第24話:一日目の建設
灰霧前砦の周囲は、凄まじい熱気と土埃、そして男たちの怒号に包まれていた。
「おい、そっちの岩をもっと右に積め! 隙間を開けるな!」
「親方、壊れた荷車はどうしやすか!?」
「車輪ごと岩の隙間に突っ込んどけ! どうせ後から魔法で固めちまうんだ、質量が増えりゃあ何でもいい!」
上半身裸になった現場頭のガルムが、大粒の汗を飛ばしながら指示を飛ばす。
彼の下で動いているのは、砦の修繕工事のために呼ばれていた大工たちだけではない。迷宮探索を終えて地上に戻ってきた冒険者たちや、一攫千金を夢見て王都からやってきた荒くれ者たちまでが、総出で泥まみれになって働いていた。
彼らを動かしているのは、商人バロスが気前よくばら撒いた「銀貨」の力だ。
荒野に転がる人間の背丈ほどもある巨岩、枯れ木、古い砦の崩れた外壁の破片、そして捨てられた武具や荷車。ありとあらゆる「質量のあるゴミ」が、大勢の人間たちの手によって次々と運ばれ、灰霧前砦をぐるりと囲むようにして、高さ五メートルほどの巨大な「ゴミの山」の輪が形成されつつあった。
それは、大工であるガルムの目から見れば、およそ防壁と呼べるような代物ではない。ただの巨大な廃棄物の山だ。少し強い風が吹けば崩れ落ちそうなほど不安定で、醜悪極まりない景観だった。
「……本当に、こんなもんが城壁になるのかよ」
ガルムが泥水をあおりながら、半信半疑で呟いたその時。
「なりますよ。皆さんが運んでくれたその『質量』こそが、最大のコスト削減の要ですから」
土埃を掻き分けるようにして、迷宮管理者レイン・ヴァルトが歩み出てきた。
彼の周囲には、赤、青、緑、黄色の四つの光の玉――AI精霊たちが、忙しなく飛び回っている。
「お前さん……準備はいいのか。こっちは指定された通り、砦の外周に沿ってゴミの山を積み上げたぜ。正面の門になる部分と、荷捌き場になる広場だけは空けてある」
「ええ、完璧な配置です、親方。……ここから先は、俺とこいつらの仕事だ」
レインは銀縁眼鏡を押し上げ、巨大なゴミの山の前に立った。
周囲で作業をしていた冒険者や大工たちが、これから何が起きるのかと固唾を呑んで見守り、少し離れた安全圏では、商人バロスが腕を組んで面白そうに観察している。
レインは深く息を吸い込み、右手をゴミの山へと向けた。
「ミスト。対象の質量と体積、および強度計算の設計図を出せ」
『任せてちょうだい! ゴミの隙間を埋めるための魔力密度、強度は鋼鉄の1.5倍に設定! 結合面は……ちょっと複雑だけど、私の計算なら誤差0.01ミリよ!』
赤い光の玉――設計精霊ミストの誇らしげな声が響く。彼女の声は、周囲にいるガルムたちにもはっきりと聞こえていた。
「ノア。魔力タンクの解放準備。出力は最大値の八割で固定しろ」
『……了解しました。しかし管理者様、警告します。これほど広範囲にわたる魔力の物質化は、あなたの肉体と精神の神経回路に甚大な負荷をかけます。限界を超えれば、あなた自身の命に関わります』
緑の光の玉、ノアの厳格な声に、レインは小さく笑った。
「システムを落とす気はない。ギリギリで持ち堪える。……行くぞ」
レインの右の手のひらから、青白い魔力の光が溢れ出した。
それは、美しい魔法陣を展開するような幻想的な魔術ではない。まるで高圧の放水管から泥水が噴き出すかのような、暴力的なまでの魔力の濁流だった。
「――拠点環境干渉、実行!」
レインの声と共に、青白い光の奔流が、眼前にそびえる巨大なゴミの山へと撃ち込まれた。
ズズズズズッ……!!
大地震のような重低音が荒野を震わせる。
「うおっ!? なんだ、何が起きてやがる!」
「光が……ゴミの山を溶かしてるぞ!」
冒険者たちが悲鳴にも似た声を上げる。
光の濁流はゴミの山に直撃すると、まるで意思を持ったアメーバのように岩や木材の隙間を這い回り、全体を飲み込んでいく。
迷宮の底から汲み上げられた純度の高いマナが、物理法則を強制的に書き換える「接着剤」となり、様々な形や素材のゴミを一つの強固な物質へと融合させていくのだ。
木材は炭化しつつ極限まで圧縮され、岩は溶けて混ざり合い、そのすべてが、迷宮の壁と同じ漆黒の輝石へと変異していく。
数分前までただの粗大ゴミの集積だったものは、見る見るうちに、表面はゴツゴツと醜悪ながらも、一切の隙間がない高さ五メートル、厚さ三メートルの「漆黒の防壁」へと姿を変えていった。
「すげえ……! マジで壁になりやがった!」
ルカの黄色い光の玉が、歓喜の声を上げて壁の周囲を飛び回る。
だが、魔法を行使しているレインの顔は、苦痛に歪んでいた。
「ぐっ……! まだだ……! 次は、防壁の内側の、地盤……!!」
レインは壁から手を離さず、そのまま視線を正面の広場――門と荷捌き場になる予定の、ただの泥濘んだ荒野へと向けた。
青白い光が地面を這う。
泥と小石だらけだった不均等な地面が、光の通過と共に、まるで巨大なローラーで押し潰されたかのように平らに均され、分厚く滑らかな石畳へと書き換えられていく。
商人たちが馬車を横付けし、巨大な倉庫を自費で建てるための、絶対に沈み込まない完璧な土台だ。
『管理者様! 魔力消費が想定ラインを突破しました! 管理核の残存マナ、残り二十パーセントを切ります!』
セレスの悲痛な声が響く。
「……計算通りだ……。最後に、一番厄介な部分の接合を……やる……!」
レインの額から滝のような汗が流れ落ち、鼻血がツーと一筋伝い落ちた。
物理的な巨大建築において最も脆くなるのは、常に「古いものと新しいものの境界」だ。
新しく生成した漆黒の外壁と、数百年前に建てられた既存の灰霧前砦の古い石壁。この二つを物理的に接続しなければ、そこから壁は崩壊する。
『気を付けて、管理者! 古い砦の石材は劣化してるわ! 強引に新しい魔力石をくっつけたら、圧力の差で砦の壁の方がひび割れて弾け飛ぶわよ!』
ミストが警告の赤色を激しく点滅させる。
「分かってる……! だから、魔力の浸透圧を……同期させる……!」
レインは歯を食いしばり、魔力の出力の「波」を、古い砦の微弱な魔力の波長と合わせるように、ミリ単位の精度でコントロールした。
巨大な力で押し切るだけではダメだ。これは暴力ではなく、システム同士の結合なのだ。
古い石壁の隙間に、新しい漆黒の石が植物の根のように細かく入り込み、やがて両者は完全に一体化して固まった。
「……出力停止……!」
その言葉と共に、周囲を満たしていた眩い青白い光がフッと消え去った。
後に残されたのは、圧倒的な静寂と、奇跡の痕跡だった。
「……こいつは、とんでもねえな」
ガルムが、震える手で新しく生まれた漆黒の防壁に触れる。
ツギハギだらけで、表面には荷車の車輪の跡や、不自然に出っ張った岩の形がそのまま残っている。だが、その硬度は城の城壁どころの騒ぎではない。巨大な攻城兵器の鉄球をぶつけても、傷一つ付かないであろう絶対的な硬さと密度を誇っていた。
「おい見ろ! 砦の前が、王都の広場みたいに真っ平らな石畳になってるぞ!」
「あんな泥沼だった場所が……! これなら、雨が降っても馬車の車輪が沈まねえ!」
冒険者たちと大工たちが、完成した防壁と広大な荷捌き場を見て、割れんばかりの歓声を上げた。
しかし、その歓声の輪の中心で、レインは限界を迎えた肉体を支えきれず、ガクンと膝をついた。
「おい、お前さん! 大丈夫か!」
ガルムが慌てて駆け寄り、レインの細い身体を抱え起こす。
「……問題、ありません。ただの魔力枯渇と疲労です……。一日休めば、回復します」
レインは荒い息を吐きながら、血の滲んだ口元を手の甲で拭った。
魔法の万能感などどこにもない。ただ命を削って、巨大なインフラの「外枠」を出力しただけだ。
だが、その外枠さえあれば、あとは「彼ら」が勝手に動いてくれる。
「おおーい! お前ら、ポカンと突っ立ってないで手を動かせ! 最高の地盤が完成したぞ! 管理者殿との契約通り、今日中に一番いい場所に商会の巨大テントを張り、明日には倉庫の基礎工事に取り掛かるんだ!」
商人バロスの豪快な声が響き渡った。
歓声に酔いしれる暇などない。商機を逃すまいと、バロスの商会の者たちが、完成したばかりの石畳の荷捌き場へと怒涛の勢いで馬車を乗り入れ、凄まじい手際で巨大なテントの設営と木材の荷下ろしを始めた。
王都の役人が「違法だ」と騒ぐ前に、彼ら自身の金と資材で、この地に巨大な「既成事実」を作り上げるためだ。
「……ハッ。たくましい連中だ。あの石畳の血も乾かねえうちに、自分の城を建て始めやがった」
ガルムが呆れたように笑う。
「……ええ。それでいいんです。システムを回すのは、人間の欲望ですから」
レインはガルムの肩を借りて立ち上がり、西の空に沈みゆく夕日を見つめた。
一日目の建設は終わった。防壁と広場という、最低限の「生存圏」の形は整った。
だが、レインの計算には、すでに次なる課題が明確に浮かび上がっていた。
物理的なインフラ(ハードウェア)が完成し、そこに大量の人間と物資が流れ込めば、必ず起きる問題がある。
『管理者様。……冒険者と商人たちの間で、すでに野営場所を巡る小競り合いが三件発生しています。このままでは暴動に発展する確率が上昇中です』
ノアの冷静な報告が、レインの脳内に響く。
「……わかっている。人が増えれば、混乱も増える。ハードウェアの次は、それを制御する『ソフトウェア』――すなわち、ルールの構築が必要だ」
王都からの特別査察官の到着まで、残りおよそ四十八時間。
強固な壁を手に入れた灰霧前砦は、明日、その内側にうごめく「人間の混沌」という次なる障害と対峙することになる。




