第147話 捨てた側の帳面
紙は荷より先に着いた。
門で止めたのは朝のうちだ。持ってきたのは街道の宿場で雇われた馬方で、中身は知らないという。渡す先の名も灰霧の管理者としか聞かされていない。
ガルムは馬方を門の内へ入れずに待たせた。受け取ったベルダがそのまま坂を上ってきた。
「封は切ってないわよ」
「どこの受付を通りましたか」
「うちの受付。順番どおり。……理由の欄だけ埋まらなかったわ。持ってきた本人が中身を知らないんだもの」
「持ってきた者の名と雇った宿場の名を書いてください」
「もう書いたわよ」
封の蝋に印が一つ押してある。獣でも花でもない。四角の中へ細い線が三本入っただけの形だった。
『こちらの紙にこの印はありません』
セレスの列が出てすぐに畳まれた。
『先の月に組んだ十二の欄へ当てました。十二とも無しです』
ノアの灯が卓の角へ寄った。
『開ける前に決めていただきます』
『受け取ることはこちらから出すことではありません。ですが受け取った事実は向こうの紙に残ります。残る量を揃えてください』
「揃えるとは」
『誰が受け取り、誰が開け、誰が読んだかを、こちらの紙にも同じだけ書いてください』
ルカが名を書く欄を先に組んだ。開ける者にベルダ。読む者にレイン。立ち会いに卓の四体。字が埋まってから封を切った。
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中は二枚だった。
一枚は文で、もう一枚は表だ。
文のほうは短い。
セリドの地を預かる者にございます。名はミルディンと申します。
三年のあいだ、私はある方を通じて値を申し上げてまいりました。その方が先の月に降りたと、ご本人から一行だけ届きました。以後は私の名で書きます。
私の家には代々読めない一枚がございます。読めぬまま写して継いでまいりました。同じ形の場所には同じ形の掲示があるはずでございます。写しを一枚同封いたします。字の当て方の控えも付けました。片方だけでは読めません。
読めましたら、突き合わせた結果だけをお知らせいただけませんか。お断りいただいても構いません。同封の一枚は返していただくに及びません。
それだけだった。
『買値がありません』
ノアが低く灯った。
『三年上げ続けた者の紙に、銭の行が一つもありません』
「バロスさんを呼んでください。銭の行のない紙は、こちらより商いの卓のほうが読めます」
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表は薄い紙に写してあった。継ぎ目はない。一頁ぶんを一枚に写したものだ。
『急いで写しています』
ミストの光が紙の縁を撫でた。
『墨継ぎが行の途中にあります。私が同じものを写すなら行の頭で継ぎます。線の終わりも揃っていません』
「下手だということですか」
『下手ではありません。急いでいます。……そこは分けて申し上げます』
字の当て方の控えは一段小さい字で、表の脇へ縦に添えてあった。
拓本を隣へ並べる。
『向きを合わせます』
ルカが二枚の縁へ罫を引いた。
『合わせるのは字ではありません。欄の幅です。同じ骨格なら幅の比が揃います』
二枚の幅は揃った。ルカの罫が欄の切れ目ごとに増えた。
『同じ書式です。左に一つ。真ん中に六つ。右に一つ』
『控えは数の書き方から始まっています』
セレスの列が細かく割れた。
『棒の向きと束ね方で数を作ります。当てました。こちらの十四行はすべて数として読めます』
「名の付いている欄は」
『真ん中の六つのうち三つです。座った者の数。座った刻。その年に土地が出せた頭数』
「残りの三つは」
『空です。控えの側でも空いています。当てられなかったものを当てずに写してあります』
ノアの灯が一度だけ揺れた。
『……その作法はこちらと同じです』
レインは帳面の空欄の頁を開いて、また閉じた。名の当たらない欄が三つある以上、こちらの欄へ入れる字もない。
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『一つ申し上げます』
ノアが表の上へ出てきた。
『この控えは向こうが書いたものです。当て方が正しいかどうかを、こちらの紙では確かめられません。誤って写した控えを渡されれば、こちらは誤ったまま読みます』
「確かめる手はありますか」
『一つございます』
答えたのはセレスだった。
『右の締めの欄を使います。締めは真ん中の数から作られているはずです。作り方が一つに決まるなら、控えを使わずに当たれます』
列が十四本立った。
『当たりました。締めは真ん中の一つ目と二つ目を足した数です。十四行のうち十三行で合います』
「合わない一行は」
『下から二つ目です。足した数より締めが一つ多くなります。書き損じか、こちらの拓本の欠けか、そのどちらかです』
「分からないほうへ入れてください」
『入れます』
「二つ目の数には名がありませんね」
『ありません。ですが一つ目と足せる以上、同じ種類の数です。座った者の数と足せるものは人の数です』
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十四の行を上から読んだ。
座った者の数は下へ行くほど増えている。座った刻も増えている。
出せた頭数の欄だけが上下していた。増える年もあれば減る年もある。
『上の行では締めと頭数が離れています』
セレスの列が二本になって縦に並んだ。
『下へ行くほど詰まります』
下から四つ目で差は指の幅ほどになり、下から二つ目で二本の線が触れた。
最後の行で、締めが頭数を越えていた。
卓の上で列だけが動かずにいた。
ベルダは椅子を引いて表の正面へ座り直した。
「これ、途中で切れてないわね」
「切れていません」
「最後まで書いてあるわ。……逃げた人の帳面は途中で切れるのよ。受付を放り出して出ていった子のがそうだったの。月の半ばから白いままだったわ」
「こちらは最後の行まで数が入っています」
「入れてから置いていったのよ。厄介ね。数を入れる人は、たいてい真面目な人だから」
レインは最後の行へ指を置いた。
「彼らは負けたのではありません。滅ぼされたのでもありません」
ノアの灯が最後の行の上へ寄った。
『では何ですか』
「固定費が、文明の規模を超えたんです」
灯は動かなかった。
『十四行を当たり直しました』
『増やす項目と、続ける項目しかありません。減らす項目が一つもありません。撤退の記録に廃止の手順がありません』
「畳み方を書かなかったということですね」
『書いた形跡がありません。書かなかったのか、書けなかったのかは、この紙では分かりません』
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バロスは鐘のあとに上がってきた。文のほうだけを手に取って、読み終える前に鼻を鳴らした。
「只か」
「返すに及ばない、と書いてあります」
「三年吊り上げた奴が、今日は只でよこしたのか」
バロスは紙を卓へ戻した。
「言っとくがな。値のついてねえ物がいちばん高くつく。こいつは何が欲しいと書いてある」
「突き合わせた結果を知らせてほしい、とあります」
「それだけか」
「それだけです」
「なら次が来る。一枚目で只をやる奴は、二枚目に頼みごとを書くんだよ」
『読んだ者の欄へ一つ足しました』
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ヴェッセンは坂の下の宿にまだ泊まっていた。呼びに行かせると昼のうちに上がってきた。
控えの間へ通して、印だけを見せた。文も表も伏せてある。
「三年見た印でございます」
男は蝋を灯へ寄せもせずにそう言った。
「四角の中の三本は代々変えておいでではないはずです。私が受け取った紙には毎度これがございました」
「あなたが書いたものはありますか」
「一行だけ書きました。降りた、と。それだけでございます」
「こちらのことは」
「書いておりません。書く立場でもございません」
『裏づけがありません』
ノアが控えの外から差した。
『この方の言を確かめられる紙は、こちらにございません』
「聞いた側の束へ入れてください。束はもう三つ増えています」
ヴェッセンは立ち上がってから一度だけ振り返った。
「一つだけ申し上げます。あの方は返事の来ない紙を三年お書きになった方でございます。今日の一枚も、返ってこない前提でお書きのはずです」
男は答えを待たずに戸を開けた。
下りていったあとでベルダが受付の紙を持ってきた。理由の欄が空のまま挟まっていた紙だ。
「これ、今日埋めていい?」
「何と書きますか」
「待ってた、でいいでしょ」
「待っていた、と書いて、聞いた側の欄へ入れてください。こちらは確かめていません」
「面倒な人ね」
ベルダは書いて挟み直した。
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『昨日の続きを申し上げます』
ルカの罫が手順の紙の上で止まった。
『渡せないと申し上げたのは十番目です。今日の紙はその話ではありません。向こうが求めているのは耳ではなく字です』
「そうです」
『決めていない、と書かれた頁が三行あります。三行目は動きません。二行目だけが動きます』
「決めるのに何が要るか、ですね」
『要るものの一つが今日届きました。読める材料です』
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ドルクは夕方に上がってきて表の前に立った。紙を引き寄せず、腕の長さのぶんだけ離して見ている。
「字は読めねえ」
「読めなくて結構です」
「増え方は分かる」
老人は下の三行を指の節で叩いた。
「増える一方の帳面は坑でも見た。掘るたびに水が出る坑だ。汲む奴を足して、足りねえからまた足して、最後は穴ごと捨てた」
「捨てた者は何か書いていましたか」
「書くもんか。あいつらは字を書かねえ」
ドルクは表から目を離さなかった。
「こいつらは書いてるな」
「はい」
「……道の終わりに、これを貼って出ていったのか」
「立った者の目の高さです」
「読ませたかったんだな。誰にだ」
「分かりません」
老人は指を下ろした。
「あとから来る奴だろ。ほかにいねえよ」
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その晩の札は日付が変わる前に上がってきた。弁の幅の欄には三と書いてある。書き直した跡はない。間合いの欄も昨夜の内側だった。
上の水は朝まで何も変わらなかった。
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朝の卓でセレスが列を組み直していた。
『昨日の十四行を割で並べ直しました』
「割とは」
『締めを、その年に出せた頭数で割った数です。土地の大きさが違いますので、頭の数のままでは並びません』
「こちらの締めは作れますか」
『作れます。座っている三名と育てている二名で五です。ただし名のない数を育成中の者と置いた場合の割です。置き方を変えれば行も変わります』
『そこは未確認の束へ入れておきます』
ノアが先に印を付けた。
「置いたままで結構です。灰霧のいまは、この列のどこへ入りますか」
『下から三行目です』
誰も次を言わなかった。
「ベルダさん」
「なによ」
「恒久の列の写しを明日の朝この卓へ出してください」
「うちの一通でいいの」
「三通とも出してください。並べます」
ベルダは何を並べるのかを訊かなかった。帳面の紐を結び直して受付へ下りていった。
拓本は棚へ戻さずに卓へ置いたままにした。十四行目の下には何も彫られていない。壁はそこで終わっている。書く欄が要らなくなったのか、書く者がいなくなったのかは、あの壁のどこにも彫っていなかった。




