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AI精霊と始める迷宮再建 〜落第管理者ですが、運用改善で最強ダンジョンを作ります〜  作者: 結城ログ
第2章:人口爆発と衛生インフラ問題 ―― 地下水脈層を解放せよ
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第33話 井戸では足りない

 翌朝、灰霧前砦は重苦しい空気に包まれていた。


 昨夜のうちに激しい腹痛と発熱を訴えた数名の作業員と商人の下働きたちは、巡回治療師エルメアの迅速な指示によって、居住区画から離れた風下のテントへと隔離されていた。

 急造の隔離病棟の周囲には、気休め程度にしかならないと分かっていても、強い匂いを放つ薬草が絶え間なく焚かれている。だが、むせ返るような煙の奥から漏れ聞こえてくる苦しげなうめき声は、目に見えない病魔への恐怖として、確実に拠点の人々の間に暗い影を落とし始めていた。


 青い線で囲まれた商人区画の奥。

 ひときわ巨大で立派な天幕の中で、灰霧前砦の首脳陣とも呼べる数名が、重い顔を突き合わせていた。


「――結論から言おう、共同経営者殿。水樽だ。近隣の街や村から、荷馬車を使って大量の飲料水を運び込む。これしか、今の急場をしのぐ方法はない」


 上等な絨毯が敷かれた天幕の中央で、商工会会頭のバロスが葉巻をくゆらせながら、力強く言い放った。

 その恰幅の良い体から発せられる凄みは、ただの強欲な商人という枠に収まらない、修羅場をくぐり抜けてきた者の絶対的な自信に満ちている。


「私の商会のネットワークと資金力をフルに動かせば、今日からでも毎日五十樽の清水をこの砦に運び込むことができる。どうだ? これなら、少なくともあの薄汚い泥水で顔を洗わずに済むだろう」


 バロスの提案は、商人としては極めて迅速で、頼もしいものだった。

 事実、同席していた現場作業員頭のガルムも、その言葉にパッと顔を輝かせた。


「マジかよ、会頭! 毎日五十樽も来るなら、とりあえず飲み水と炊き出しの分は確保できるじゃねえか。これで病気も収まるんじゃ……」


「待ちな、ガルム。そんな簡単な話じゃないんだよ」


 喜ぶガルムを冷たく遮ったのは、運用管理長のベルダだった。

 彼女は徹夜明けの充血した目で、抱え込んでいた分厚い帳簿をドンッと机の上に叩きつけた。


「アタシの記録を甘く見ないでおくれ。いいかい、現在この防壁の内側にいる人間は、ざっと見積もっても五百人を超えているんだ。人間が一日生きていくのに、どれくらいの水が必要か計算したことあるかい?」


 ベルダは帳簿のページを乱暴にめくり、インクで書き殴られた数字を指差した。


「飲み水だけじゃない。あんたも美味いって食ってる、あの炊き出しのシチューを作るための水。泥まみれの服を洗うための水。魔物の解体で出た血を洗い流すための水。便所の汚物を少しでも流すための水。それに何より、商人のあんたたちが乗ってきた数十頭の馬に飲ませる大量の水だ。……これらを最低限のラインで切り詰めても、五十樽なんて、昼過ぎにはすっからかんになる量だよ」


「……ならば、百樽に増やそう。馬と人足の数を倍にすればいいだけのことだ」

 バロスが太い指で机を叩き、涼しい顔で言い放つ。


「それでも足りないと言っているんです、会頭」


 ずっと黙って二人のやり取りを聞いていたレイン・ヴァルトが、銀縁眼鏡を中指で押し上げ、静かな、しかし有無を言わせぬ声で介入した。


「バロス会頭の迅速な物流手配ロジスティクスには感謝します。ですが、外部からの水樽の搬入という対症療法(パッチ当て)では、この拠点のトラフィック(人口の消費量)を長期的に支えきることは絶対に不可能です」


 レインは手元の管理端末スレートを操作し、青い光の玉――分析精霊セレスを呼び出した。


『管理者様の言う通りです。当方のシミュレーション結果を報告します』


 セレスが空中に、水樽の搬入数と消費ペースを示すグラフを投影する。


『現在、拠点に備え付けられていた古い井戸は完全に枯渇しています。すべての水を外部調達に頼った場合、百樽の搬入を行っても、明日の夕方には再び水不足に陥ります。さらに問題なのは、輸送にかかるコストです。水という極めて重い質量ペイロードを大量に長距離輸送すれば、馬と人足の疲労により、三日後には輸送ラインそのものが物理的に破綻します』


『セレスの言う通りだぜ! それに、毎日大量の馬車で水だけを運ぶなんて、自動化の観点から見てもクソほど非効率だ! 人件費とランニングコストがバカ高すぎる!』


 黄色い光の玉、ルカも激しく同意して飛び回る。


『……品質面クオリティの懸念も無視できません』


 緑の光の玉、監査精霊ノアが冷徹な事実を付け加えた。


『木樽に詰めて長時間揺られた水は、この初夏の気温では容易に腐敗し、細菌が繁殖します。安全な水を買ったつもりが、汚染水を高値で買わされるリスクが極めて高いと判断します』


『大体、樽の水なんて美しくもないし美味しくもないわ! 私は綺麗な冷たい水が絶え間なく湧き出る、大理石の水飲み場がいいのよ!』


 赤い光の玉、ミストのヒステリックな声が響く。


 四体の精霊による容赦のない論理的な全否定。

 レインは端末を閉じ、バロスを真っ直ぐに見据えた。


「これが結論です。水は、金で買って運べば済む『商品アイテム』ではない。都市というシステムを維持するための、血管であり、インフラそのものです。……運搬コスト、供給の不安定さ、品質の劣化。これらを考慮すれば、外部調達という選択肢は、長期的な拠点運営において完全に破綻している」


 レインの冷徹な指摘に、バロスの背後に控えていた側近の商人が顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。


「無礼な! 我々商工会が、せっかく良かれと思って手を差し伸べてやっているというのに! 大体、水がなければ明日にもここから逃げ出すしかないだろうが!」


「やめろ」


 バロスが低く凄みのある声で側近を制した。

 彼は不快感を示すどころか、太い指で顎を撫で、どこか愉快そうに喉の奥で笑い声を漏らした。


「……クックック。いや、見事な計算だ。青い精霊殿の言う通り、私の頭の中の計算盤そろばんでも、一週間後には運送費が利益を食いつぶし、水樽の値段を十倍に跳ね上げねばならんと弾き出していた」


 バロスは葉巻を灰皿に押し付け、レインに向かってニヤリと笑った。


「さすがは共同経営者殿だ。目先の渇きに囚われず、全体の『仕組み』を見ている。……確かに、あんたの言う通りだ。水を外から売りつけるのは、私たち商人にとってはボロ儲けの商売ビジネスにはなる。だが、この要塞都市を持続させるための『街の骨』にはならん」


 ただの強欲な商人であれば、ここで無理やりにでも水を売りつけ、利益を貪ってから砦を捨てていただろう。

 だが、バロスは目先の小銭ではなく、この巨大な経済圏システムそのものが長く回り続けることこそが最大の利益だと理解している。商売の限界と、インフラの境界線を明確に引ける男だった。


「だとしたら、どうするつもりだい、レイン」


 ベルダが不安げに問いかける。


「金で解決できないなら、自分たちで水源を見つけて、この防壁の中に新しい井戸を掘るしかないのかい? でも、この荒野はどこまで掘っても泥水しか出ないって、昔の坑夫が言ってたよ」


「ええ。地上を掘っても無駄です。だから、下に向かいます」


 レインは静かに立ち上がり、砦の奥――地下迷宮への入り口の方向を見据えた。


「第一層のさらに下。俺がこれまで、地上の受け皿(処理能力)が足りないという理由で、意図的に封印ロックしていた階層。……第2層、《地下水脈層》です」


「第2層……! ついに、奥の扉を開けるのか!」


 ガルムが立ち上がり、拳を固く握りしめた。

 元冒険者である彼の目には、未知の領域への期待と、強力な魔物との戦闘を予感する戦士の光が宿っていた。


「おう、エリート様! 任せとけ! 俺が腕利きの野郎共を集めて、第2層の魔物を蹴散らして、安全な水場を確保してきてやるぜ!」


「勘違いしないでください、親方」


 レインは、勇み立つガルムの熱を、氷のような声で冷ました。


「これは、未知のロマンを求める『冒険』ではありません。今行かなければ、俺たちが地上から腐り落ちて死ぬから行くんです。極めて後ろ向きで、切羽詰まった『インフラ復旧工事(出勤)』です」


 レインの言葉に、ガルムはハッとして口をつぐんだ。

 そうだ。彼らは今、新しい宝を探しに行くのではない。病で死にかけている仲間を救うため、生き延びるための命綱を、泥水の中から探り当てなければならないのだ。


「……素晴らしい決断ですね、管理者殿。まったくもって、同感です」


 その時、天幕の入り口から、バロスのものとは違う、ひどく洗練された上品な男の声が響いた。


「失礼。有益な商談の気配がしたもので、つい立ち聞きをしてしまいました」


 天幕の入り口の布をめくり、一人の若い男が足を踏み入れてきた。

 二十代後半。埃にまみれた砦には似つかわしくない、仕立ての良い細身の服を身に纏い、人当たりの良さそうな、しかし目の奥は決して笑っていない完璧な笑みを浮かべている。


「初めまして、やり手の管理者殿。私は王都に本部を置く水運商会連合の代理人、セドリック・ヴェインと申します」


 セドリックと名乗った男は、大仰に胸に手を当てて一礼した。


「……チッ。嗅ぎ回るのが早いな、セドリック。ここは私の商会の管轄だぞ」


 バロスが露骨に不快感を示し、舌打ちをする。

 どうやら、同じ商人でも流儀の違う競合相手らしい。


「おや、ご挨拶ですねバロス会頭。私はただ、この素晴らしい発展を遂げている要塞都市の『危機』を救うために、ささやかなご提案を持ってきただけですよ」


 セドリックはバロスの威圧を柳に風と受け流し、レインに向かって優雅に微笑んだ。


「管理者殿。第2層から水を引き上げる計画、実に素晴らしい。ですが、地下から水を汲み上げ、それを五百人の住人に安定して配るためには、巨大なポンプ、貯水槽、そして配水管といった大規模な『設備投資』が必要不可欠です。今のあなた方には、それを賄うだけの建材も資金も足りていないはずだ」


 セドリックは懐から、一枚の美しい羊皮紙の契約書を取り出した。


「我々水運商会が、その厄介な設備投資のすべてを『自費』で行いましょう。最新の魔導ポンプの搬入も、巨大な貯水槽の建設も、すべて我々が引き受けます。あなた方はただ、地下の水源を見つけるだけでいい」


「……随分と気前のいい話ですね。見返りは何ですか」


 レインが警戒を隠さずに問い返すと、セドリックはニコリと笑みを深めた。


「ほんの些細なことです。……我々がくみ上げた水を、この拠点で販売する『独占的な水利権(契約)』を頂きたい。継続的な供給の要を、うちの商会に完全に預けていただきたいのです。喉の渇いた冒険者たちに、毎日安全で冷たい水を『適切な価格』でご提供しましょう」


 その言葉を聞いた瞬間、天幕の中の空気が一気に凍りついた。


 設備の投資を肩代わりする代わりに、水の販売権を完全に独占する。

 それはつまり、この砦の人間が生きていくための「命綱のバルブ」を、外部の商会が完全に握るということを意味していた。

 もし彼らが「明日から水の値段を十倍にする」と言い出せば、拠点の人間はそれに従うか、渇き死ぬかしかなくなるのだ。


「……なるほど。水を『商品』として切り出し、拠点の命根っこを握ろうというわけですか」


 レインの瞳の奥で、冷たい怒りの炎が静かに燃え上がった。


「お断りします。水は共有インフラだ。外部の商会(API)に、拠点の生命線を依存ロックインするようなシステム設計は、管理者として絶対に容認できない」


「おやおや、即答とは悲しいですね」


 セドリックは契約書をゆっくりと懐にしまい、肩をすくめた。


「ですが、管理者殿。理想だけでは喉の渇きは癒えませんし、病も治りませんよ? ……せいぜい、地下で魔物に食われないようにお気をつけください。我々はいつでも、契約書を用意してお待ちしておりますので」


 セドリックは一切崩れない不敵な笑みを残し、静かに天幕を去っていった。


 残されたレイン、ベルダ、ガルム、そしてバロスの間に、重苦しい沈黙が落ちる。


 水が足りない。

 ただそれだけの事実が、病魔という物理的な脅威を引き起こし、さらには「利権」という外部からの政治的な圧力までもを拠点に引き込み始めていた。


 水は、命だ。そして同時に、支配のための強力な武器でもある。


「……保留は、もうできませんね」


 レインは静かに呟き、ベルダとガルムに向き直った。


「ベルダさんは、引き続きエルメアさんと共に地上の検疫と隔離を進めてください。親方は、腕の立つ大工と、護衛のできる冒険者を数名見繕ってください。……地下水脈層へのルート構築を開始します」


 ただの迷宮探索ではない。

 生き延びるため、そして誰にも支配されない独立したシステムを守り抜くため。

 レイン・ヴァルトにとっての本当の「拠点の運営」が、いよいよ最も深く、暗い地下の世界へと足を踏み入れようとしていた。

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