第148話 同じ列を下から三行目
ベルダは三通を抱えて上がってきた。
恒久の列の写しだ。領の一通と委員会の一通と灰霧の一通。灰霧のものだけ紐が緩んで、綴じ足した紙の分だけ厚く膨れている。
「二通は開けるのが一年ぶりよ」
「開かないほうが正しい写しです」
「うちのだけ毎月書き足してるんだから当たり前でしょ。……で、並べて何を見るの」
「増え方です」
卓の中ほどへ昨日の拓本を置いて、その脇に三通を開いた。
『骨格を合わせます』
ルカの罫が両側へ伸びた。
『向こうは十四行で一行が一年です。こちらは十二の月で一行です。行の長さを揃えないと並びません』
「揃えてください」
『揃えます。こちらの十二行を一行へ畳みます』
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『対応する欄が一本しかありません』
ミストの光が恒久の列の上を端から端まで渡った。
『こちらの列は五本です。治安。衛生。街の費え。中枢の魔力。奥のなだめ当番。向こうの表に当たるのは最後の一本だけです』
「他の四本は」
『向こうの紙にありません。書かなかったのか、書く紙を別にしていたのかは分かりません』
『分からないほうへ入れておきます』
セレスが列を一つ落とした。
「四本ぶんが向こうの表に載っていないのなら、向こうの締めは軽く見えているということですね」
『軽く見えています。それでも最後の行で頭数を越えています』
ノアの灯が動いた。
『こちらは五本のうちの一本です。向こうは一本で越えました』
誰も相槌を打たなかった。
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「昨日の場所から先を出してください。いまどこにいるかではなく、上がる速さです」
『材料を三つ使います』
セレスの列が三本立った。
『一つ。当番の頭数です。三名を四名にします。育成中の若者が半年を座り終えれば四人目になります』
『頭数を増やせば締めは増えます。安全にするほど行は上がります』
「二つ目は」
『目盛りの測り直しです。据える晩を増やしますので刻が増えます。初めの二年が重く、以後は毎年三十晩ぶんが残ります』
『三つ目は入れ替わりです。一人が抜ければ補充に半年かかります。半年のあいだは教える側も座りますので、その年だけ刻が二人ぶんになります』
「抜ける速さは」
『分かりません。耳が何年もつかの記録がありません。ドルク殿の年数を上へ置き、二年目の男の年数を下へ置いて幅にしました』
列が縦に伸びて止まった。
『四十年から六十年で、向こうの最後の行と同じ形になります』
「幅の広さは」
『置き方の幅です。方向は一つです。どの置き方でも上がります』
『下がる置き方はありませんか』
ノアが訊いた。
『ございません。当番を一人へ戻せば下がりますが、その置き方は基準が禁じています』
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バロスは昼前に上がってきた。表を覗き込んで、割の列のところで指を止める。
「四十年か」
「早ければ」
「なら人を増やしゃいい。宿はまだ建つぞ。三年で百三十人増えた土地だ」
エルメアが薬箱を框へ置いて振り向いた。
「増やせるのは耳が育つ人だけです」
「人は人だろうが」
「曝露の帳面を見てから言ってください」
エルメアは指を三本立てた。
「半年のあいだ毎晩下りられる体。夜に用のない暮らし。決まった刻に縛られても暮らしが壊れない身の上。三つ揃う人だけです」
「銭を積めば夜くらい空くだろ」
「空くのは一晩です。半年は空きません」
バロスは口を開けたまま少し黙った。
「……市の連中は無理だな。荷は夜明けに動く」
「冒険者も無理です。日をまたぎます」
商人は自分で指を折り始めて、途中で鼻を鳴らした。
「三月で辞める奴に半年は座れねえか」
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『比べました』
セレスの列が二本並んだ。
『三年前の滞在者は四百人ほどです。いまは五百三十一人です』
『育成に入って半年続いた者は、その前の三年で二人。この三年でも二人です』
「増えていませんね」
『増えていません。人の数に比例していれば三人になります』
『理由は』
『暮らしの型が要るからです。人が増えるほど夜に用のある者が増えます。市が伸び、宿が伸び、荷が夜も動きます』
ガルムが戸口で足を止めた。そのまま入ってきて卓の端へ手をついた。
「夜に空いてる奴なんざ一人もいねえよ」
「兵は十二ですね」
「十二だ。夜番を回して門と土塁で足りてねえ。人が増えた分だけ夜が重くなってる」
『隔晩にしてはいかがですか』
ルカの字が速く走った。
『毎晩でなければ刻は半分です。半分なら行の上がりも半分です』
「耳は毎晩でなければ保てません」
『育成の縛りと同じですか』
「同じです。中断すれば数え直しになります。座る晩を減らすのは、育つのを止めるのと同じことです」
『取り下げます』
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「街を大きくしても、この列は下がりません」
ベルダが顔を上げた。
「初めて聞いたわね、あんたのその言い方」
「初めて言いました」
「器を替えたばっかりよ」
「替えてよかったと思っています。屋根の下で寝る人が増え、掃除の頭数が付き、銭の出所が決まりました。上の話はそれで回ります」
「下は」
「下の当番は人の数では増えません。街が倍になっても耳は倍になりません」
『割は下がります』
セレスが横から入った。
『人が増えれば分母が増えます。頭数で割った数は下がります』
「下がった数は何を指しますか」
『何も指しません。当番の側は一人も増えていません』
レインは表の下のほうへ指を移した。
「向こうの表にも、頭数だけ跳ねた行がありますね」
『あります。下から五つ目です。出せた頭数がその年だけ増えています。割はその行で一度下がっています』
「次の行は」
『戻っています。二行あとには跳ねる前より上です』
卓の上で誰も動かなかった。
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「ベルダさん。灰霧の一通へ欄を一つ足してください」
「なによ」
「毎年の暮れに、この行がどこにいるかを書く欄です。一行で結構です」
「書いてどうなるの」
「四十年が三十年になったら、その年のうちに分かります」
ベルダは筆を持ったまま少し考えて、紐を解いた。
『条件を三つ申し上げます』
ノアの灯が欄の上へ寄った。
『一つ。置き方を数の脇へ書くこと。二つ。置き方を変えた年は前の行も引き直すこと。三つ。引き直した跡を消さないこと』
「三つ目の理由を伺います」
『下がったように見せられるからです。分母を替えれば行は動きます。動かした者の名が要ります』
「書きます」
『では足して結構です』
ベルダは白紙を一枚綴じ足して、欄の名だけ先に書いた。
「名前は」
「行の場所、で結構です」
「素っ気ない名前ね」
「短いほうが毎年書けます」
ベルダは紐を結び直してから、領の一通と委員会の一通を先に閉じた。
「この二通には足さないの」
「足しません。二通は年に一度の紙です。毎年書く欄は毎年開く紙に置きます」
「面倒な人ね。……こっちのほうが厚くなる一方じゃないの」
「厚いほうが灰霧の紙です」
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ドルクは夕方に上がってきた。表の前へ立って、昨日と同じ距離のまま腕を組む。
レインは割の列と、跳ねた行と、その二つあとの行を順に指した。老人は字を読まない。指の動く先だけを追っている。
「一度下がって、また上がったのか」
「上がっています」
「人を集めたんだな。集めて、足りなくて、また集めて」
「そう読めます」
ドルクは腕をほどかなかった。
「坑でも見た。水が出るたびに人を入れる。入れた分だけ掘る面が増える。増えた面からまた水が出る」
「終いはどうなりましたか」
「穴ごと捨てた」
老人は表の下の三行から目を離さないまま、少しだけ声を落とした。
「……古い連中も、たぶんこの卓をやったんだろうな」
窓の外はもう暗い。灯を落として下りようとしたところへ、坂の下から知らせが上がってきた。門で馬方が一人止められている。雇われた宿場の名は前の一通と同じで、預かってきた紙は前より厚いという。




