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第83話 補修用内部留保を崩すな

 書状は三枚だった。

 一枚目は本文。差し出し人は王都迷宮管理局運用管理課、ダリウス・フェルン連名。文体は礼儀正しく、根拠として王国所有迷宮施設管理規定の第十七条を挙げていた。二枚目は上納対象資源の一覧と指定量。三枚目は提出期限と送付先だった。


 ベルダが受付棟の裏で台帳を整理していた。レインが入ってきて書状を広げると、ベルダは手を止めた。


「中身は」


「上納です。鉱泥の加工済み品を月産量の二十パーセント、薄光結晶の等級四以上を月産量の十五パーセント、定期的に王都へ送れという内容です」


「……二十パーセント」


 ベルダはしばらく何も言わなかった。指先が台帳のページの端を押さえていた。


「うちの補修用の取り分は今いくらだっけ」


「加工済み鉱泥の月産量に対して、十八パーセントを補修用として確保しています」


「つまり、二十パーセントを渡したら」


「補修用が全部消えた上に、外販分からさらに二パーセント削れということになります」


 ベルダは台帳を閉じた。


「セレスに計算させます」


 レインは端末を開いた。


『管理者様。ご依頼の試算を行います。加工済み鉱泥の月産量を仮に一〇〇単位とした場合、現行の補修用内部留保は十八単位です。上納要求の二十単位を当月から充当した場合、補修用は実質ゼロになります。さらに外販分から二単位を割り当てる必要があります』


「補修用がゼロになった場合の影響は」


『直近で影響が出る箇所を三点報告します。一、第二層採集区画の水路継ぎ目。現在ガルムさんが一か月ごとに鉱泥を充填しています。充填を停止した場合、乾燥による剥離が二から三ヶ月以内に発生する見込みです。二、訓練導線の壁面補修。今月補修予定の箇所が四か所あります。延期になります。三、加工場の圧搾機の継ぎ目。前回の補修から二ヶ月が経過しています。今月中の補修を推奨していました』


「補修が遅れた場合の最悪の場合は」


『水路の剥離が進めば、地下水が採集区画へ浸入します。採集の一時停止が必要になります。採集が停止すれば、来月の生産量が減ります。生産量が減れば上納量も減り、王都への報告に支障が出ます』


「上納を守ろうとした結果、上納できなくなる」


『その可能性があります』


 ベルダが低い声で言った。


「これは嫌がらせなのか、それとも本当に分かっていないのか」


「どちらの可能性もあります。ただし、どちらであっても応答の仕方は同じです」


 バロスが荷捌き場から管理棟へ来たのは、昼前だった。

 書状の話は既に耳に入っていたらしく、扉を開けた瞬間から顔つきが違った。いつもの算盤を弾く顔ではない。


「共同経営者殿、書状を読んだ。……あれは困るぞ」


「内容を確認していただけましたか」


「二十パーセントを上納しろということだろう。鉱泥の月産量の二十パーセントが何を意味するか、王都の連中は理解していない」


 バロスは重い声で続けた。


「補修用の泥まで売れば、来月には水路が漏れる。水路が漏れれば採集が止まる。採集が止まれば商品が来ない。商品が来なければ俺の馬車は空で走ることになる。……空荷の馬車は銭にならんどころか、費用だけかかるんだ」


「バロス会頭の損得から言っても、上納量をそのまま飲めないということですね」


「商人の理屈から言う。補修用の泥まで売れば、来月には商品も人も腐る。……それだけだ」


 バロスは腕を組んだ。


「で、どうする。拒否するのか」


「拒否はしません。条件を整理します」


 ガルムを荷捌き場の裏で捕まえたのは、午後の早い時間だった。ガルムは水路の継ぎ目に鉱泥を充填する作業の前で、道具袋から泥の入った小さな缶を取り出しているところだった。


「ガルム、今やっている作業は何ですか」


「水路の継ぎ目だ。毎月一回、充填してる。乾燥で剥がれるから、放置すれば水が染み出す」


「その鉱泥は補修用内部留保から出していますか」


「当然だろ。これ用に取ってある分だぜ」


 レインが書状の内容を要約すると、ガルムは少し間を置いた。それから、缶の蓋を一度閉めた。


「……王都に渡したら、俺は何で直すんだ」


「代替材料の調達は可能ですか」


「石コロでも詰めりゃいいと思うかもしれねえが、鉱泥の粘着力と防水性は石では出せねえ。……水路の石材の隙間に詰めるのには、こいつじゃないとだめだ」


「補修が一ヶ月遅れた場合は」


「継ぎ目から染み出す。染み出した水が石畳を湿らせる。湿った石畳に採集者が荷物を持って歩く。転ぶ。……転んで水路に落ちれば、昨日の話と同じだ」


 ガルムは缶の蓋をもう一度開けた。


「今日分の充填はやる。上納の話は、俺の仕事が終わってからにしてくれ」


「分かりました。続けてください」


「一つだけ言っておく」


 ガルムは缶を持ったまま振り返った。


「補修用の泥を出さない限り、俺は現場を守れる。出したら守れなくなる。それだけだ」


 小会議室でオルドと向かい合ったのは、夕方だった。

 オルドは書状の控えを持参していた。ダリウスの命令を事前に知っていたか、あるいは今日受け取ったのかは分からなかった。


「上納要求について、お話があると伺いました」


「はい。内容を確認しました。王国所有施設の資源に対して一定量の上納を求めることは、規定上の根拠があることは認識しています」


「第十七条の通りです。王国所有の迷宮施設から産出される資源の一定割合を、管理局へ報告分として提出することは義務と定められています」


「その義務の対象が、月産量の総量なのか、外販可能な余剰分なのか、確認させてください」


「……総量です。規定の文面は月産量に対して比率を定めています」


「規定の文面を確認したいと思います。後ほど提示していただけますか」


「……構いません」


 オルドはわずかに間を置いた。


「ご意見があるということですか」


「規定の解釈について、補足説明をさせてください」


 レインは端末を操作した。


「灰霧迷宮における鉱泥の月産量は、三つの用途に分けられています。一つ目は補修用内部留保。水路・訓練導線・加工設備の維持に使用します。これは製造業で言えば設備維持コストに相当します。二つ目は外販可能な余剰分。現在バロス会頭を含む複数商会との契約に基づいて外部販売しています。三つ目は次期投資の積立。新区画の整備費用として一部を留保しています」


「それは内訳の説明ですね」


「そうです。……ご確認いただきたいのは、補修用内部留保を「収益」として扱うかどうかという点です」


 オルドが少し眉を動かした。


「補修用は、水路を維持するために消費する材料です。これを売ってしまうと、来月水路が漏れます。水路が漏れれば採集が止まります。採集が止まれば翌月の月産量が減ります。月産量が減れば上納できる量も減ります。……補修用内部留保は、収益を生む前の設備維持費です。収益に対して上納割合を適用するのか、それとも設備維持費を含む総生産量に適用するのかで、意味が変わります」


「それは王都側の規定が想定していない区分です」


「規定が想定していないなら、補足定義が必要です。……灰霧迷宮では、補修用内部留保を外販可能資源とは別勘定にし、不可侵枠として定義します。上納は外販可能分の余剰にのみ適用し、その割合と量を別途提示します。この定義を書面にして提出します」


「王都側がその定義を受け入れるかどうかは、私には判断できません」


「判断を求めているのではありません。書面として提出するということです。規定との整合性は、その後の話し合いで確認します」


 オルドはしばらく、テーブルの上の書類を見ていた。


「補修用が維持コストであるという主張は、現場の実態に基づいているということですか」


「そうです。今日の午後、ガルムが水路の継ぎ目を補修しました。この補修を一ヶ月でも遅らせれば、採集区画への水の浸入が起きます。それは昨日見ていただいた帰還報告が機能した現場と同じ場所です」


 オルドは一言、「分かりました」と言った。


「では書面を出していただいた上で、規定との整合性について確認します。……ただし一つだけ確認させてください。補修用内部留保として確保している量の根拠は何ですか。恣意的に増やすことで、実質的に上納を減らすことも可能ではないですか」


「補修の実績記録があります」


 レインは端末を操作した。


「過去六ヶ月の補修箇所、使用量、補修の結果を月次で記録しています。ガルムが毎朝の点検で記録し、補修のたびに使用量を台帳に残しています。補修用として確保する量は、この実績平均に安全係数を加えたものです。増やすことも減らすこともできますが、増やせば実績記録と乖離が生じます」


「その記録を提出できますか」


「できます」


「……では、補修実績の記録と、別勘定の定義書面を合わせて提出してください。確認します」


 オルドは立ち上がる前に、一度だけ窓の外を見た。荷捌き場の方向で、ガルムの作業員が何かを運んでいる音がした。


「一つお願いがあります」


「なんですか」


「明日、補修作業の現場を見せていただけますか。書面を読む前に、どういう使われ方をしているかを確認したいと思います」


「明日の朝、ガルムの点検に同行していただけます。七時に始まります」


「分かりました」


 オルドは部屋を出た。ネリオが後ろからついていき、扉が閉まった。

 管理棟に静かになってから、ベルダが入ってきた。


「オルドは何て言った」


「補修実績の記録と、別勘定の定義書面を提出するよう求められました。明日は補修現場を見たいと言っています」


「……見てみれば、少しは分かるかな」


「分かるかどうかは、見てから判断します」


 ベルダは台帳を脇に抱えたまま、少し間を置いた。


「定義書面を作るのは今夜か」


「今夜のうちに草案を出します。ルカとノアに手伝ってもらいます」


「あたしの補修台帳も必要になるね」


「お願いします」


 ベルダは頷いて、受付棟へ戻った。

 窓の外では、夕暮れの砦が静かになり始めていた。ガルムの作業員たちが道具を片付けている。今日の補修は終わった。補修用の鉱泥は、今日も少し使われた。その記録は台帳に残っている。


 その記録が、明日の朝、何かを変えるかどうかは、まだ分からない。

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