第42景
病人食の芋粥入りの小さい鍋を厚手の手袋で抱え、少女のお姉さんが待つ隣の家に帰る。まあ、帰るというほどの距離でも無いか。ほんの数歩歩くと、マティスちゃんが元気よく扉を開けて帰還を告げた。
「おねえちゃーん、帰ったよー!」
扉の向こうの暗闇に少女の声が響く。
当然人がいなければ明かりは無い。隣家で食事をいただいている間に外はすっかり暗くなっていたので、明かりは街灯のものと少女が持つ角灯 のものだけだった。そのぼんやりとした赤い光の中にさっき片付けたせいで広々とした何も無い玄関が……
「……ああ…………うう」
「ひやぁあ!?」
玄関に広がった何か真っ青なものが角灯の光の中に浮かび上がり、うめきながらずるずると這いよってくる。
思わず悲鳴をあげあとずさる。これは、なんだ? まさか伝説の魔獣巨大粘性体 か!? とっさに左手だけで鍋を抱え、右腰から抜いた魔剣 を構え一歩少女の前に出た。
巨大粘性体 とは勇者の伝説のみに出てくる魔獣である。端的に言えばそれは巨大な動く水。その本質は、必ずしも水とは限らないのだが、なぜ魔獣に分類されているのかわからない、伝説的な存在である。
一般的な魔獣というのは、世にいる一般的な動物……犬や猫、うさぎ、狼や熊といった動物と同じ姿で、ふたまわりほど大きく魔法的な特徴があるものをいう。スライムにはつまり、一般的な動物 に当たる存在がいないのだ。本体がそうだということを考えなければ、魔法的な特徴(炎のえりまきとか、爪と牙が氷だとか)というのも無い。
ちなみに世にいる一般的な動物で無いもの……ドラゴンやモノケロス、カーバンクルなどの分類は幻獣と呼ばれ、むしろ普通の獣と幻獣の区別の方が難しかったりするんだが、とりあえず幻獣は全身が淡く発光し、目に鋭い光を湛えているそうだ。まあ、魔獣にせよ幻獣にせよ幸いなことに見たことは無いので、詳しくは知らないのだが。
はっきり言ってドワーフたちが作るというゴーレムなどの人工生物に近いと思うのだが、一応彼らがスライムを作ったという事実は存在しないし、勇者があれらを魔物と呼んで大いに喜んだとかなんとか言われているので、多分魔獣である。
そんなものがなんでここに!? もしやドワーフの作る人工生物の類ではなく、エルフの精霊魔法で作られる何かなのか? それでこの都市に元から生息して……!?
「おねえちゃん……ねてなかったの?」
「おねえちゃん……お姉ちゃん!? これが!?」
え、これ人間なの? それともお姉ちゃんとやらがスライムなの? そりゃ人種が特定できないのも無理無いわ。
「……かえった…………のね……まてぃす」
「しゃべった!?」
「この…………そうぞうしく……て……しつれいなの…………は、なに?」
「さっきいった、おみせを手伝ってくれるおねえ……おにいさんだよ。もってるのはおとなりさんにつくってもらったいもがゆのおなべね」
「…………ほう」
ぼそりとうめいた青い物体はぬるりと起き上がり、突如骨のように白いものが突き出し、突き出した場所より高い場所の青い何かをかき分けるような動きをする。ああ、これ髪の毛だ。腕で顔の辺りのをかき分けてるんだな。そうそたオレの判断を裏付けるようにかき分けられた隙間から目が一つだけ覗いた。
うん、まさか青い色の毛なんてものがあるとは思わなかったから最初は妙な塊としか思えなかったけど、目があるなら確かに人なんだろう。でも普通人の髪って黒、赤、茶、金、白とかじゃ無いのか。桃色とか橙色とかも聞いたことはあったけど、生まれてこのかた青は聞いたことが無い……せいぜい植物系セリアーンが緑だという伝説があるくらいじゃないか。獣の類だって青い毛なんて聞いたこと無いぞ。魚の鱗じゃあるまいし。
そんなオレの戸惑いはどこ吹く風で、その……推定青い髪のお姉さんはオレの目を見て話し出した。
「ようこそわがやへ…………いもうとのめんどうをみてくれてありがとう」
「あ、はあ、どうも。あの、無理なさらず部屋で休んでください。あとで皿に持って芋粥持ってくんで」
「ああ…………ありがとう……よろしく」
言うだけ言ってお姉さんは玄関から部屋の方へと帰っていく。後ろから見ると青い塊に逆戻りだな。ううん、とりあえずあとで髪をとかしてまとめてあげようか。一度顔を合わせたし、もう少し積極的に接してもいいだろう。今度こそ彼女に魔剣 を使わせてあげてもいいだろうし。
「しかし……うっかりオレ剣を向けたままなのに、お姉さん気にもしないな」
「おねえちゃんのほうちょうさばきすごいんだよ!」
「……そういう問題じゃ無いと思うんだが」
「そう?」
「そうだと思うんだがなあ……」
いつも読んでくださってありがとうございます。
名前は芋粥ですが、あの芋粥とはおそらく別物ですので悪しからず。




