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第86話 公開監査

 明後日の午前は、結局ずらさなかった。


 レインは、王都管理局のオルドと、辺境伯領のミラを別々に受けるのをやめた。同じ午前に、同じ会議室で、同席のまま受けることにした。

 ベルダには前日の夜に伝えた。ベルダは台帳を抱えたまま、しばらく黙ってから言った。


「……二か所同時に対応できないって言ったら、一か所にまとめてきたわけだ」


「対応の場所を増やすより、説明を一度で済ませる方が、受付の負荷は減ります」


「相手は嫌がらないの。王都と領主を同じ部屋に座らせるなんて」


「嫌がるかもしれません。ですが、別々に話すと、こちらが両方に同じ説明を二回することになります。食い違いも出る。……同じ場で、同じ記録を見せた方が、後で揉めません」


 ベルダは台帳の角を指で叩いた。


「あんた、それ、自分が楽したいだけじゃないだろうね」


「半分はそうです」


「正直だね」


「残り半分は、その方が現場が守れるからです」


 当日の午前、会議室には予定より多くの人間が座った。

 王都管理局からオルドと、随行のネリオ。辺境伯領からミラと随行二名。それに、レインはもう一人呼んでいた。カルデン市冒険者組合の評価担当、ヤルゼンだ。


 オルドが、ヤルゼンを見て眉を寄せた。


「管理者殿。これは王都管理局の確認の場だと認識していたが」


「王都管理局の確認と、辺境伯領の確認と、利用者側の評価を、同じ場で行います」


「別々の話だろう」


「同じ灰霧前砦の話です」とレインは言った。「皆さんは、同じ施設を見に来ています。ただ、見ている価値が違う。管理局殿は規定との適合を、領主側は領内行政との関係を、組合は利用者の安全を見ています。……別々に説明すると、灰霧前砦が三つの違う場所のように見えてしまう。それを避けたいんです」


 ミラが小さく頷いた。オルドはまだ納得していない顔だったが、座り直した。


「では始めてください。私は、補修ログと、非公開扱いにしている情報の根拠文書を確認しに来た」


「順に出します。ただ、先に一つだけ見ていただきたいものがあります」


 レインは、一枚の図をテーブルの中央に置いた。

 線で結ばれた箱がいくつも並んでいる。受付、講習、補修、資源、商業、衛生、外部評価。それぞれの箱の間に矢印が引いてある。


「これは、灰霧前砦の運用が、何に支えられて回っているかの図です。今日は、この箱を一つずつ、担当が説明します。順番に聞いていただければ、なぜ今のやり方になっているかが分かります」


 オルドが図を見た。


「随分と、複雑な図だな」


「複雑なのは、灰霧前砦が複雑だからです。図を単純にすると、現場が壊れます」


 最初に話したのはベルダだった。

 受付台帳を開いて、来訪者の分類と滞在記録の仕組みを説明した。五種類の列、日帰りと滞在の区別、週ごとの集計。


「この台帳がないと、誰も砦に何人いるか言えません。人数が言えないと、衛生も治安も予算も組めない。だから受付の分類は、一番下の土台です」


 ミラが「先日も拝見しました」と補った。「領内行政が必要とする人口データは、ほぼこの台帳から出せます」


 次がガルムだった。補修ログを広げた。

 どの設備を、いつ、何回直したか。次にどこが壊れそうか。日付と通し番号が並んでいる。


「壊れてから直すんじゃ間に合わん。ここの数字を見て、壊れる前に手を入れる。そのための記録だ。……管理局殿が見たいって言ってた補修ログは、これだ。隠してたわけじゃねえ。毎日つけてる」


 オルドがログをめくった。数字の連なりを、しばらく目で追った。


「……補修頻度が、王都標準の倍近いな」


「迷宮が育ってるからだ」とガルムが言った。「人が来る。設備が傷む。だから直す回数も増える。標準の倍ってのは、それだけ使われてるってことだ」


 リナが青札運用を説明した。講習の段階、札の更新基準、初心者がどの順で深部へ進むか。


「青札は、初心者が死なないための仕組みです。講習を受けて、段階を踏んで、実績で札が上がる。基準は、灰霧迷宮の実際の危険度に合わせて作ってあります。よその迷宮の基準をそのまま当てると、ここでは緩すぎたり、厳しすぎたりします」


「その基準は、誰が決めた」とオルドが訊いた。


「現場の事故記録と、講習の通過率から、少しずつ調整してきました。最初に決めた数字のままじゃありません。何度も直しています」


 ヤルゼンが、利用者側の評価を述べた。


「カルデン市の冒険者組合として言わせてもらえば、灰霧前砦は、初心者を送り込める数少ない場所です。ほかの迷宮は、入って死ぬか、何も得られず帰るかのどちらかが多い。ここは、講習があって、札の段階があって、戻ってこられる。……だから組合は、ここを試験利用先として評価しています」


 エルメアが衛生と疲労の上限を説明した。一日に処理できる来訪者数、それを超えた時に何が起きるか。バロスが商業の合理性を説明した。なぜ商人が集まり、なぜ経済が回っているか。


 一通り終わると、会議室は静かになった。

 オルドが図を見た。さっきより長く見た。


「言いたいことは分かった。だが、私の懸念は変わらない」


 オルドは図の中央、資源と補修の箱を指した。


「これだけの規模になった施設の運用基準が、現場の裁量で決まっている。講習基準も、札の更新も、資源の使い方も、ここの判断で動いている。……それは、管理者殿が優秀なうちはいい。だが、人が替わればどうなる。基準が現場ごとにばらばらでは、王都として統制が取れない。中央に権限を戻すべきだ」


 レインは、その言葉を遮らなかった。最後まで聞いてから、口を開いた。


「おっしゃる通り、これがレイン・ヴァルト個人の独断なら、危ういです」


「認めるのか」


「ですが、独断ではありません。今日説明したのは、この運用が、一人ではなく、受付、補修、講習、衛生、商業、外部評価の全部で支えられているということです。私がいなくなっても、ベルダの台帳は残ります。ガルムの補修ログも、リナの講習基準も、エルメア先生の上限も残る。……基準は私の頭の中ではなく、記録の中にあります。だから引き継げます」


 レインは図の矢印を指でたどった。


「逆に、これを中央の一律基準に置き換えると、灰霧迷宮の実際の危険度や、補修頻度や、衛生上限と合わなくなります。標準は、平均的な迷宮のための数字です。育ったここには合わない。合わない基準を当てると、現場が基準を無視するか、現場が壊れるかのどちらかになります」


「では、中央は何も把握できないと言うのか」


「いいえ。把握はしていただきます」


 レインは、別の一枚を出した。報告の項目が並んでいる。


「条件を整理します。一、中央への報告は受け入れます。資源収支、補修概要、重大事案は、限定開示ログとして定期的に管理局へ提出します。二、辺境伯領へは、人口・治安・衛生を行政窓口として別途報告します。……ここまでは、お渡しします」


 オルドが「ここまでは、ということは」と言った。


「残す部分があります。講習基準、札の更新基準、資源の内部留保、それと管理核の制御権。この四つは、灰霧側に残させてください。これらは、現場の実測でしか正しく決められないものです。中央が一律に決めると、さっき説明した依存関係が崩れます」


 会議室が静かになった。

 ミラが先に口を開いた。


「領としては、その整理で問題ありません。むしろ、報告窓口が分かれている方が、行政としては扱いやすい」


 ヤルゼンも頷いた。


「利用者側としても、講習と札の基準が現場に残る方が安心です。中央基準に変わって、初心者が死ぬようになっては困る」


 オルドだけが、しばらく黙っていた。

 図を見て、報告項目の紙を見て、もう一度図を見た。


「……即時に接収して中央管理に戻す、という選択肢は、今日は取らない」


「ありがとうございます」


「礼を言われる筋ではない。今日見た限り、この施設は機能している。機能しているものを力ずくで止めれば、それこそ統制を欠く。……だが、勘違いするな。これは、私が現場の裁量を認めたという話ではない」


 オルドは報告項目の紙を手に取った。


「これは、ダリウス・フェルン局長に報告する。最終的な評価は、私ではなく上が下す。今日の同席監査の内容も、限定開示ログの条件も、全部添えて上げる。……局長がどう判断するかは、私の管轄ではない」


 レインは眼鏡のブリッジを押し上げた。


「報告は妨げません。むしろ、今日の記録は全部お渡しします。隠す部分はありません」


「その自信が、どこから来るのか、私にはまだ分からんがな」


 オルドは立ち上がった。ネリオが書類をまとめた。

 ミラも立ち上がり、去り際にレインへ短く言った。


「うまくまとめましたね」


「まとめたのは皆さんです。私は順番に並べただけです」


「その並べ方が、難しいんですよ」


 全員が会議室を出たあと、ベルダが台帳を抱えたまま残った。


「……接収は、なくなったの」


「今日は、なくなりました」


「今日は、か」


「ダリウスへ報告が上がります。判断はその先です」


 ベルダは長く息を吐いた。


「勝ったような、勝ってないような」


「守るものは守れました。講習基準も、札も、資源も、管理核も、こちらに残っています。……ただ、報告先は増えました」


「結局、書類が増えるんじゃないか」


「増えます」


 レインは端末を開いた。今日の記録を入力する。同席監査・実施。限定開示ログ条件・合意。講習基準・札更新基準・資源内部留保・管理核制御権・現場保持。報告先・王都管理局+辺境伯領行政窓口。

 最後に一行、別の欄に書いた。


 「ダリウス・フェルンへ報告予定。再評価の可能性あり。要警戒」


「また何か書いてる」


「次に来るものの準備です」


 ベルダは台帳を棚に戻しながら、呆れたように言った。


「迷宮が一個前に進むたびに、あんたの書く欄が一個増えるね」


「育ってる証拠です」


「その言い方、さっきも聞いたよ」

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