第150話 渡すか握るか
議題は前の日の夕に閉じた。
卓へ載せる紙は三つある。いちばん上は一行しかない紙で、こちらにも十番目が無いと書いてある。二枚目が向こうの控えとこちらの九行の突き合わせ。三枚目が行の場所だ。
『三方とも同じ順で置きます』
ミストの光が束の上を端から端まで渡った。
『読み終える刻も揃えました。同じところで詰まっていただく形にします』
「頁を抜いた束はありませんね」
『ございません。抜けば抜いた話が始まります』
ベルダは席割りの紙を持って上がってきた。
「上座はどっちよ。領と委員会」
「どちらも上座にしません」
「三方とも長い辺に並べるの。……卓の向きを変えるってことね」
「変えてください。誰の卓でもない形にします」
「運ぶのはうちの若いのよ」
ベルダは紙を裏返して、卓の絵を描き直した。
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セリドからの三通目は十日のあいだに来なかった。
『来ない筋は三つです。書く暇がない。書く者がいない。道が切れた』
「道は」
『前の二通と同じ宿場を通っています。宿場は動いていません。荷の値も変わっていません』
「では残るのは二つですね」
『二つです。どちらも良くありません』
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ハルドレイは昼前に着いた。兵は門の外へ置いて、供は四人だけ連れて坂を上ってくる。途中で石畳の継ぎ目が浮いているところを杖の先で叩いた。
「ここは春に直したはずじゃろう」
「霜で浮きます。今年の割に入れてあります」
「入れてあるなら文句はないわ」
老人は杖を担ぎ直して、管理棟まで一度も止まらなかった。
ドレファスとエイクは前の晩に着いている。朝のうちに恒久の列の写しを一通ずつ検めて、昼まで宿から出てこなかった。
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卓は組み直してある。長い辺に三方が並び、短い辺の一方へ紙置きの台を寄せた。
ガルムは戸の外に立った。中へは入らない。
ドレファスがいちばん上の紙を先に取った。一行を読み、卓へ戻す前にもう一度読んだ。
「持っておらぬものの話から始めるのか」
「始めます」
「順が逆であろう。渡す渡さぬを決めてから、渡す物を数えるのが筋だ」
「渡せる物が無ければ卓が要りません」
「無いのか」
「九つあります。十番目がありません」
『九つは紙になります』
ルカの罫が二枚目の上へ伸びた。
『下りる刻。座る場所。灯の向き。唸りの数え方。読めば同じことができます。十番目だけが紙になりません』
「十番目とは何じゃ」
ハルドレイは紙を腕の長さのぶん遠ざけて持っていた。
「弁をどれだけ開けるかです」
「どれだけ、が書けんのか」
「その晩の間合いに対しての幅ですので、数を一つ書いても当たりません。当番ごとに目盛りが違います」
「勘か」
「勘です。測って札へ書いていますが、札は人に付きます」
老人は鼻から息を吐いた。
「わしの厩にもおるわ。同じ馬に同じだけ食わせて、太らせる奴と痩せさせる奴がな」
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二枚目は突き合わせだ。
『九つのうち七つは同じことを書いています。違うのは下りる刻と座る場所です』
『どちらが誤りかは申し上げられません。管の太さが違えば返る音も違います』
「向こうの紙にも十番目は無いのだな」
「ありません。無いと文に書いてあります」
「ならば貴殿らが渡せるのは、向こうが既に持っておる九つだけだ」
「いまはそうなります」
ドレファスは紙を伏せた。
「渡す物が無い。それで卓を開いたか」
「無いと分かるのに十日かかりました。分かったことは紙になります」
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『三枚目です』
セレスの列が卓の中ほどへ立った。
『向こうの帳面の列に、こちらのいまの位置を入れてあります。下から三行目です』
『セリドは下から二行目です。最後の行に一つ足りません』
「最後の行は何じゃ」
『出せる頭数を締めが越えた行です』
「越えたらどうなる」
『向こうの帳面には次の頁がありません』
卓が一度静かになった。
「四十年から六十年と書いてあるな」
「置き方の幅です」
「わしの領で四十年は短いぞ。松を植えて船にする刻よりまだ短いわ」
ハルドレイは列から目を離さないまま指を一本立てた。
「じゃが銭は出さん」
「伺います」
「情の話ではないわ。領の卓で説明できん出しは次の年に消える。……よその土地の井戸へ領の銭を回したと知れたら、うちの村で井戸を待っておる連中が黙っておらん」
「そうでしょうね」
「わしが黙らせたところで、わしが死ねば元へ戻る。恒久の紙に書けん銭は初めから無い銭よ」
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「灰霧に何が入る」
ドレファスの声は高くならなかった。
「向こうの札です」
「札」
「向こうはこちらより下の行にいます。一人で回して、その一人が先に落ちた土地です。……こちらが四十年で通る場所を、向こうは先に通っています」
「先例として使うと申すか」
「使います。使わなければ、こちらは四十年後に初めて同じ卓を開きます」
『一つ添えます』
セレスの列が横へずれた。
『向こうの脈の癖がこちらと同じである裏づけはありません。手順が七つ合ったのは形の話です。癖まで同じとは申せません』
「癖が違えば、同じ紙は当たりませんね」
『当たりません。当たらない紙を渡せば、渡した先で外れます』
ドレファスが横目をよこした。
「いま自分の首を絞めたぞ」
「絞めておかないと、あとで締まります」
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卓は一度切った。
湯を運んできた若い者が、盆の端へ小さく折った紙を載せていた。ベルダがそれだけ抜いて隅へ置く。
「昨夜の札よ。順は変えてないわ」
『幅は三です。書き直した跡はありません』
「上の水は」
『朝まで動いていません』
ハルドレイが盆越しに札を覗いた。
「この話をしておる間も、下は回っておるのか」
「毎晩回っています。卓が立とうが立つまいが変わりません」
「……そこは変わらんほうがええわ」
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バロスは昼過ぎに上がってきた。三枚目には目もくれず、いちばん上の一行だけを読んだ。
「持ってねえもんを売る話か」
「売る話はまだしていません」
「なら先に言っとくぞ。渡すなら値をつけろ」
「儲けの話ですか」
「儲けの話じゃねえ」
商人は指輪の石を親指でこすった。
「値のついてねえ物を受け取った側はな、断れねえんだ。要らねえと言えなくなる。……向こうの連中が、あんたの紙を要らねえと言える形にしとけ」
「値は断る余地ですか」
「余地だ。俺は三十年それで食ってる」
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『申し上げます』
ノアの灯が卓の中ほどで止まった。
『開けない。閉じない。細く通す。一点だけ覗く。言葉は握る』
『五つ目でございます。当番が変わっても変えないものとして綴じました』
「委員会の綴じにも入っておるな」
エイクが小さく頷いた。
『外の卓で緩められる綴じではございません。始まる前に申し上げておきます』
「変える話はしていません」
『まだしておられません』
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「委員会の話をする」
ドレファスは背を伸ばした。
「渡すなら、渡した先の事故も国が負う。国の卓を通った紙で人が死ねば、通した者が問われる。問われるのは書いた者ではない。認めた者だ」
「認めなければ負いませんか」
「負わん。だが認めぬまま貴殿らが渡せば、次の年の物差しに載る」
主席評価官は一度だけ紙の角を揃えた。
「そもそもこれは、貴殿らが握ると決めた項であろう」
「三つ目の内側です」
「ならば貴殿らが決めればよい。なぜ卓へ載せた」
「決めるのはこちらです。決めたあとに困るのは三方です」
「では言え。渡すか握るかだ」
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「その二つからは選びません」
レインは三枚を卓の中ほどへ寄せた。
「重さは割れます。中身は割れば壊れます。前の年に三方で決めた形です」
「決めた」
「奥は中身です。ですから割りません。ですが向こうが欲しがっているのは中身ではありません」
「何を欲しがっておる」
「扱い方です。渡せるのは扱い方です。奥に何がいるかは渡しません」
ハルドレイが低く笑った。
「聞こえは良いのう」
「聞こえだけでは足りません」
「分かっておるならええわ」
エイクが紙の端を指で押さえた。声は小さい。
「……量れますか」
「伺います」
「委員会が毎年量るのは形です。扱い方だけを渡したかどうかを、外から量る形にできますか。できなければ、私どもは量れない項目を一つ抱えます」
「できなければ渡しません」
ベルダが筆を止めた。
「二度目が来たらどうするの」
「同じ紙で断れる形にします」
「同じ紙で」
「一度目を決める紙に、二度目の欄を先に作ります。条件が揃えば通る。揃わなければ通らない。……情で決めた紙は二度目を断れません」
ハルドレイが杖の頭を握り直した。
「そこまで書くなら口は出さん」
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「ルカさん。ミストさん」
『承ります』
「渡せる形の試しを作ってください。九つから奥のことを抜いて、それでも向こうの現場で使えるかどうかを見ます」
『抜いた紙が使えるかは、抜いてみるまで分かりません』
「分からないので作ります」
『刻はどれだけいただけますか』
「次の卓までです」
ドレファスは立たなかった。三枚を順に伏せてから、いちばん上の一行だけを表へ返した。
「一つ訊く」
「伺います」
「扱い方と、奥に何がいるか。……その二つを、紙の上で本当に分けられるのか」
「分けます」
「分けると言うのは容易い」
主席評価官は紙を束へ戻した。
「分けられぬなら、国は許さん」




