第66話 工房を置くには早すぎる
朝の荷捌き場の隅に、見覚えのない積み荷があった。
板材が六枚。鉄製の蝶番が束になったもの。手斧と鑿が一組。それから、工具を入れた麻袋が二つ。
ガルムが現場点検に回ったとき、その荷物は北側空き地の角に、まるで最初からそこにあったかのように置かれていた。声に出してみたが、答える者はいない。あたりには荷降ろしを終えた作業員が二人、別の荷物を運んでいるだけだ。板材の端を足で叩いた。しっかりした材だ。安物ではない。
北側の空き地は、採集者の帰還導線と荷捌き場の搬入路が交差する場所だ。荷物を置いて使えるほど整備されていないし、何より交差点に荷物を積まれると人と台車の両方が詰まる。昨日の夜、ガルムが声をかけて一度持ち帰らせた。それが、今朝また置かれていた。量も増えている。
レインが荷捌き場に来たのは、ガルムから連絡が入って十分後だった。
板材の積み方を見て、ガルムのそばに立ち、少し黙った。
「マルテですね」
「そうだろうな。昨日も同じ場所だった」とガルムは腕を組んだまま言い、板材を顎で示した。「今日は量が増えてる。話し合いの前に既成事実を作る気だな」
夕べ、台帳に「明日の朝に話を」と記録してある。つまりマルテはその話し合いの前に、もう次の荷物を持ち込んでいた。
「動線の確認から始めます」
レインは端末を開き、現在の砦内の導線図を呼び出した。北側空き地の位置が赤い点で示されている。採集者の帰還ルート、荷捌き場への搬入路、洗い場への動線——三つが重なっている場所だ。
「セレス、北側空き地の通過人数と時間帯を出してください」
『朝の採集出発時に一時間あたり最大二十三名。昼の帰還ピーク時には三十一名。荷台を引いての通過が一時間あたり平均八台。この場所に固定の障害物を置いた場合、帰還ピーク時の詰まりが現在の二倍以上になる予測です』
「エルメアにも確認が必要です」とレインは端末にメモを打ち込みながら続けた。
「洗い場との距離も見てもらいます」
マルテは来た。
朝の鐘が二度鳴ったあとで、工具袋を肩にかけたまま荷捌き場に姿を見せた。昨日より顔つきが少し固い。板材が動かされていないのを確認してから、レインとガルムの方へ歩いてきた。
「管理者殿。おはようございます」
「おはようございます。昨日の荷物、今日また置きましたね」
マルテの足が少し止まった。言い訳を探している顔だったが、ガルムがすでに板材の横に立っているので言い訳の余地がない。少し間を置いてから、口を開いた。
「……すみません。早めに場所だけ確保しておけば、話が進んだとき手間が省けると思って」
「確保できていません」
レインは端末を向けた。導線図が表示されている。
「ここは採集者の帰還路と荷搬入路が重なっています。荷物を置くと、昼の帰還ピーク時に詰まりが出ます。昨日そう説明しましたが」
「でも、今朝は詰まっていませんでした」
「今朝はまだピーク前です。今日の昼に帰還者が重なったとき、あなたの板材がここにあれば、どうなるか想像できますか」
マルテは口を閉じた。板材を見て、導線図を見て、もう一度板材を見た。
「……撤去します」
「お願いします。それと、今日の話を始めましょう」
荷捌き場から少し離れた場所に移って、三人で立った。
マルテは正直に話した。灰霧産の木材で家具を作れば、他の産地のものより狂いが少なく、乾燥した後の歪みがほとんど出ない。現地で加工して出荷すれば輸送コストが下がり、王都でも高く売れる。この砦が繁盛しているなら、工房を出す商機がある——そう判断して来た、と。
「考え方は間違っていません」
レインは言った。マルテがわずかに顔を上げる。
「現地で加工して付加価値を上げるやり方は、ここの鉱泥でも実際に成果が出ています。木材でも同じことが起きる可能性はある。ただ、今すぐ工房区画を割り当てることはできません」
「なぜですか。場所はあるでしょう。北側の空き地——」
「今日の昼の帰還ピークを、一緒に見てください」
レインはそれだけ言った。マルテは黙った。
昼の帰還ピークは、マルテの予想を上回る混雑だった。
採集者が次々と帰還し、洗い場に並び、荷捌き場に素材を持ち込む。台車が三台同時に動き、受付の列が五人まで膨らんだ。北側の空き地の前を、荷物を肩にかけた人間が絶え間なく通り過ぎていく。
マルテはその様子を、少し離れた位置から眺めていた。板材を置いていた場所を、台車が二台すれ違う瞬間があった。板材があったなら、そこで止まっていた。自分の目でそれが分かった。
「……分かりました」
小さな声だったが、レインには届いた。
「工房区画が今は無理だというのは、分かりました。でも、いつになれば使えますか」
「訓練導線と受付運用の安定化が先です。そちらが一段落したあと、搬入時間と仮置き場の設計から始めます。今日の時点では、時期を確約できません」
マルテが眉をしかめた。不満というより、焦りの顔だ。
「商機というのは、待っていたら消えるものです。私がぐずぐずしている間に、別の職人が先に来てここに工房を出したら——」
「その職人にも、同じことを言います」
ガルムが横から口を挟んだ。腕を組んだまま、ぶっきらぼうに言う。
「早い者勝ちにするつもりはない。ルールが整ってから先着順だ。それが嫌なら待たなくていい。別のところで工房を出せばいい」
マルテは少し間を置いた。
「……残ります。仮登録はしていただいてますし」
「ならば決まりです」
その日の午後、エルメアが管理棟を訪ねてきた。
扉を開けると、レインは端末に向かっていた。エルメアは椅子を引いて向かいに座り、腰に下げた薬師の道具袋を膝の上に置いてから、静かに口を開いた。
「職人が来てる話は聞いてるよ。工房を出したいんだって?」
「仮登録まで進みました。区画の整備は後回しです」
「それは正解。でもね、一つ言っておきたいことがある」
エルメアの声は穏やかだが、聞き流せる声ではなかった。
「木工をやるということは、木屑が出る。鑿を使えば細かい粉が舞う。それが洗い場や採集物の近くにあると、どうなると思う?」
「採集物の汚染リスクがあります」
「薬草は特にね。乾燥前の束に木屑が混じったら、等級が下がる。悪くすれば混入品として全ロット返品になる。……バロスさんが黙ってないよ」
レインは端末にメモを打ち込んだ。
「木工区画と薬草乾燥場の距離は、最低でも何メートル必要ですか」
「風向きにもよるけど、今の乾燥棚の位置から考えると、三十歩は離したい。風上に置くのは論外」
「それを書面にしてもらえますか。衛生基準として台帳に残します。職人区画の設計に使います」
エルメアはわずかに目を細めた。意見を記録として扱われることには慣れていないが、慣れていないなりに悪い顔ではなかった。
「……書きましょう。こういうことは、口だけで言っても次の代には残らないからね」
夕方、ミストの声が届いた。
『管理者様、聞いてる? 職人区画の設計、私が考えたんだけど』
「後で聞きます」
『後でじゃなくて今聞いて。せっかく素敵な案があるんだから。ガルムに先に話したら絶対つぶされる』
「ガルムに話してから来てください」
一拍置いて、ミストが軽い舌打ちをした気配がした。
『……仕方ないわね。でも約束して。ガルムが全部つぶしたら、私の案を一個だけ残すって』
「内容次第です」
それきりミストは消えた。レインは端末を置き、管理棟の窓から外を見た。荷捌き場の角で、マルテが板材を積み直している。さっきより隅の方に、荷台が通れる幅をきちんと空けて。昼に自分の目で見たことを、もう体で覚えている。
夜になってから、ミストとガルムの話し合いが行われた。レインは端末越しに聞いていた。
『工房区画はね、砦の東側の開けたところに作るのがいいと思うの。光の入り方が一番いいし、見学者から見ても映えるでしょ。職人が仕事している様子が見えれば、灰霧産素材の価値も伝わる』
「光の入り方で工房の場所を決めるのか」ガルムは呆れた声で言った。「東側は第一層の搬入路と隣接してる。石材や補修用の資材が通る場所だ。台車と工具と採集者がぶつかるぞ。足場の整備が先だ」
『……じゃあ、足場を整備してから東側に作るという順番にしない?』
「足場の整備が終わったら、次の優先項目がある。工房区画はその次だ。お前さんの言う東側案は、順番が合ってれば否定しない。ただし今じゃない」
『今じゃないのは分かってる。でも、将来の配置図として書いておくだけなら構わないでしょ』
「……構わん。ただし、その図は現状の導線図と並べて管理棟に貼れ。実態と絵空事の区別がつくようにな」
その夜、管理棟の壁に二枚の図が並んだ。現状の砦導線図と、将来の工房区画配置図。将来図には、東側に小さく工房の枠が書かれている。隣には「足場整備・搬入路整理の後」と但し書きがある。ガルムが追記した字は、ミストの字より大きくてごつかった。
翌朝早く、セレスから報告が入った。
『管理者様。昨日の帰還ピーク時のデータを整理しました。北側空き地への立ち入りを昨日一日観察した結果、荷台の通過数が前日比で十二パーセント増加しています。マルテ氏が板材を撤去した後、台車の干渉は一件もありませんでした』
「記録に残しておいてください。職人区画の設計基準にします」
『了解です。……もう一件、報告があります』
セレスの声のトーンが変わった。
『今朝、第一層の訓練導線で、ヤルゼン殿の若手の一人が転倒しました。怪我はありません。ただ、転倒した位置が訓練区画の境界に近い場所でした。ガルムが現場を確認しています』
レインは端末を持ち直した。
「境界の何メートル手前ですか」
『二メートルです。転倒の衝撃で、持っていた工具袋が境界の外まで飛びました』
「今日の訓練の継続はどうなっていますか」
『ガルムが一時停止させています』
レインはすでに管理棟の扉に向かっていた。職人の話は一区切りついた。次は訓練導線だ。境界の外まで荷物が飛んだということは、人間が飛ぶ可能性もあったということだ。




