ふむ。アルシノエの退屈指数を低下させるための最善策か」
リーダーは眉間に深い皺を寄せ、極めて厳粛な口調で答えた。
その思考は、銀河の戦略図を読み解く時と同じ熱量で「遊び」を演算しているのだろう。
「……教本によれば、軍使の余暇は武器の分解清掃、あるいは座学だ。アルシノエ、今から私と一緒に『聖律弾道計算の基礎』を学ぶか?」
「なにそれ、つまんない!」
当然、アルシノエは頬を膨らませる。
「もっと、たのしいのがいい!」
「……。…………戦闘専門の私では、非戦闘時における彼女の満足度を充足させる手段を持ち合わせていないようだ」
戦場では無敗全勝、常に味方を勝利へと導く無敵の指揮官であるはずのリーダーはあっさりと敗北を認めた。
いくら常勝無敗の将軍であっても、少女の「たのしい」という概念の前では、一兵卒以下の無力さだった。
誰よりも頼れる、尊敬する指揮官である彼のなんとも頼りない姿に、エリュシオンはがっくりと肩を落とすしかなかった。
「おーーーーう!おはよう!!!」
そこに、突如として沈黙を破って現れたのは、暇を持て余したパラディンだった。
「なんだアルシノエ、暇か?よーし! 暇なら俺と戦艦クレイディア大冒険だ!」
彼は重厚なブーツの音を響かせ、メインデッキのテーブルに軽々と飛び乗る。
「今からこの部屋をジャングルに見立てて、サバイバルごっこをするぞ! 俺が猛獣役だ、ガオーッ!」
両腕両翼を大きく広げ、猛獣に扮したパラディンが大きく声を張り上げてアルシノエを追い立てた。
「わあーい!パラ兄、もうじゅうー!」
興奮してメインデッキを逃げ回るアルシノエは、黄金色の聖力を溢れさせ光輪を瞬かせながら広い部屋中を走り回った。
遊びにも全力を出すのがパラディンの流儀だとでもいうように、メインデッキの備品を跳ね飛ばしながら追い回す彼の足に跳ね飛ばされた椅子がエリュシオンの鼻先を掠める。
咄嗟に自慢の反射神経で避けたものの、さっきまで自分がいた場所に飛んできた椅子を見てエリュシオンは恐怖を感じた。
しかし、必死に逃げ惑うアルシノエは、恐怖など微塵も感じていない。
ここにいる仲間達が自分を傷つけるはずはないと確信しているのか、それともただ楽しくて興奮が目を曇らせているのか。彼女の“共鳴”がパラディンの肉体強化の加護を強めていく。
その時、その楽し気な声に誘われたのか、顔を出したホークアイが走り回るアルシノエを軽々と抱き上げた。
「ちょっとパラディン、野蛮な遊びはやめてちょうだい」
「あー?なんだよホークアイ、楽しんでたってのに。なー?アルシノエ?」
「うん!アルシノエ、とってもたのしいよ!!」
「そう?でもこっちの方がもっと楽しいんじゃないかしら?」
ホークアイがつい、と空中をなぞる。その指先には極彩色の聖力が宿っていた。彼女がまるで空に何かを描くように指を振るたび、虚空から光の粒子が編み上げられ、シルクの光沢を持つドレスが咲いていく。
「わあ!星のおひめさまだあ!!」
「ふふ、素敵でしょ?これはホロ・コスチューム・アトリエといって、聖律でプログラムしたアルシノエにピッタリな衣装を作るシステムよ。ドクターと開発を続けてたものがやっとプロトタイプまで漕ぎつけて──」
「ちょっとホークアイ、君まで姉さんを変な趣味に巻き込んで面倒押し付けたの?」
「なによ、ドクターだって乗り気だったのよ?それにこの子がこーんなに喜んでるんだからいいじゃない」
ただでさえ多忙の姉がまた部隊員の我儘に付き合っていたことを知り、エリュシオンは頭を抱える。
元来、このチームは戦闘に特化しているため、平時は後方支援員である自分や姉の仕事が増えるのは理解しているものの、姉が子育てまで主に担当しているこのままでは姉のプライベートはあってないようなものだろう。
しかしそれも、きっとエリュシオンがいくら口を酸っぱくして窘めたとしても姉が聞き入れることはないはずだ。
純白のフリルが波打ち、シンクのレースに包まれ、次の瞬間には星屑をちりばめたような輝石の光沢に飾られながらも輝きが一切損なわれない少女のこの笑顔を見れば、姉は全て報われたと感じるのだろうから。
「リュシくんも! いっしょにやろ!」
少女の小さな手に腕を掴まれた瞬間、エリュシオンは背筋に走る奇妙な熱を感じた。……逃げ場はない。
「……ったく、しょうがないな」
小さく息を吐き、聖律エンジンに回せず体内に保有していた聖力を解放する。
光の粒子は空中で小動物の幻影として形を成し、ドレスで着飾ったアルシノエの足元に擦り寄る姿は、まるで動物たちと戯れるお姫様そのものだ。
「きゃあ!」と弾けるように声を上げたアルシノエの感興に呼応するように、小動物は一匹、二匹と数を増やす。
一匹。
二匹。
四、八、十六───
光が、十、二十と指数関数的に増え、狂ったように室内を乱舞する。
「……おい、ちょっと待て、これヤバいんじゃ」
エリュシオンの頬を冷や汗が伝う。
自身の聖力が、アルシノエの共鳴能力という不可視の重力に吸い込まれ、制御を離れて増幅されていく。ただでさえ聖律エンジンに回されなかったせいで余った聖力が際限なく溢れていくのを感じていた。
危険を察知したリーダーが展開する転倒防止の障壁が聖力の暴発を抑え込むために形を変え、ホークアイの聖律は色彩の暴力となって室内を埋め尽くしていく。
「あははは! たのしい! もっと、もっとやってー!」
歓喜に叫ぶアルシノエの頬は、林檎のように赤い。
メインデッキの空気は、熱狂によって密度を増し、まるで飽和状態の爆薬のようにパチパチと火花を散らし始めた。
やがて誰もがその「危うさ」に気づいた時には、既に室内の聖力密度は限界を超えていた。
─────
数時間後。
「……ただいま戻りました」
想定よりも早く修理を一通り終え、リーダーへの報告の為にメインデッキに戻ったドクターの声が静かな室内に響く。
誰も、返事をしなかった。
4人の動きが、不格好なポーズのまま凍りついている。
崩壊したメインデッキ。
散乱する備品。
無数の衣装に、壁に焼き付いた色彩聖律の残滓。
そして、祭りの終わりのような虚脱感の中に横たわり、顔を真っ赤にしてぐったりとしているアルシノエ。
ドクターは入り口に立ったまま、この惨状をただ見つめていた。
彼女は何も言わず、一歩ずつ、瓦礫の山を避けてアルシノエへと近づいていく。
その沈黙の秒数が、4人には永遠の刑期のように感じられただろう。
ドクターはひざまずくと、羽毛に触れるような手つきで、アルシノエの額に白く細い手を当てた。
「……知恵熱ですね」
立ち上がったドクターの背後に、物理的な圧力さえ感じるほどの「黒いオーラ」が渦巻くのが見える……気がした。
「皆さんは、『導閃隊』という肩書きをどこに置いてきたのでしょうか? 一人の女の子の体調管理もできないとは……なんとも、情けない」
その声は、わずかに掠れ、湿り気を帯びていた。
ドクターの瞳に宿っているのは、怒りではない。大切なものを壊しかけた自分への苛立ちと、隠しきれない心配の色だった。
彼女の握りしめた拳が、小さく震えている。
「リーダー、パラディン、ホークアイ、エリュシオン」
「「「「は、はいっ!」」」」
「アルシノエが眠るまで、四人とも廊下で正座。……いいですね?」
その言い方は、いつもの命令口調よりもずっと幼く、どこか縋るような響きがあった。
─────
冷たい廊下に、いくつもの世界を救った英雄たちが一列に並ぶ。
誰も口を開かない。ただ、扉一枚を隔てた向こう側から、小さく、規則正しい寝息と子守歌が響いている。
先ほどまでの狂熱が嘘のような、静かな夜。
膝に伝わる廊下の冷たさこそが、自分たちがしでかした過ちの証左だ。
エリュシオンは、冷たい壁に頭を預けて目を閉じた。
結局、自分もあの熱狂の共犯者だったのだ。痛む膝をさすりながら、彼は銀河を揺るがす嵐の音よりも、この静かな寝息の方がずっと心臓に悪いと確信していた。
「……反省しよう」
誰の呟きだったか。
誰も返事はしなかった。けれど、暗がりの廊下で、四人の心は静かに、そして確かに重なり合っていた。
【用語・設定解説】
『聖律』
天使が扱う奇跡の力を術式として構築した技術のこと。悪魔や魔族が使うものは魔法や魔導、天使が使うものは奇跡や聖律と呼ばれる。
聖力と呼ばれる天使特有の力を燃料としているため、そのままでは他の種族では扱えないが、聖律術式は技術である為に聖力を魔力で代用することで扱うことも一部では可能である。
『それぞれの年齢』
天使種は長い寿命を持っている上、世界が破滅と創造を繰り返しているため時間という概念自体が人間と同等の価値観で適用されていない。
一応、外見年齢はリーダー(22)、パラディン(24)、ホークアイ(21)、ドクター(20)、エリュシオン(18)
例外的にアルシノエは現状300年生きている設定。外見年齢は3~5歳程度であり、300年生きているとはいえ知能は外見年齢同等の3~5歳程度。




