第157話 書き直しの手順
恒久の紙は三通ある。領に一通。委員会に一通。灰霧に一通。毎月書き足すのは灰霧の一通だけで、あとの二通は年に一度しか開かれない。
レインは灰霧の一通を卓へ出した。表紙をめくる前に綴じ紐の脇の一行を読む。
『読み上げます』
ノアの灯が結び目の上へ寄った。
『書き直しの申し出は三方のいずれからでも出せます。申し出のあった年のうちに卓を開きます。……ここまででございます』
「開いたあとが書いてありませんね」
『書いてございません』
「どの列を開くのかも」
『ございません』
ルカの罫が紙の縁を上から下までなぞった。
『五本が一枚に綴じてあります。一本だけ開く形は書かれていません』
「開けば五本とも卓に載りますか」
『載る形になっています』
レインは紐へ指をかけたまま少し動かなかった。兵の数も掃除の頭数も市の場所代も、列を一本足すためだけに一度ほどけることになる。
『載せた列は読まれます』
ミストの光が紙の面へ落ちた。
『読まれた列は動きます。動かすつもりのない列まで動きます』
「申し出の紙に、開く列の名を書く欄を作ります」
『申し上げます』
ノアの灯が紐から離れた。
『手順を書き直す申し出は、手順のどこにも書かれていません』
「書かれていない申し出は出せませんか」
『出せます。ですが出した先例が残ります。この一度で、あとの代が手順そのものを開く道を通します』
「通します。……通り方を先に書いておきます」
『では二つに分けます』
ルカの罫が紙の外へ二本引かれた。
『列を足す申し出。手順そのものを書き直す申し出。前は開く列だけを卓へ載せます。後は三方の揃った年にしか出せません』
「そう綴じてください」
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ベルダは雑の欄を開いたまま上がってきた。指の先に人足の日当の行がある。
「三月ぶん溜まったわよ。このままだと来年の勘定で消えるわ」
「列にします」
「名は」
「渡した先の突き合わせ、です」
ベルダは筆の尻で頬を押した。
「うちの列に他所の土地の話が入るのは初めてね」
「入るのは向こうの世話ではありません。突き合わせだけです」
「向こうがやめたら」
「その年で止まります。こちらの列も止めます」
ベルダは新しい行へ移った。負う側の欄に四つ書く。銭は向こう。人はこちら。数は委員会。道は領。
『原則を当てます』
ノアの灯が四つの上を順に渡った。
『負った方に決めごとが伴います。突き合わせの様式を決めるのは人を出す側です。量り方を決めるのは数える側です。両方をこちらが決めますと、こちらが自分で書いた宿題に丸を付けます』
「様式はこちらです。量り方は委員会に書いていただきます」
「向こうの銭がうちの帳面を通るのはどうするの」
「通しません。峠の宿で払う形にします。こちらの帳面には日当の行だけが残ります」
ベルダは行の頭へ小さく印を入れた。
「じゃあこの列、うちが払わないのに毎月書くのね」
「書きます。書かない月があると、次の年に列ごと消えます」
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卓は五日後に開いた。
ドレファスは申し出の紙を先に読んだ。読み終えてから頭の欄で指を止める。
「開く列の名を書く欄か」
「作りました」
「一本だけ開くと申すか」
「一本だけです」
「前例になるぞ」
「なります。ですから欄を作りました。欄の空いた申し出は受けないと書いておけば、次に来る者は列の名を書かねばなりません」
主席評価官は紙を伏せた。
「書き方が細かい」
「細かく書ける項目です」
ハルドレイは杖の頭へ両手を重ねている。
「六本目は銭が要らんのじゃな」
「領からは要りません」
「では領は何を負う」
「峠の紙です。もう出していただきました」
「出したものを列へ書けと言うか」
「書いておけば、次の代の領の卓で削られたときに気づけます」
老人は喉の奥で笑った。
「わしの出したもんを、わしの孫から守る算段か」
「そうなります」
「書け」
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六本目が通ったところで、レインはもう一枚を卓へ回した。
紙には項目の名だけが書いてある。当番の頭数が足りなくなった年に何をするか。下の行は空だ。
『数え直しました』
セレスの列が卓の中ほどへ伸びた。
『向こうの札が入りましたので数え方が一つ増えました。幅は縮んでいません。四十年から六十年のままです』
「動いたところは」
『向こうが先に下の行へ入ります。同じ場所へこちらより早く届きます』
「先に見えるのですね」
『見えます。見えるだけです。届く前に手を打った例をこちらは一つも持っていません』
ドレファスが空いた行を指で叩いた。
「ここへ何を書く」
「書けません」
『一つ挙げます』
ミストの光が空きの上へ落ちた。
『渡す先を増やす形があります。増えるのは向こうの座る者です。こちらの座る者は増えません。突き合わせの手だけが増えます』
「こちらは減りますか」
『減りません』
『手順の側からも減りません』
ルカの罫が短く並んだ。
『三人を下回った日から紙が使えなくなると書きました。あれはこちらの初めの頁にも書いてあります』
「自分の紙で自分が止まりますね」
『止まります』
卓が静かになった。エイクが綴じを揃える音だけがした。
「答えは書けません」
レインは空いた行の下へ指を置いた。
「ですので、決める場だけを書きます」
『それは答えではありません』
ノアの灯が行の上で止まった。
『手が足りなくなる。この行に対して、卓を開くとだけ書くのですか』
「書きます」
『読む者は答えを探して読みます』
「探して見つからなければ、見つからなかった者が書きます」
レインは壁へ立てかけた表の写しへ目をやった。十四行で終わっている表だ。
「答えを書けない項目に、決める場だけを書いておきます。……古い連中が書かなかったのは、たぶんこれです」
灯はしばらく動かなかった。
『綴じます。条件を一つ付けます』
「伺います」
『卓の立つ年を日付で書かないでください。日付は来ても誰も気づきません』
「では数で書きます」
ルカの罫が三本立った。
『座る者の数。読み違えの欄に入った数。突き合わせに出た紙の数。どれか一つでも欠けた年に卓が立ちます』
「欠けたかどうかは委員会が数えます」
ドレファスは背を伸ばした。
「数えて欠けておれば卓が立つ。……誰が呼ぶ」
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エイクが顔を上げた。
「呼ぶ先を書いておきませんと、その年に誰も立ちません」
「四つです。領。委員会。灰霧。渡した先」
「どの名で書きますか」
若い査定官補は綴じを膝へ下ろした。
「領の帳面では灰霧の街です。委員会の登録では灰霧拠点です。条文の頭は灰霧です。三つが同じ当事者を指すことは附則で束ねてあります。……ですがその附則は、いまこの卓にある紙の中にしかありません」
卓の目が一斉にそこへ集まった。
「四十年先の卓に、名前が要ります」
レインはすぐには答えなかった。この男が口を開くのは、量れない項目が一つ増えると分かったときだ。
「附則を三通とも付け直します。呼ぶ先の欄は名を四つ並べる形にします」
『四つ目は向こうに書かせてください』
ノアの灯が欄の端へ寄った。
『こちらが付けた呼び名で四十年後に呼びますと、向こうの寄合はその名を捨てているかもしれません』
「向こうの帳面で使っている名を書いていただきます」
『それから一行足します』
灯は動かない。
『卓が立った年に何を決めてよいかを書いてください。書かなければ、次の代はその卓で何でも決められます』
「決めてよいのは当番の回し方と費えの割りです」
『決めてはならないものは』
「開けない。閉じない。細く通す。一点だけ覗く。言葉は握る」
『そう綴じます』
ドレファスは最後の行まで読んでから紙を戻した。
「四十年先の卓で、この五つは動かんと書くのだな」
「書きます」
「随分と長い約束をする」
「長い約束ではありません。……その卓で決められることを、いま減らしているだけです」
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三通の写しを揃えたのは翌日だった。
委員会の一通はエイクが持ってきた。領の一通は年に一度しか開かないので、代官補佐が封のまま馬で運んできて卓の上で解いた。
三通を並べると灰霧の一通だけが厚い。毎月書き足しているのはこの一通だけだ。
『差が出ています』
ルカの罫が三通の背丈を並べた。
『あとの二通には去年の検分から先の書き足しがありません。六本目だけを写して閉じますと、来年の検分で差が読めなくなります』
「一年ぶんも写しますか」
『写せば厚みが揃います。揃えば、どれが元の紙か分からなくなります』
エイクの手が止まった。
「元は灰霧の一通です」
「そう書いてある紙はありますか」
査定官補はしばらく綴じを繰ってから顔を上げた。
「……ありません」
「では、そこも書きます」
ノアの灯が三通の間へ下りた。
『毎月書き足す一通を元とする。あとの二通は年に一度で揃える。厚みの違うことは差ではなく、そういう形だと先に書く』
「書いてください」
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框でドルクが聞いていた。卓が散っても腰を上げないまま湯呑みを持っている。
「四十年か」
「早ければ」
「その卓に座る奴は、まだ生まれてねえかもしれねえな」
老人は湯呑みを置いた。
「名前を書く欄は四つで足りるのか」
「足りない年が来たら、その年に足します」
「その手順も書いたのか」
「書きました」
ドルクは框から腰を上げた。
「……じゃあ、俺の分はもういいな」
レインは顔を上げた。老人はもう戸口を出ていた。
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その晩レインは帳面を初めの頁から繰った。
名の欄には分類が入っている。出どころの四つも並んでいる。恒久の列は六本になり、どの列にも負う側の名がある。割らない三項の頁には分担の欄そのものがない。引き継ぎ書の頭には他所の言葉が一行ある。渡す条件の紙には三人目の名まで入った。
長く空けていた欄も、先月まで空いていた欄も、いまはどれも埋まっている。
空いているのは一つだけだった。
卓の立つ年を書く欄だ。数が欠けた年に立つ卓の、まだ来ていない日付を入れる欄だった。
『書けません』
ノアの灯が欄の縁で細くなった。
『空いたまま綴じてよろしいでしょうか』
「綴じてください。……そこは、まだ誰も座っていない者が埋めます」
レインは筆を置いて、当番の紙のほうを引き寄せた。
上の段に名が三つ。下の段に育てている者の名が二つ。上の段の欄は、この一年ずっと三つのままだ。
その紙を書き直す日が、もう近い。




