第156話 二つ目の谷の刻
三人目の名は荷と一緒に上がってきた。
束にはなっていない。封は一枚きりだ。ベルダは受付の紙へ日付と受け取った者の名を先に入れてから蝋を割った。
「短いわね」
「短いです」
名が一つ。所と続柄が二行。最後に一行だけ添えてある。
寄合で反対した家の者にございます。
「反対した人を座らせるの」
「そう書いてあります」
「揉めるわよ」
「揉めます」
レインは条件の紙を引き寄せて、空いていた三人目の欄へ名を写した。
『渡す日が決まりました』
ノアの灯が欄の縁で止まった。
『こちらが決めた日ではございません。向こうが埋めた日でございます。そのように綴じます』
文の裏にもう二行あった。私も座りますが数には入れておりません。三人の揃わぬ晩は下りぬことにいたしました。
「当主が自分を数に入れないのね」
「入れないと書いてあります」
「珍しいわよ。うちの登録なら十人が十人、自分から数えるわ」
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荷へ入れる前に、ルカが問いの紙を三つの後ろへ付けた。
『問いは十のままです。答えられなかった数を書いて返していただきます。中身は求めません』
ミストの光が目盛りの頁で止まった。
『境目が入っていません』
『入れません』
セレスの列が頁の脇へ立った。
『こちらの境目は、こちらの結晶を据えた晩から出た数です。向こうに据える手はありません。そのまま当てれば、外れた晩に外れたと分からなくなります』
「渡せるのはどこまでですか」
『比の取り方までです。三人が離れて座る。同じ晩に別々に書く。比が揃ってから境目を探す。結晶は要りません。要るのは同じ晩に離れて座る三人です』
「初めの境目は向こうが置くのですね」
『置きます。置くまでは当主の耳が仮の境目です。当たっている見込みは申せません』
ドルクは框に腰を掛けたまま聞いていた。
「真下の話はどうした」
「九つには管から一歩外れると書いてあります。向こうの紙には真下と書いてあります」
「向こうの管の太さは、いまだに分からねえままだ」
老人は膝を叩いた。
「書けるのは二晩だけ外して座ってみろってことだけだよ。それが手順に見えると厄介だ」
「手順には入れません。問いのほうへ入れます」
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人足は三人だ。バロスが出した。
「峠の紙は使わねえのか」
「使いません。あれは人を通す紙です。年に二度しかありません」
「一度も使ってねえな」
「使う日まで置いておきます」
商人は値の行を指の腹で押さえた。
「日当と人足だ。まけてねえぞ」
「伺いました」
「まけてねえが、一つ足しといた。峠の宿へ荷の日を先に伝えてある。人足を待たせりゃ日当だけが増えるからな」
『一つ申し上げます』
ミストの光が荷の脇まで下りた。
『こちらの者が一度下りれば、初めの三月は縮みます。座る場所も灯の向きも、横で一度見せれば紙より速く伝わります』
「縮めません」
『理由を伺えますか』
「こちらの者が横で聞けば、向こうの三人はこちらの耳へ合わせます。合わせた耳は、こちらが坂を上って帰った晩から当たりません」
ドルクが框から声を出した。
「俺の耳を向こうへ置いてきたところで、置いた俺がくたばりゃ終いだ。……箱に入らねえ物は、向こうで作らせるしかねえ」
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初めの束が上がってきたのは、荷が二度回ったあとだった。
『向こうの晩からこの卓までに二十日から二十五日かかります』
ルカの罫が日付を並べ替えた。
『返しを入れますと、いちばん早い返事で五十日後です』
中は札の写しが十一枚と、文が一枚だった。
『三枚ずつ組んであります。十一晩のうち九晩で、三枚とも同じ数です』
『比が出ません』
「差がないわけではありませんね」
『ありません。差はあります。紙に出ていないだけです』
ドルクは写しを腕の長さのぶん離した。字は読まない。ルカの読み上げた行だけを聞いている。
「並べたな」
「並べたとは書いてありません」
「書かなくても分かる。叔父の紙のとおりに座らせたんだろ。真下に三人だ」
老人は写しを卓へ戻した。
「同じ石の上に耳を三つ置いても、耳は一つだよ」
文には一晩ぶんの断りがあった。唸りが戻らない晩に締めた。二晩、音が戻らなかった。三晩目に細く通して戻った。
『中身は求めておりません』
ノアの灯が文の上で止まった。
『年に一度いただくのは数だけでございます。これは向こうが自分から書いたものです』
「受け取ります。束へ入れて、読んだ者の名を書いてください」
『訊きますか』
「訊きません。訊けば来年から書かれなくなります」
ドルクは茶に手を伸ばした。
「そら締めるさ。分からねえ晩に開けるほうが、よっぽど怖いんだ」
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「返すのは一言です。晩ごとの正誤は返しません」
『理由を申し上げますか』
「返事が着く頃には向こうは二月先です。二月前の晩に正しいと書いて送れば、向こうはその晩の書き方のほうを守ります」
ドルクは写しを順に見た。一枚ごとに間があって、そのうち三枚で口を開いた。
「一つ。離して座らせろ。互いの手が見えねえところだ」
「二つ。書いた者の名を先に書け。あとで書くと、隣の字を見てからでも書ける」
「三つ。合わねえ晩に、どっちが正しいかを決めるな。決めた晩から片方が黙る」
『三行とも写しました』
ノアの灯が三行を上から下へ一度なぞった。
『申し上げます。これも出した紙です。年の終わりの数に入れます』
「入れてください。数が増えて困る形なら、初めから続きません」
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束の終いに、こちらの様式でない紙が一枚あった。
二晩続けて座ると二晩目は数が伸びる。叔父の紙にあった一行にございます。
『当たりました』
セレスの列が三年ぶんへ伸びた。
『二晩続けて座った晩は十四晩あります。うち十一晩で、同じ間合いに対する幅が一つ広く出ています』
「こちらでも出るのですね」
『出ます。拾えていませんでした。二晩続く並びを、こちらは人の足りない月の並びとして見ていました』
「並べ方を変えられますか」
『組み直します』
ルカの罫が当番の並びの上を走った。
『三人で連晩を作らない並びは組めます。休みの晩が月ごとに動きます』
ドルクは自分の膝を見ていた。
「二晩目のほうがよく聞こえる気がしてたんだ」
老人は顔を上げなかった。
「聞こえてたんじゃなくて、伸びてたわけだ。……長えことやってて知らねえもんだな」
『向こうの一行を数に入れました』
ノアの灯が紙の端で細くなった。
『こちらが三。向こうが一。片側が零のまま年を越えれば止めます。いまは零ではございません』
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三月目の束は薄かった。
札の写しが十三枚と、数の紙が一枚。文は付いていない。
『比が出ました』
ルカの罫が三本に割れた。
『いちばん低い者といちばん高い者で倍近くあります。書いた者の名は先に入っています』
『形はこちらと同じです』
セレスの列が横へ並んだ。
『数は違います。並びの形だけが同じです。境目はまだ置かれていません』
束の下から三枚目に、裏へ回った字があった。
今夜は、数える前に一つ鳴りました。数に入れてよいのか分かりません。
送った札の様式には欄が四つしかない。下りた刻。弁の幅。唸りの数。書いた者の名。分からないと書く欄は、どこにも作っていない。
『九つに、分からないときの書き方は付けていません』
ミストの光が写しの縁をなぞった。
『理由の一行にも書いていません。書いていないものが返っています』
「誰が書きましたか」
『三人目です。寄合で反対した家の者とあります』
ベルダが横から覗いて、筆の尻で裏の字を軽く叩いた。
「反対した人がいちばん細かく書くのよ。あたしの受付でもそうだわ」
ドルクはその一枚だけ手に取った。読めない字を、それでもしばらく見ていた。
老人は写しを卓へ戻した。
「耳は、渡せたな」
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その晩の谷の刻は、こちらでは何も起きなかった。弁の幅は昨夜と同じで、上の水は朝まで変わらなかった。
向こうの谷の刻がいつ来るのかを、こちらの札は知らない。同じ晩に二つの土地で、別々の手が弁を回している。
レインは台帳を開いて、雑の欄を上から下まで追った。人足の日当。写しを書く者の手間。峠を越える荷の口銭。どれも月ごとの雑に入ったままだ。
「名のない費えは、次の年に削られます」
『削られます』
ルカの罫が雑の欄の下で止まった。
『名を先に決められますか』
「決めます。……終いの日付のない列になります」
終いの日付を書かない列を一本足すには、恒久の紙を開くことになる。あの紙には書き直しの手順が先に書いてある。三方のどこからでも申し出られる、と。
開けば、四十年の話がもう一度卓へ載る。




