表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
81/108

第81話 帰還報告が命を救う

 帰還報告の受理窓口は、午後の砦でいちばん地味な場所だった。

 小さな木の窓口に台帳が一冊。ベルダが台帳を開いて座り、戻ってきた利用者から報告書を受け取っている。その列の後ろに、採集袋を下げたリナが並んでいた。今日の帰還報告を出しに来た順番待ちだ。時間にして一人あたり三分から五分。特段の事件もなければ、会話らしい会話もない。


 オルドとネリオがその窓口の斜め向かいに立ったのは、午後の早い時間だった。

 オルドは視察の一環として受付の流れを見ていた。ネリオは手帳を開いたまま、しきりに周囲を観察していた。


 そこへ、訓練導線から戻った一団が受付棟へ入ってきた。

 四人組だった。全員、訓練用の軽装で、採集袋ではなく練習用の木剣を持っている。ヤルゼンの引率ではなく、今日入ったばかりの別の新人班だ。


「帰還報告、こっちで出すんでしたっけ」


 先頭の若い男が、窓口のリナに声をかけた。二十前後で、顔に疲労と少しの不満が混ざっている。


「この窓口です。用紙はそちらに」


「あー、また書くんですか。今日は二時間も歩き回ったのに」


 それでも男は用紙を取った。後ろの三人も渋い顔で並んだ。

 ベルダが台帳に記録しながら横で聞いていた。


「何が起きたか全部書いてください。書くのが面倒なら、何も起きなかったと書いてもいい。ただし見落としがあったら、あなたの記録に残ります」


「見落とし、って……何もなかったですよ。普通の訓練でした」


「普通に訓練して帰ってきた、それが記録に残る。……それが帰還報告です」


 男は少し間を置いてから、用紙に書き始めた。仲間の三人も、それぞれ記入している。

 ベルダが四枚の用紙を受け取り、一枚ずつ確認を始めた。


 リナは自分の報告書を手に持ったまま、窓口の前で待っていた。


 ベルダが一枚ずつ確認していた。日付、名前、区画、帰還時刻。「以上だね」とベルダが最後の用紙を台帳に挟もうとしたとき、待っていたリナが口を開いた。


「ベルダさん、その一枚、備考欄を見てもらえますか」


 ベルダが手を止めて用紙を広げた。リナが窓口越しに指さした先、備考欄の一行。


 「訓練導線、左壁から滴りがあった。前回来た時にはなかったと思う」


 一行だけの記述だった。字も小さく、あまり重要だと思って書いていない感じの筆圧だった。


「これを書いた方はどなたですか」


 リナが声をかけると、四人の中で一番後ろにいた女が手を上げた。


「私です。特に気にするほどじゃないと思ったんですが、一応書いておこうかと」


「よく書いてくれました。……場所は、入口から何歩くらいのところですか」


「えっと……三十歩くらいですかね。右か左かと言われると左です。角の手前の壁でした」


 リナは用紙をベルダに渡した。


「ベルダさん、台帳で類似の記録を探してもらえますか。訓練区画、左壁からの滴り」


 ベルダは台帳を開いた。数ページをめくる。


「……一件ある。先月。同じ場所だと思う。その一週間後に、補修記録が入ってる」


「何の補修でしたか」


「足場の浮き。小石を打ち直してる。ガルムの記録が入ってる」


 リナはレインのいる管理棟の方を見た。

 レインは端末を持って窓口へ来た。用紙と台帳の記録を読み比べる。


「セレス、今月の訓練区画の補修記録と、今日の報告書の場所を照合してください」


『了解しました。今日の報告書が指す場所の直近補修は、先月二十一日です。内容は足場石材の浮き補修、一か所。……現在の定期点検記録では、同区画の水分チェックが前回から六日空いています』


 レインはガルムへ連絡を入れた。端末に短く打ち込む。


「確認したい場所があります。訓練導線、入口から三十歩、左壁付近。今日中に見られますか」


 ガルムからの返事は、数分後に来た。


「見る。一時間後に報告する」


 先頭の男が、用紙を書き終えて窓口に提出しながら、その様子を見ていた。


「……あの、壁から水が滴ってたってだけで、そんなに大事な話になるんですか。特に変わったことはなかったし、足場も普通でしたよ」


「確認してから判断します」


「でも何も起きてなかったんですよね。大げさじゃないですか」


 レインは男を見た。


「起きていなかったということは、今の時点では確かです。ただし、起きていなかったことと、起きる可能性がないことは別です。……この場所に来月また来た時、安全に使えるかどうかを今確かめておく話です」


「その壁の水が問題だとして、どのくらいで何かが起きるんですか」


「分かりません。だから確認します」


 男は少し黙った。腑に落ちていないような顔だったが、反論もしなかった。

 ガルムが戻ってきたのは、一時間後より少し早かった。


 管理棟に入ってきた時、道具袋から砂と小石が少しこぼれていた。現場から直接来た足音だった。


「見てきたぜ」


「どうでしたか」


「右壁、じゃなくて左壁な。三か所、石が出っ張ってる。先週より膨らんでる。水を含んでんだ。……足場の石畳に浮きが一か所出始めてた。角の手前二歩のところだ。今日の訓練では誰も踏んでないが、明日の朝には補修を入れる。今日の午後からあの区間には入れるな」


「了解しました。入場制限を出します」


「それだけじゃない」


 ガルムは袋の口を閉めて、レインを見た。


「あの場所、先月も同じ症状が出てる。俺が補修した。石畳を打ち直して砂を入れた。……今回は先月より早く出てる。壁の水の出方が変わってる。原因は別にある可能性があるから、週末に上の壁を見る。水脈が動いてるかもしれねえ」


「ドルクさんに確認してもらえますか」


「今日の夕方にでも声をかける」


 ガルムは話を終えて出ていった。道具袋が廊下で揺れる音がした。

 オルドは管理棟の入口に近い壁際に立っていた。視察でここへ来て、そのまま流れで聞いていた形だった。


 ネリオはその間、手帳に書き続けていた。最初は機械的に書いていたが、途中から手が止まる間が増えた。考えながら書いている。


「あの報告書の一行が、足場崩れの予兆を発見した、ということですか」


 オルドがレインに向かって言った。


「帰還した時点では大したことではなかった、と本人は思っていた。それでも書いた。その記録が、今日のガルムの確認につながりました」


「もし誰も書かなかったら」


「明日以降、同じ場所に複数の人間が入っていたと思います。浮いた足場石に気づかない可能性があった」


「事故が起きた後で発見する、という形になっていたかもしれない」


「そうです」


 オルドはしばらく何も言わなかった。台帳の方へ視線を向けた。


「帰還報告は、過去の安全確認だと思っていました。戻ってきた事実を記録するものだと」


「過去の確認でもあります。ですが、次の訪問前の安全確認にもなります。記録が積み重なることで、今日の一行が意味を持ちます」


「……一行が、センサーとして機能している」


 その言葉はオルドが自分に向けて言っているような声だった。

 先ほどまで不満そうだった男が、窓口の前でリナに何かを聞いていた。


「さっき書いた人、報告書のどこを見たんですか」


「備考欄です。水が滴ってたって書いてありました」


「あんな一行でよかったんですか」


「一行でいいです。気になったことを書いておけば、次の人が確認できます」


 男は少し考えてから、「なるほど」と言った。最初の顔とは少し違う声だった。


「あの……来月また来ていいですか。その時も帰還報告、書きます」


「どうぞ。台帳に名前が残ります」


 男は頷いて、外へ出た。

 ベルダがその後ろ姿を見ながら、台帳を閉じた。


「……最初は面倒がってたくせに、ちゃんと納得して帰るんだね」


「理由が分かれば守れます」


「それが分かるまでが大変なんだよ、いつも」


 ベルダは台帳を棚に戻して、次の利用者の対応に向かった。

 管理棟の廊下でネリオが手帳を見ていた。


 オルドが次の確認事項を整理するため、少し離れた場所で書類を出していた。ネリオは一人で手帳のページを追っていた。

 今日書いた記録を読み返している。帰還報告の仕組み、備考欄の運用、台帳との照合、現場確認の流れ。


 しばらくして、ネリオが何かを呟いた。

 声は小さかった。一人で考えていた言葉が、口から出てきた感じだった。


「……この記録の形、灰霧迷宮以外でも使えないんだろうか。報告書の備考欄に現場の変化を書いて、台帳で照合して、閾値を超えたら確認を入れる仕組みは……」


 そこで気づいた。

 オルドがこちらを見ていた。


 ネリオは少し顔が赤くなって、手帳を閉じた。


「……独り言です。失礼しました」


「いや」


 オルドは短く言った。書類から手を止めていた。


「聞こえていた」


 廊下が静かになった。二人の間で、言葉が続かなかった。

 オルドはしばらく何も言わなかった。手の書類を一度閉じて、また開いた。


「……続きは、宿に戻ってから話しましょう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ