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第89話 直したはずの入口が、また狂う

 翌朝、レインは第1層の入口付近から確認を始めた。


 昨夜誤作動した退避警報は、今朝は静かだった。機器を見た限りでは異常がない。回路も、接続も、設定値も、前回の調整から変わっていない。問題がないように見えた。


「今朝は何かありましたか」


「今のところ静かです」とリナが言った。「ただ、昨夜の鳴り方が変でした」


「変というのは」


「通常の誤作動なら、一回鳴って止まります。昨夜のは、一回鳴った後に間があって、もう一度短く鳴りました。まるで何かを確認してから止まったみたいな鳴り方でした」


 レインは警報装置の記録を端末で引き出した。時刻のログには、確かに二回の信号が記録されていた。間隔は八秒。通常の誤作動パターンとは違う。


「ノア、これは」


 壁際にいたノアが近づいてきた。記録を見てから言った。


「劣化の誤作動なら、信号は連続するか一回で止まります。間を置いて二回というのは見たことがない」


「機器の問題ではない、と」


「そうは言い切れませんが、少なくとも既知のパターンではないです」


---


 午前中、ガルムが第1層全体を歩いて回った。


 帰ってきたとき、手元の地図に赤い印がいくつも付いていた。


「警報だけじゃない」とガルムが言った。「三か所で罠が誤反応してる。最初の踊り場の手前と、中層の通路の曲がり角と、下の水脈沿いの壁際だ。それから、魔物の動線が普段と違う。奥の区画へ引きこもってる個体が多い」


「罠の誤反応は調整ずれですか」


「調べたが、設定値は問題ねえ。罠そのものに問題はない。それでも反応してる」


「何に反応していると思いますか」


「分からん。普通は、侵入者の魔力や体温・重量に反応する。今日の誤反応には、そのどれも近くにいなかった。空中で何かが通り過ぎたような記録になってる」


 レインは罠の記録ログを端末で確認した。確かに、反応した時刻に利用者は近くにいない。機器の誤動作としては不自然な数字だった。


 リナが割って入った。


「前はこんな鳴り方しませんでした。今月入ってから、何かが変わっています。最初は気のせいだと思っていましたが、昨日から一気に増えた気がします」


「一気に、というのは昨夜の退避警報から、ということですか」


「はい。昨夜以降、通路を歩いていると空気が少し変わった感じがします。うまく言えませんが、何かが敏感になっているような。鳴ってもいない警報の跡を見ているみたいな感覚です」


 ガルムが地図を広げた。赤い印の位置が並んでいる。


「一つ気になったことがある。三か所の誤反応と、魔物の動線が変わった場所が、全部第1層の下の方に集まってる。入口付近や上の区画では、今日は何も出てない」


 レインは地図を見た。確かに、赤い印は下寄りに偏っていた。上から壊れていくなら、入口や上の区画から異常が出るはずだ。だが今日の異常は逆だ。下から始まっている。


---


 午後、セレスに分析を依頼した。


 セレスは踏査済みの範囲のデータを全部引き出して照合した。長い時間がかかった。結論は、短かった。


「分かりません」


「分からない、とは」


「踏査済みの範囲のデータでは、今日の異常を説明できるパターンが見つかりません。設備の劣化でもない。魔力汚濁でもない。季節変化でもない。既知の原因との一致がゼロです」


「既知にないなら、未知の原因ということですか」


「そうなりますが、未知の原因を踏査済みデータから導くことはできません。データ上は空白です」


「空白というのは、データがない、ということですか」


「データはあります。ただ、そのデータが今日の異常を説明しない、ということです。踏査外の領域については、データそのものがありません。比較も分析もできない」


 セレスはそこで少し止まってから続けた。


「ただ、一つだけ言えることがあります。踏査済みの範囲の中でも、踏査外の方向に近い地点ほど異常の発生頻度が高い。遠い地点ほど低い。分布に方向性があります」


 レインは少し考えた。


「分布を見ると、下層・水脈寄りに偏っています。踏査済みの範囲での異常はゼロ、踏査外の方向に近い場所での異常が多い。そういう読み方は合っていますか」


「合っています。ただし、踏査外の領域に原因があるという証明はできません。あくまで分布の傾向です」


「証明でなくていいです。傾向として記録してください」


---


 夕方、レインは第1層の下層区画に降りた。


 水脈沿いの壁際に立つと、空気が少し湿っていた。罠が誤反応した場所の一つだ。周囲を見回した。機器に異常はない。壁も、床も、変わっていない。


 だが、何かが違う。


 ガルムが後ろから言った。


「音、聞こえるか」


 レインは耳を澄ました。かすかに、低い振動音がある。水脈の流れ音とは少し違う。もっと深いところから来ている。


「これは」


「昨日から気になってた。今日の方が少し大きい。水の音じゃないと思う」


 レインは振動の方向を確かめた。下だ。第1層より下。水脈の奥。踏査済みの範囲の外側。


「上から壊れているのではない、と思っていましたが」


「下から来てる感じがする」とガルムが言った。「罠が反応してるのも、壁の奥の何かに反応してる可能性がある」


 レインは壁に手を当てた。振動はなかった。ただ、水脈の方向に向けると、ごくかすかな揺れが感じられた気がした。気のせいかもしれない。だがガルムも今朝から音の変化に気づいていた。二人が別々に感じたなら、気のせいではないかもしれない。


「セレスに記録してもらいます。水脈方向の振動ログ、今夜から継続的に取ってください」


「分かった。どこに置く」


「ここと、もう一箇所。下に近い水脈沿いの通路、二点で取れれば方向が分かります」


「分かった」


 第1層の入口へ戻りながら、レインは今日見た赤い印の配置を思い返した。下層寄り、水脈寄り。誤作動の警報も、誤反応の罠も、動線を変えた魔物も、全部同じ方向に近い。


 「直したはずの入口が、また狂う」と昨夜は思った。だが今日分かったのは、壊れているのは入口ではないかもしれない、ということだった。


 入口のそばで誤作動が起きた夜から、翌朝は静かだった。それは「直った」のではなく、「源が今朝は静かだった」だけかもしれない。


「今夜また見てくるか」とガルムが聞いた。


「してください。夜中に変化があれば記録を残してほしい」


「分かった。リナも一緒でいいか」


「構わない」とリナが言った。「昨夜も起きていたので、今夜も見ていられます」


 レインは入口の扉を出る前に、もう一度振り返った。第1層の通路は静かだ。警報は今は鳴っていない。罠も今は誤反応していない。魔物も今は奥に引いている。だが、それらはまとめて「異常がない」ではなく、「今は静まっている」に見えた。


 異常の源は、もっと下にある。第2層より、さらに下から来ている可能性がある。今はまだ、そう言い切れる証拠がない。だが、今日見た傾向は一つの方向を向いていた。そして、その方向の先は、まだ誰も踏査していない領域だった。

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