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スキルを失ったあとに。  作者: カミツキ
第一章 裁定の内側

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第13話 敵がいない

 東門の鐘が、短く鳴り続けていた。


 三つの影が屋根を横切り、翼から落ちた風が瓦を剥がした。広場へ破片が降り、買い物籠を抱えた女が子供の腕を引いて路地へ入る。


飛竜(ドレッドウォック)だ!」


「地下通路を開けろ!」


 ギルドの扉から冒険者たちが走り出した。剣を持つ者は広場へ散り、弓兵は時計塔へ、術師は東門の前へ集まっていく。


 先頭にいた女が盾を構えた。


 短い赤髪。左頬には、牙で裂かれた傷が残っている。胸の銀章には、剣と封印杭が交差していた。


「第一班は西側へ! 住民を路地から出さないで!」


 副長兼封印管理官のセラが剣を抜いた。


 一体のドレッドウォックが翼を畳み、広場へ落ちてくる。露店の天幕が爪で裂かれ、倒れた柱のそばでは老人が石畳へ膝をついていた。


 飛竜の喉に火が集まる。


 セラが老人へ走った。


「まだだ」


 ギルドの屋上から声が落ちた。


 黒川拓真(くろかわたくま)が縁へ片足を掛けている。黒い外套の下には、魔王の角から削り出した剣があった。


「ギルド長!」


「待て」


 拓真の前に金色の文字が浮かぶ。


【対象指定】

【灰翼飛竜】

【勝利条件――討伐】


 ドレッドウォックの首筋へ金色の線が走り、石壁の亀裂と、煙突の脇を抜ける風と、拓真の足元を一本の道で結んだ。


【勝利確定】


「今だ」


 拓真が屋上を蹴った。


 ドレッドウォックの炎が広場を走る。拓真は火の中へ入り、金色の線に沿って剣を振った。


 炎が左右へ割れた。


 飛竜の首が、老人の手前へ落ちる。


 拓真は石畳へ降り、外套に残った火を手で払った。皮膚にも服にも傷はない。


 残る二体が時計塔へ向きを変える。


【対象追加】

【勝利条件更新――三体討伐】

【勝利確定】


 屋根から吹き下ろした風が拓真の背を押した。拓真は石壁を蹴って一体目の翼を断ち、落下する身体へ足を置く。そのまま二体目の尾を潜り、胸へ剣を入れた。


 二つの影が、城壁の外へ落ちた。


 鐘が止まる。


 広場に歓声が戻った。


「拓真様!」

「英雄だ!」

「ギルド長!」


 拓真が剣についた血を払うと、木剣を持った子供が駆け寄って腕を上げた。


「俺もギルドに入る!」


「十年早い」


 拓真が子供の頭へ手を置き、周囲から笑い声が上がる。


 広場の端では、セラが老人を起こしていた。老人の袖は焼け、右腕に赤い筋が走っている。


「治療班、こちらへ!」


 二人の治療師へ老人を預けると、セラは落ちたドレッドウォックの首へ戻った。鱗の下から鉄の首輪を引き出す。


 西の飼育塔を示す刻印があった。


 壊れた錠の隙間には、銀色の破片が挟まっている。


「ギルド長」


 拓真は広場の人々へ手を上げている。


「この個体は、西の飼育塔から出ています」

「管理官へ聞け」

「塔の三体が消え、予備鍵もなくなりました」

「ドレッドウォックは倒した」

 拓真がギルドへ向かう。

「死者はいない。それで十分だ」

「放されなければ、負傷者も出ませんでした」


 歓声が拓真の背中を越えていく。


「何が言いたい」


 セラは首から飼育塔の統括鍵を外した。


「私の鍵はここにあります」


 拓真の外套の内側で、金属が鳴った。


「見せてください」

「命令するな」

「副長として確認します」


 拓真は周囲へ顔を向けた。笑っていた人々の口が閉じ、治療師が老人の腕へ布を巻いている。


 外套から出した統括鍵は、先端の一部が欠けていた。


 セラは首輪から抜いた銀の破片を、欠けた場所へ重ねる。


 形が合った。


「ドレッドウォックを放したのは、あなたですか」


 拓真は答えず、セラの向こうを見た。


 白い服の女が、人の間を歩いてくる。誰も道を空けていない。それでも女から伸びる藍色の糸は、拓真の胸へ入っていた。


「黒川拓真」


 拓真の肩が動く。


「その名前を知る者は、この世界にはいない」

「エイルです」


 拓真の前へ金色の文字が浮かぶ。


【対象指定】

【天使エイル】

【勝利条件――】


 最後の行が崩れ、文字が最初から組み直された。


【勝利条件を設定できません】


「お前か」


 拓真の右手が剣の柄へ触れる。


「俺に力を寄越した天使」


「スキルを回収します」


 拓真は治療を受ける老人へ一度だけ目を向けた。


「今日は忙しい。次の予定もある」

「ジェネシックドラゴンですか」


 拓真の指が柄から離れた。


 セラは銀の破片を握る。


「なぜ、その称号を」


 ジェネシックドラゴン。


 古代語で、始まりに属する竜。現存する竜種の祖とされ、確認されている個体は一体だけだった。


 その存在を知るのは、王家とギルド長、封印術師に限られている。


 拓真から伸びた金色の線が石畳へ沈み、ギルドの地下を抜けて山の奥へ続いていた。


「《必勝》が封印の中へ道を作っています」


「ギルド長」


 セラが拓真との間を詰める。


「地下で何をしたんですか」

「何もしていない」

「六基の封印塔へ触れられるのは、あなたと封印管理官だけです」

「なら、お前を疑えばいい」

 セラは欠けた統括鍵と、銀の破片を拓真の前へ並べた。

「飼育塔の鍵を壊したのは、私ではありません」

 拓真はエイルを見る。

「回収は、いつまで待てる」

「待ちません」


「ジェネシックドラゴンを倒すまでだ」


「討伐してはいけない竜です」


「俺なら倒せる」


 セラの指が胸の銀章へ触れた。


「心臓を壊せば、蓄えられた魔力が地脈へ逆流します。山は崩れ、北の川は沸騰する。王都の地下魔術網まで焼けます」


「封印者が残した予測だ」

「だから、眠らせ続けているんです」

「誰も倒せなかったからだ」

「倒せば終わる相手ではありません」


 拓真はギルドの向こうにある山を見上げた。頂上は雲へ入り、斜面には六基の封印塔が間隔を空けて立っている。


「魔王を倒した。北方の巨人王も、海底の蛇も倒した」


 広場には、三体のドレッドウォックが横たわっていた。


「こんなものでは、もう線が短すぎる」


「線?」


 拓真の右手が開く。

 金色の輪は浮かばない。


「敵がいなければ、剣を振る場所も、踏む石も、吹く風も見えない。朝から依頼書へ印を押し、揉め事を聞き、倉庫の数を確かめる」


 何もない空中へ指を伸ばす。


「そこには《勝利確定》の文字が出ない」

「私たちが望んだ世界です」

「お前たちのだ」

 拓真の指が閉じた。

「何をしても、正しかったか分からない」

「だから、敵を作ったのですか」

「敵がいれば答えが出る」


 倒れたドレッドウォックへ顔を向ける。


「倒せば、俺が正しかったと分かる」


 老人の腕へ巻かれた布に、血が広がっていく。


「死ぬのは、あなたとは限りません」

「最後には俺が勝つ」

「山と街が残る保証はありません」

「ジェネシックドラゴンが死ねば終わる」

「終わるのは、あなたの勝負だけです」


 セラの手から銀の破片が落ち、石畳へ音を残した。


「私を助けた日も?」


 拓真がセラを見る。


「森で魔獣に襲われた日です。あの魔獣も、あなたが放したんですか」

「違う」

 返事は途切れなかった。

「あれは偶然だ」

「では、あの日のあなたは、本当に私を助けた」

「ああ」

 セラの指が左頬の傷へ触れる。

「いつからですか」


 広場のドレッドウォックへ顔を向けた。


「助ける相手まで、自分で作るようになったのは」


 ギルドの入口には冒険者たちが集まり、木剣を持った子供の腕は下がっていた。


「去年、南門に出た岩獣も?」

「訓練のつもりだった」

「三人死にました」

「予定より壁を越えた」

「あなたが出さなければ、誰も死ななかった」

「俺が倒した」

「あなたが出した!」


 セラの声が広場の壁へ返る。


 拓真の手が剣へ伸びた。


「誰に向かって口を利いている」


「私を救った人にです」


 セラは剣を抜かない。


「ギルドを作った人に」


 一歩進む。


「南門で三人を死なせた人に」


 拓真の剣が鞘から半分出た。


【対象指定】

【セラ】

【勝利条件――】


 金色の文字が揺れる。


 拓真は剣を鞘へ戻した。


「地下へ行く」


 セラが道を塞ぐ。


「封印鍵を渡してください」

「どけ」

「ジェネシックドラゴンは解放させません」

「封印は永遠には持たない」

「現在の出力なら、百年以上持ちます」

「百年後に、誰が倒す」

「百年後の人たちが決めます」

「俺なら今、倒せる」


 拓真がセラの肩を掴む。


「俺がいるうちに終わらせる」


 セラは動かず、肩へ食い込んだ指を見る。


「終わらせたいのではありません」


 拓真へ顔を戻した。


「始めたいんでしょう」


 山の中から、石を擦る音が届いた。


 広場の噴水へ波が立ち、井戸の水が縁を越える。屋根から瓦が落ち、ギルドの地下で警報板が鳴り始めた。


 街を囲む森から鳥が一斉に飛び立つ。


 セラの顔が山へ向いた。


「何をしたんですか」


 拓真は外套から、青黒い石の鍵を出した。表面に刻まれた一本目の角だけが砕けている。


「第一封印塔の接続を切った」


 山頂の岩盤が、内側から持ち上がった。


 斜面を走った亀裂が第一封印塔の下へ届き、塔の青い光が消える。残る五基の光が細くなった。


 砕けた岩の間から、六本の角が現れた。


 続いて頭部と首が山から持ち上がり、岩盤に近い鱗が土と木を押し退ける。片方の翼が斜面を破って開き、先端が雲へ入った。


 もう片方の翼と四本の脚、山中へ伸びた尾は、残る五基の封印塔につながる青い杭に押さえ込まれている。


 金色の目が開いた。


 ジェネシックドラゴンが首を動かすだけで、地面がうねった。


 北側の家の壁が通りへ倒れ、地下通路の天井から石が落ちる。広場の女が子供を抱え、噴水の陰へ伏せた。


 時計塔の封印術師が杖を上げた。先端に集まった青い光は術式へ入らず、細い筋となって山の口元へ吸い上げられる。


 ジェネシックドラゴンの身体から剥がれた古い鱗が、山肌を転がる。


 鱗の隙間から四本の脚が伸び、二、三メートルほどの獣へ変わった。翼はなく、岩盤状の背を持つ。


「ジェネシックドラゴンの眷属、裂鱗獣(スケイルハウンド)です!」


 時計塔の封印術師が叫ぶ。


 スケイルハウンドは街の人間には向かわず、山から北壁へ降り、封印塔へ魔力を送る導管へ爪を立てた。


 第二封印塔の光が揺れる。


「第二塔、出力低下!」


「三基目が落ちれば、原初炎(プロトフレア)が街へ届きます!」


 街中の鐘が鳴り始めた。


 拓真は倒れた家ではなく、山から現れたジェネシックドラゴンを見ていた。


 口元が持ち上がる。


「やっとだ」


「ギルド長の指揮権を停止します」


 拓真がセラを振り返る。


「何を言っている」


「全員、封印事案へ移行! 討伐はしません。封印術師は地下盤、戦闘班は北壁でスケイルハウンドを導管から離してください!」


 冒険者たちが動いた。


 拓真の横を通り過ぎ、地下と北壁へ分かれていく。誰も拓真の指示を待たず、誰も剣を渡さない。


「待て!」


「救助班は北区画へ! 第二班は避難を続けて!」


 セラはギルドへ走り、広場には拓真とエイルが残った。


 山の上から、ジェネシックドラゴンの目が街を見下ろしている。


【対象指定】

【ジェネシックドラゴン】

【勝利条件――討伐】

【勝利確定】


「俺が倒す」


 拓真が剣を抜いた。


 エイルは正面へ立つ。


「どけ」

「回収します」

「勝利は確定している」

「あなたの勝利だけです」


 拓真が踏み込み、剣を振る。


 刃が白い服へ届く前に、エイルの掌が胸へ触れた。


 金色の線が、拓真の全身から世界へ伸びる。


 剣先からジェネシックドラゴンの喉へ。


 喉から山中に埋まった胸へ。


 岩盤の下にある心臓を貫いた線は、そこで幾つにも分かれた。


 山の根。

 北の川。

 街の井戸。

 王都へ続く地下魔術網。


 金色の光が、すべてを一本の勝利へつないでいる。


 時計塔の弓兵が構えた矢にも、スケイルハウンドに削られる魔力導管にも、地下で封印盤へ魔力を送る術師の胸にも線が走っていた。


 術師の前にある支柱へ亀裂が入る。

 その亀裂を通った線が、ジェネシックドラゴンの心臓へ届く。


 拓真が勝つための道だった。


 その先に、街の勝利はない。


「待て」

 拓真がエイルの腕を掴む。

「今、取るのか。封印が落ちれば街が焼けるぞ」

 エイルは、術師の胸と地脈を通る線を見た。

「この人たちが死に、山が崩れても、あなたは勝ちます」

「ジェネシックドラゴンを倒せば終わる」

「川も王都の魔術網も残りません」

「それでも、ジェネシックドラゴンは死ぬ」

「終わるのは、あなたの勝負だけです」


「俺にしか倒せない!」


 エイルの指が胸へ沈む。


 金色の線が、風から、石から、矢から剥がれ始めた。術師の胸と地脈を通っていた光も外れ、一本ずつ拓真の身体へ戻っていく。


「返せ!」


 最後に残った文字が、拓真の前で揺れる。


【勝利確定】


「スキル、《必勝(ヴィクトリア)》を回収します」


 勝利確定の文字がほどけ、金色の糸となってエイルの掌へ流れ込んだ。


 風は拓真の横を通り過ぎた。


 石畳の亀裂は、どこにも続いていない。


 ジェネシックドラゴンの心臓と地脈から金色の印が消えた。


 スキルを回収した。


 拓真の腕が下がり、剣の重さが両手へ移った。


 ジェネシックドラゴンが口を開いた。


 喉の奥で、地脈から吸い上げた魔力が白く熱を持つ。胸郭は山中へ固定されている。それでも、広場まで届く熱が空気を歪めた。


 残る封印杭が首を引き、ジェネシックドラゴンの顔を山側へずらす。


 プロトフレアが斜面を走った。


 岩が溶け、第一封印塔へ続く石段が赤く崩れ落ちる。炎は山裾で途切れたが、熱だけが北壁へ届き、兵の盾と石を焼いた。


 拓真は剣を持ったまま動かなかった。


「勝てるのか」

「分かりません」

「俺は、あれより強いか」

 エイルはジェネシックドラゴンと、拓真の剣を見た。

「分かりません」

「弱点は」

「見えません」


 拓真は空中へ手を伸ばした。


 時計塔の旗は南へ倒れている。


「俺を勝たせる風は」


 指が何もない空間を掻いた。


 ギルドの地下から青い光が上がり、残る五基の封印塔を結んだ。封印杭がジェネシックドラゴンの首へ沈み、片翼を山肌へ引き戻す。


 北壁からセラの声が届く。


「第一封印塔の導管を確保! 交換石を地下へ!」


 術師たちは地下盤へ魔力を送り、戦闘班はスケイルハウンドを導管から引き離している。


 拓真の指示はない。


 ギルドは止まらなかった。


「俺が行く」


 拓真が北壁へ走った。


 エイルは、術師の胸から消えた金色の跡を見たあと、その背を追った。


* * *


 北壁の外側を、スケイルハウンドが駆け上がっていた。


 四本の爪が石の継ぎ目へ入り、壁の上にある魔力導管を目指している。


 セラが一体目の爪を盾で受け、隣の冒険者が前脚へ剣を入れた。負傷者が下がると、次の班が空いた場所へ入る。


「第二班、治療へ! 四班が前へ! 封印術師から離さないで!」

 拓真が階段を駆け上がる。

「俺が前へ出る!」

「北東導管を守ってください!」


「俺がジェネシックドラゴンを倒す!」


「討伐はしません!」


 一体のスケイルハウンドが、導管へ両手を置く封印術師へ跳んだ。


 拓真は石壁を蹴り、首へ剣を振る。


 金色の線はない。


 刃が岩盤状の鱗へ当たり、外側へ滑った。持ち上がった腕の下へ尾が入り、拓真の身体が壁の上を転がる。


 剣が手から離れ、スケイルハウンドの牙が顔へ近づいた。


 横からセラの剣が顎の下へ入り、首を断った。


 黒い魔力が拓真の頬へ散る。


 セラが刃を引き抜いた。


「立てますか」


 手は差し出さない。


「俺が仕留めるところだった」

「次が来ます」


 セラは背を向け、空いた場所へ入った。


 拓真は剣を拾い、石壁へ手をついて立ち上がる。周囲では班が入れ替わり、負傷者が運ばれ、空の矢筒が新しいものへ交換されていた。


 封印術師は導管へ手を戻し、運搬班が青い封印石を地下への階段へ渡していく。


 誰も拓真の名前を呼ばない。


「交換石、地下盤へ到着!」


「第一封印塔、再接続に入ります!」


 山の斜面では、消えていた第一封印塔の根元へ青い光が戻り始めた。


 ジェネシックドラゴンの頭部が岩の中へ引かれ、開いていた片翼も斜面へ沈んでいく。


 自分が倒さなくても、封印は戻る。


 最後のスケイルハウンドが壁から落ちると、セラは盾を別の班へ渡し、封印室へ向かった。


 拓真は剣を拾った。


 北壁を下りる途中で、皆が使う階段を外れる。ギルド長だけが知る保守用の扉を開き、山の下へ続く狭い階段へ入った。


 エイルは、そのあとを追った。


* * *


 地下の封印室では、術師たちが円形の盤を囲んでいた。


 中央から六方向へ伸びる溝のうち、第一封印塔へ向かう一本だけが暗い。運ばれてきた青い封印石を、最前列の術師が欠けた受け口へ差し込んでいる。


「出力を維持してください! 接続まで十秒!」


 青い光が封印石へ集まり、暗かった溝を山の方角へ進む。


 セラは術師の横で、石がずれないよう両腕を添えていた。


 封印盤の裏側にある扉が開く。


 拓真が出てくる。


「ギルド長?」


 最前列の術師が振り返った。


 拓真は答えず、剣を振り下ろした。


 刃が封印盤を割った。


 六基へ分けられていた魔力が行き場を失い、剣を伝って逆流する。青い光が最前列の術師の胸へ入り、その身体を柱へ叩きつけた。


 後頭部が石へ当たり、術師は床へ落ちた。


 動かない。


 第一封印塔へ伸びかけていた光が消え、五基の封印塔も一斉に明滅した。


 山中でジェネシックドラゴンが身体を持ち上げる。


 片翼が再び岩を破り、第二封印塔の杭が首の鱗から半分抜けた。


 封印室の天井から砂と石が降る。


「閉じるな」


 拓真は割れた盤から剣を抜く。


「俺が倒す」


 セラが倒れた術師の首へ指を当てた。


 脈を探していた指が止まる。


 拓真は階段に立つエイルへ剣を向けた。


「必勝を返せ!」

「返しません」

「これを閉じたら」

 拓真の呼吸が石壁へ当たる。


「俺は必要なくなる」


 割れた封印盤から漏れる青い光が、倒れた術師の顔を照らしている。


 セラの手が首から離れた。

「そのために、この人を?」

 拓真は答えない。

「ギルドは、あなたがいなくても封印を戻していました」

「運がよかっただけだ」

「あなたがいなくても」


「俺が作ったギルドだ!」


 声が石壁へ返る。


「俺が育てた。俺が救った。俺がいなければ、お前は森で死んでいた!」


「はい」


 セラが立ち上がる。左頬の傷が、歯を噛む動きで引かれた。


「あなたに救われました」

「なら」

「だから、あなたが壊したものを直します」


 胸の銀章を外し、倒れた術師の隣へ置いた。


「もう、ギルド長ではありません」


 剣を抜く。

「黒川拓真。剣を捨ててください」


 拓真がセラへ剣を向ける。


 目の前に文字は出ない。


 床にも、剣先にも、勝利へ続く線はない。


「スキルのせいですか」


 エイルは倒れた術師を見る。


「《必勝》がある間、あなたは勝てると分かって危機を作りました」


 拓真の手が剣を握り直す。


「俺だから勝った」

「今は、勝てるか分からなかった」

「それでも俺なら」

「ギルドだけで封印できることも見ました」


 拓真の剣先が止まる。


「それでも、自分が必要になるように封印盤を壊しました」


 セラの背後から冒険者たちが封印室へ入った。二人が拓真の腕を押さえ、もう一人が剣を奪う。


 刃が床へ落ちた。


「予備盤を運べ!」

「術師を交代させろ!」

「残る五基へ出力を戻せ!」


 誰も剣の音を振り返らず、割れた盤を囲む。


 拓真は両腕を押さえられたまま、人が自分の横を通り過ぎるのを見た。


「俺も行く」


 セラは予備の分配盤を受け取る。


「必要ありません」

「戦力が足りない」

「あなたが減らした分です」


 予備盤が割れた場所へ入り、六方向の溝へ青い光が戻り始めた。


 エイルの手の甲に名前が浮かぶ。


黒川拓真(くろかわたくま)


「セラを救ったことは消えません」


 拓真の動きが止まる。


「魔王を倒したことも、ギルドを作ったことも」


「なら」


 エイルは、白い布を掛けられた術師へ顔を向けた。


「この人を殺したことも消えません」


* * *


 最終封印が閉じたのは、夜が明ける前だった。


 最後に第一封印塔の光柱が戻り、六本の青い光が山を囲んだ。


 ジェネシックドラゴンの片翼が岩の中へ沈み、首と六本の角も山肌の下へ消えていく。封印杭が鱗へ戻り、山中の尾が動くたびに続いていた地鳴りも止まった。


 街に歓声はなかった。


 北区画では崩れた壁の下から住民が運び出され、井戸の周りには濁った水が残っている。北壁の石はプロトフレアに焼かれ、表面が黒く溶けていた。


 負傷者がギルドの広間へ並び、その中央へ白い布を掛けられた術師が運び込まれた。


 拓真は柱の前へ座らされ、両手と足に枷を付けられている。


 セラが正面へ立った。


「街へ公表します。ドレッドウォックを放したこと。南門の岩獣。第一封印塔の接続を切ったこと。再接続を止めるため封印盤を破壊し、封印術師を殺したこと」


「ギルドが終わるぞ」

「終わらせません」

「俺の名で人が集まった」

「今度は、私たちの名前で残します」


 拓真は壁を見た。


 魔王討伐の絵が掛かっている。中央では拓真が剣を掲げ、その背後に仲間たちが並んでいた。絵の下にある金板には、拓真の名だけが刻まれている。


「俺を閉じ込めるのか」

「裁判へかけます」

「俺が救った人数の方が多い」

「数えません」

「比較しろ」

 セラは白い布を見た。


「助けた人数が多ければ、この人を殺していいんですか」


 拓真の枷が鳴った。


 エイルの掌に三つの印が浮かぶ。


 大地。

 門。

 色のない白い枠。


 拓真の顔が門へ向いた。内側には、日本の夜道が映っている。転移した場所にあった店はなく、見覚えのない建物の明かりが並んでいた。


「送還しろ」


 拓真が枷を引きずり、門へ身体を向ける。


「日本なら、また始められる」

「何を始めますか」

「何でもだ」


 セラが拓真の枷へ手を伸ばした。


「この世界へ残してください。ギルドで監視します」


「いつまでですか」

「生きている間、ずっと」

「あなたが?」

「はい」

「セラ」

 拓真の口元が上がる。


「やっぱり、お前には俺が必要だ」


 セラの手が止まった。掌には乾いた血がつき、剣を握っていた場所の皮膚が裂けている。


 エイルはその手を見る。


「あなたが、この人の檻になる必要はありません」


 セラの指が枷から離れた。


「この人を見張るために、残りの時間を使わないでください」


 拓真の笑みが消える。


「送還しろ」


 門へ腕を伸ばした。


「ここの裁判からも逃げられる。お前にも都合がいいだろ」


 エイルは、白い布と割れた封印盤の欠片を見た。


「スキルを失ったあと、ギルドだけで封印を戻せると知りました」


 拓真の腕が止まる。


「それでも、あなたは封印盤を壊しました」

「俺が倒すためだ」

「勝てる保証は、もうありませんでした」

 白い布の下から、術師の手が覗いている。


「この人を殺し、再び自分が必要になる危機を選びました」


「違う」


「《必勝》が選ばせたのではありません」


 エイルの掌で、大地の印が消えた。


「力を失ったあとの、あなたが選びました」


 門も閉じる。


 白い枠だけが残った。内側には光も影もない。


「残留も、送還も認めません」


 拓真の足が下がり、枷が床を擦る。


「何だ、それは」

「天獄です」

「牢獄か」


「苦痛を与える場所ではありません。眠りも、死も、終わりもありません」


「中に何がある」


「何もありません」


「人は」

「いません」

「敵は」

「いません」

 拓真の呼吸が速くなる。

「待て。ここに残る」

 セラへ顔を向けた。


「裁判を受ける。封印も直す。ギルドを立て直す」


 セラは動かない。


「俺ならできる。そうだろ」


 返事はなかった。


「言え!」


 拓真が立ち上がろうとし、枷に足を取られて膝をついた。


 エイルの掌が額へ近づく。


「何もしなくてよい場所へ送ります」

「嫌だ」

「敵を探す必要はありません」

「やめろ」

「勝つ必要も、必要とされる必要もありません」


 拓真が頭を振る。


 エイルの指が額へ触れた。


「黒川拓真」


 白い枠が開く。


「あなたを天獄へ送ります」


 拓真の身体が、色のない内側へ引かれた。


 床を掴んだ爪が割れる。


「セラ!」


 初めて、命令ではなく名前だけが広間へ落ちた。


「助けてくれ!」


 セラは動かなかった。


「お前を助けた! 俺がいなければ、お前は――」


 指が床から離れる。


「敵を寄越せ!」


 顔が枠の内側へ沈む。


「何でもいい! 倒させろ!」


 口が消え、声が途切れた。


 白い枠が閉じる。


黒川拓真(くろかわたくま)

【スキル回収】

【裁定完了】

【天獄】


 エイルが文字へ指を伸ばす前に、表示は消えた。


* * *


 朝になっても、魔王討伐の絵は広間に残っていた。


 若い冒険者が梯子を抱え、セラの隣へ立つ。


「外しますか」


 絵の中央では、拓真が剣を掲げている。その背後に並ぶ仲間たちの名は、どこにも刻まれていない。


「今は置いておく」

「英雄として?」


 セラは絵の下にある金板を外した。


【英雄 黒川拓真】


 若い冒険者へ渡す。


「後ろにいる人たちの名前を調べてください」


 金板のなくなった場所には、同じ幅の空白が残った。


 広間の外では、封印の修復が始まっている。焼けた梁が運ばれ、割れた石と新しい魔力導管が山の麓へ集められていた。


 セラは外へ出る。


「次の石を」


 石工が欠けた封印石を渡した。


 二人で持ち上げ、第一封印塔へ続く荷台へ載せる。


 歓声は上がらない。


 誰の勝利にもならない。


 石は一つずつ、元の場所へ戻されていく。

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