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第65話 常連たちの稼ぎが減る

 洗い場が詰まったのは、昼前だった。

 第二層から帰還した採集者が採集物を持って受付へ向かうと、その手前の洗い場で人が重なっていた。採集物の土や汚れを落とす場所が、三台ある洗い桶のすべてで塞がっている。


「ちょっと待ってくれ。まだ終わってない!」


「俺も時間がかかってるんだよ。今日の鉱泥は粘度が高くて落ちにくいんだ」


「後ろ詰まってるよ!早くしてくれ!」


 三人がそれぞれ別の言い訳を言いながら、洗い場の前で動けなくなっていた。

 その列の後ろに、顔の見知った常連が二人、腕を組んで待っていた。どちらも黄札持ちで、一週間に三度以上採集に来る常連だ。


 片方が、もう片方に言った。


「また初回の連中か」


「そうだな。先週から急に増えた」


「俺、今日二往復しようと思ってたのに、この調子じゃ一往復で時間切れだな」


 声は抑えていたが、聞こえる距離だった。

 受付棟の台帳机では、ベルダが昼の記録をまとめていた。


 外から大きな声が届いた。今度は洗い場ではなく、受付の列だ。


「昨日も三十分待ったぞ。今日もまた同じかよ」


「帰還報告がこんなに時間かかるとは思わなかったぜ」


 ベルダは台帳に目を落としたまま言った。


「レイン、今週の入場数は分かる?」


「セレス。記録は?」


 レインは端末を持ったまま答えた。


『今週月曜から今日昼時点で、初回来訪者が二十三名。再訪者が三十一名。商人・職人系の問い合わせが八件。合計六十二名。先週比で一・七倍です』


「去年の今頃と比べると?」


『六倍を超えています』


 ベルダは台帳を閉じた。


「数字が出るとそういうもんかと思うけど、現場で見るとまた違う感じがするね。一週間前は、あの洗い場に並んでも五分で終わってた」


「今日は二十分待ちです」


「それを知ってる常連が、初回の人間に怒鳴り始めると、次はその初回の人間が怒鳴り返す。……そういう流れになる前に何か手を打たないといけないね」


「分かっています」


 午後、常連の一人がレインに直接声をかけてきた。

 三十代後半の、がっしりした体格の男だった。名をダスと言い、鉱泥採集を専業にしている採集者だ。半年以上この砦に通い続けている。


「管理者。少し話がある」


「どうぞ」


「俺は週に四日ここに来て、採集で家族を養ってる。今月、売上が先月比で三割下がった。理由が分かるか」


「おおよそは」


「俺の採集量が減ったわけじゃない。受付が遅くて、採集に入れる時間が削られてるんだ。昨日は朝の受付で四十分待った。一往復分の採集時間がそれで消えた」


 ダスの声に棘はなかった。感情的に怒鳴りに来たのではなく、事実を伝えに来ていた。


「以前は、三往復できた日もあった。それが今は一往復か、よくて二往復だ。……人が増えることで俺たちが損をするなら、ここで稼ぐ意味が変わってくる」


 レインはダスを見た。


「今週の売上の落ち込みは把握しています。あなた一人の話ではない。常連の採集者全体の平均収益が、先週より低下している。受付待ちの時間が伸びたことが直接の原因です」


「分かってたなら、なぜ先に手を打たなかった」


「講習と確認の導入を優先した結果、再訪者の処理が後回しになりました。判断の順序として、そちらを先にしたことは認めます。……ただ、今あなたに言える対応は一つです。再訪者の専用列を今日中に設けます」


「それで待ち時間はどのくらい戻る」


「半分以下には落とせます。ただし完全には戻りません。今の入場数では、ゼロには戻せない」


 ダスはしばらくレインを見ていた。


「……半分以下なら、二往復はできる計算だ」


「そうなります」


「じゃあ頼む。それだけでいい」


 ダスは短く言って、荷捌き場の方へ歩いていった。


 「セレス、再訪者の割合と通過時間の平均を出してください」


『再訪者は全体の五十パーセントです。初回来訪者と混在している現状では、一人あたりの受付処理時間が平均十四分かかっています。再訪者だけを分離した場合、採集札番号と記録の照合のみで、三分以内に処理できます』


「ルカ、再訪者専用の簡易確認手順を組んでください。採集札の番号照合と、前回の帰還記録の確認のみ。口頭説明は省略。問題があれば別列に回す」


『了解です。ただし、長期間来ていない再訪者については、記録が古い場合があります。三ヶ月以上ブランクがあれば、再度口頭確認を入れた方がいい』


「三ヶ月を基準に。それより短い再訪者は簡易確認のみ。それより長いブランクがある場合は初回に準じた確認を入れる。ベルダ、台帳に最終来訪日は記録されていますか」


「全員じゃないね。常連はあるけど、たまに来る人間はやや怪しいさ」


「今日から全員記録します。ルカ、台帳への最終来訪日の記録を標準手順に組み込んでください」


『組み込めます。ただし手書きの台帳なので、記録漏れが出る可能性があります。記入欄を台帳の右端に固定して、ベルダさんが気づきやすい位置にするだけでも精度が上がります』


「ミスト、台帳の様式変更だけお願いします。見栄えより機能優先で」


『分かった。でも少しだけ見やすくさせて。今の台帳、字が詰まりすぎてて読みにくいから、行間だけ広げる』


「それはいいです」


 午後の受付に、二本の列が生まれた。


 左列:「初回・確認必須」。右列:「再訪・簡易確認」。


 貼り出した紙には一行ずつ書いてある。ベルダが達筆で、迷わない文字で書いた。


「初めての方:左側」「二度目以降の方:右側」


 それだけだった。

 右列はすぐに流れ始めた。採集札番号の確認、最終来訪日の記録、出入りの記録。一人三分を切った。


 常連のダスが右列に並び直し、五分後には受付を終えて採集に向かった。その後ろにも、見知った顔が続いた。

 バロスがやってきたのは、列が落ち着いた頃だった。


 いつも通りの恰幅のいい体で、荷捌き場を眺め回しながら言った。


「管理者殿。今日、宿舎の空きがまたなくなったな。うちの倉庫に空き部屋があるから、一時的に貸せないこともないが、どう思う」


「条件次第です」


「今すぐ金はいらない。来月の出荷枠を一台分、優先させてくれれば十分だ」


 レインは少し考えた。


「出荷枠の優先は既存条件の変更になります。それはできません」


「では追加枠として、一台分だけ」


「追加枠は今月の内部留保を確認してからでないと約束できません。……ただし、宿舎の一時貸し出しは別の形で話を進められます。バロスの倉庫を宿舎として使う場合、利用者の管理は誰がやりますか」


「私の商会の者が対応する」


「夜間の問題は?」


「うちの商会の裁量で収めます」


「それは困ります」


 バロスが片眉を上げた。


「この砦の宿舎区画で起きたことは、砦の管理規則のもとで動く必要があります。バロス商会の裁量ではなく、砦側の基準で動くことが条件です。……それが守れるなら、一時使用の話を進めます」


「……なるほど。うちの建物だが、ルールは灰霧のもの、というわけか」


「そういうことです」


 バロスはしばらく黙った。


「……それでいい」


 彼はそう言った後、少し表情を変えた。実務の話とは別の声になった。


「ところで、管理者殿。今日、うちの商会の知り合いが来ている。職人だ。木工をやっている。灰霧産の材木が良質だと聞いて、ここで加工の仕事ができないかと考えているらしい」


「名前は」


「マルテという若い男だ。腕はいいが、商売の常識がまだない。……放置すると勝手なことをするかもしれない」


「分かりました。受付で話を聞きます」


「頼んだ。……私の顔を立てて丁重に断ってくれても構わない。ただ、まずは話だけでも」


 バロスが腹の底から押し出すような笑い声を残して荷捌き場の方へ戻っていった。

 夕刻、受付棟に、若い男が荷物を抱えて入ってきた。


 二十代前半で、工具の入った袋を肩に下げ、見本と思しき木工品をいくつか手に持っている。丁寧に作られた小箱と、継ぎ目のない椅子の脚だった。


「あの、マルテと言います。ここで工房を出す話を……バロス殿に紹介してもらって来ました」


「受付です。少し待ってください」


 ベルダが台帳を開き、レインを呼んだ。

 レインはマルテを見た。見本の木工品を手に取り、継ぎ目を指で確かめた。


「良い仕事ですね」


「ありがとうございます。灰霧産の材木で作った試作品です。水脈に近い層の木材は、湿気に強くて加工しやすいと聞いたので……」


「工房を出したい場所は決めていますか」


「あの、砦の北側の倉庫の隣に空き地があったので、そこを考えていたのですが」


 レインは端末を開いた。


「北側の空き地は荷運び導線に隣接しています。工房を置くと、素材の搬入と採集者の帰還導線が干渉します。今は使えません」


「では他の場所は……」


「今日の時点で、職人が使える区画は仮指定のみです。正式な工房登録制度はまだ整っていません。……ただ、今日すぐ断る必要もない」


 レインは台帳を指した。


「仮登録という形で名前と職種を記録します。工房区画の整備ができた段階で、優先的に案内します。それまでの間、見学は可能です。砦内での見学区画への立ち入りも、明日の仮講習を受ければ認めます」


「仮登録というのは……お金はかかりますか」


「今日はかかりません。区画整備後、使用条件が決まってから話を進めます」


 マルテは少し安心した顔をした。


「……ありがとうございます。では、仮登録をお願いします」


 ベルダが台帳を開き、「職人・仮登録」の列にマルテの名前を書き入れた。

 その夜、レインが端末に向かっていると、ルカの声が届いた。


『再訪者の平均通過時間、二分四十秒。先週比で八十パーセント削減です。常連の一日あたり採集回数も、一・三回から一・九回に戻りました』


「二往復には届いていませんが」


『入場者数が増えているので、これが今の上限です。これ以上戻すには、採集区画の枠自体を広げるか、入場時間を延長するかが必要です。どちらも今週中にはできません』


「分かりました。現状でダスへの説明は満たせています」


『はい。ただし一点報告があります。今日、商人の一人が「再訪列に割り込めば早く通れる」と言って、再訪列に並ぼうとしました。初回来訪者でしたが、採集札を昨日取得していたため、「再訪扱いにならないか」と主張しました』


「昨日が初日なら再訪ではありません」


『ベルダさんが台帳を確認して、初回列に案内しました。本人は不満を言いながらも従いました』


「記録に残してください。同じことをした場合、二回目は列の外に出してもらいます」


『了解です。……あと、もう一件。夕方、職人のマルテという方が、北側空き地を下見していたとガルムから連絡が入りました』


「見ただけですか」


『資材を少し置いていたようです。ガルムが声をかけて、今日は持ち帰ってもらいました』


 レインは少し間を置いた。


「マルテに、明日の朝、話があると伝えてください。ベルダ、明日の台帳の最初に入れてください」


「分かった」


 ベルダが台帳に書き込む音が聞こえた。

 レインは端末を閉じる前に、今日の記録を一度確認した。


 再訪列の設置。常連の収益導線の一部回復。バロスとの宿舎の話。マルテの仮登録。北側空き地への資材の先置き。

 仮登録した翌日に、もう資材を置きに来た。


 親切心で来たのか、商機を逃したくなかったのか、単純に規則を知らなかったのか——その区別をつけるのは、明日の話だった。

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