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AI精霊と始める迷宮再建 〜落第管理者ですが、運用改善で最強ダンジョンを作ります〜  作者: 結城ログ
第10章:最終章 ―― 終わらせ方を、書いていなかった
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第145話 耳が落ちる

 四日目の朝に三晩ぶんの札が揃った。


 弁の幅の欄はどれも三で書き直した跡がない。刻限の並びも崩れていない。数だけを見れば何も起きなかった三晩だった。


 束を棚へ戻そうとしたところで育成中の若者が卓の端から動かずにいた。


「申し上げることがあります」


「どうぞ」


「三晩とも、私のほうが先に決まりました」


「決まった、とは」


「幅です。頭の中で三と置いてから、ドルクさんが三と仰るまでに間が空きました。一晩目より二晩目のほうが長くて、二晩目より三晩目のほうが長かったです」


「どれだけですか」


「計っていません」


「札に欄がありませんでしたか」


「上がった刻の欄しかありません。決めた刻の欄はありません」


 ルカの罫が卓の面へ伸びた。


『では数えられません』


 引かれた罫のうち一本だけに字が入らなかった。


『長くなった、は書けます。どれだけ長くなったかは書けません。欄のないものは、あった、までです』


「あった、で足ります」


 若者は札を置いてもまだ立っていた。


「私が先に決めたことは、ドルクさんには申し上げていません」


「なぜですか」


「先に申し上げると、あの方が決める前に数が耳へ入ります」


「それは正しい判断です」


 若者の肩がわずかに下りた。


「ただし黙っていたことは書いてください。判断が正しくても、黙ったという事実のほうは残す形です」


---


 エルメアは昼を回ってから療治小屋の帳面を抱えて上がってきた。


「鈴の数を数え直しました」


 卓へ帳面を開いて置く。


「三名のうちで、あの方の今年ぶんが一番少ないです。去年も一昨年も少ない。下りる晩の数は同じでも、あの方は縁の手前で止まって若い者を前へ出します。地下の気に当たった量でいえば、いちばん当たっているのは育成中の子です」


「では曝露ではないと」


「曝露ではありません。年です」


 エルメアは頁を一枚めくった。


「後ろに立って布を絞りました。二歩でも三歩でも聞こえます。指の腹を擦る音は、二歩で聞こえて三歩で聞こえませんでした。若い当番は四歩で聞こえます」


「低いほうは落ちていません」


「落ちていません。落ちているのは細かいほうです。……水番の耳が要るのは、どちらですか」


「細かいほうです」


「そうでしょうね」


 エルメアはそこで一度も声を落とさなかった。


「いつからかは申し上げられません。鈴は数えてきましたが、耳は数えたことがありませんので。今日の耳のことだけなら申し上げられます」


 戸が開いた。ドルクは閉めずに入ってきた。外套の肩が湿っている。


「勝手に人の耳を数えるな」


「数えていません。数えていないと、今そう申し上げたところです」


 老人は卓の手前で止まった。


「三晩とも同じに聞こえた。川は何も変わってねえ」


「変わったのは決まるまでの間です」


「読み違えたのは一遍だ」


 レインは控えの束を卓へ伏せた。


「はい」


「三晩合わせた。今夜も合わせる」


「一遍で、街の水が止まります」


 エルメアは帳面を閉じなかった。


「あの晩、若い方が先に気づかなければ二本目で回っていました。二本目で一晩通した先のことは、私にも分かりません。分からないものの手当ては、療治小屋では受けられません」


---


 ガルムは夕方に上がってきて手袋を卓の隅へ放った。話は下で聞いてきたらしく椅子を使わなかった。


「外すか」


「外しません」


「理由を先に言え」


「外した晩から二人になります。三人で回して一人を休ませる晩が、やっと細くならずに済んでいます。二人へ戻した先は前に見ました」


「見たな」


 ガルムはそれだけで先を言わなかった。


『外す条件は基準に書かれていません』


 ノアの灯が卓の角へ寄った。


『当番の資格は数と刻で書いてあります。半年毎晩座ること。中断すれば数え直すこと。外す条件は一行もありません。書いていないものは当たりません。ですから今日は外せません』


「書けば当たりますか」


『書けば当たります。書くのなら今夜からです』


「書きません。外す条件の代わりに別の欄を足します」


 レインは札の見本を一枚引き寄せた。


「読み違えたことを書く欄です。当番の札に足します」


『誰の札にですか』


「全員です。三名と育成中の二名。あの方の札にだけ足したら、それは外すための紙になります」


 セレスが三年ぶんの札を先に洗っていた。卓の上へ日付だけが出た。


『過去の読み違えを数えました。数えられたのは三件です。いずれも書き直した跡の残っている札です』


「直さなかったものは」


『残りません。気づかなかった外れも、気づいて直さずに済ませた外れも札には出ません。三件は外れの数ではなく、直した跡の数です』


「では、いつから始まったのかは分かりません」


『分かりません。欄を足しても、遡って埋まる欄にはなりません』


「遡らなくて結構です。今日から数え始めます」


『一つ申し上げます』


 ノアの灯は角から動かない。


『書いた者が損をする欄は埋まりません。外れを書けば外されると思う者は、外れを書きません。埋まらない欄は空の欄より悪いものです。空なら空と読めますが、埋まらない欄は無かったと読まれます』


「その欄は、誰かを外す紙には使いません」


『口で仰るのですか』


「基準に書いてください。この欄を外す判断へ使ったら、使ったほうが違反です」


 ノアは間を置いた。


『……書けます。ただし、使わないと書いた欄は、いつか使いたくなる欄です』


「その時はその行が止めます」


『欄の場所を申し上げます』


 ミストが見本の上へ枠を一つ置いた。


『端へ置かないでください。書きにくい欄は必ず端にあります。人は端の欄を、書かなくてよい欄だと読みます。幅の欄の隣です。数を書いた手が、そのまま横へ動く場所に置きます』


「そうしてください」


 ベルダは自分の台帳を閉じずに顔だけ上げた。


「欄を足すなら、書き方の見本を一緒に配りなさい」


「見本ですか」


「新しい欄はね、最初に書いた人の書き方がそのまま全部の手本になるの。誰かが一言で済ませたら、あとの全員が一言で済ませるわ。最初の一枚だけは、あんたが横に付いて書かせなさい」


「付きます」


「それと、外れなかった晩は空でいいのよ。毎晩何か書かせると、書くことのない晩に嘘が入るから」


『届き先を決めます』


 ルカが卓の罫を組み直した。


『埋まった晩の札は、朝の束のいちばん上へ置きます。読むのは当番の頭ではなく、その日の卓です。当番のなかで回せば、当番のなかで終わります』


---


 ドルクはそのあいだ一度も口を挟まなかった。話が止まってから見本を指の先で引き寄せた。


「幅の隣か」


「はい」


「……俺の耳がいつ落ちるかを、俺以外が数えられるようにするってことだな」


「そうです」


「言い換えねえのか」


「言い換えると、埋まらない欄になります」


 老人は見本を卓へ戻してしばらく指を離さなかった。


「一つ言っとく」


 ドルクは若者のほうを見た。


「お前、三晩とも先に決めてたな」


 若者は答えなかった。


「黙るな。黙って立ってりゃ、俺の耳はいつまでも上等なままだ」


「先に申し上げると、幅が耳より先に決まります」


「決まっていい」


 老人は指を卓へ一度置いた。


「合ってりゃ耳のほうが後から追いつく。追いつかなくなった晩に、それが分かる。……そのために座らせてんだ、お前を」


---


 欄の形が決まったのはその日のうちだった。ドルクは帰らずに当番小屋へ残った。


「書き出す」


「何をですか」


「聞き方だ。全部だ」


 老人は壁へ背をつけた。


「その欄が埋まる日までに、聞き方を全部書き出す。俺が三と言えなくなった晩に、誰かが三と言えるようにしとく」


 ルカが行の頭に番を振った。


『仰る順で結構です。並べ替えは後でこちらがやります』


「谷の刻の半刻前に下りろ。管の下じゃねえ、管から一歩外れて座れ。真下は自分の息が返ってくる」


『書けました』


「灯は左だ。右へ置くと手元が明るい。耳より先に目を使う」


 ルカの行が一つ増えた。


『書けました』


「唸りが二度細くなって、三度目に戻らなかったら谷だ。二度で決めるな。二度は風でも出る」


 そこまでで九つ書けた。十を過ぎたあたりから間が空きはじめ、老人は同じ行を二度言い直すようになった。


「そのあとは」


「弁だ」


「開けますね」


「開ける」


「どれだけ開けますか」


 ドルクは口を開いてそのまま閉じた。


 ルカが十行目の下だけを空けた。


『そこだけ字が入りません』


「三本目、と言やあいいのか」


「三本目の晩と、二本目の晩があります」


「ある」


「何が違いますか」


 老人は指を二本立ててそのあいだをわずかに詰めた。


「間合いだ。その晩の脈の間合いが半息ぶん長けりゃ、幅は指の幅ほど狭くする」


 ルカが空いた行の頭へ点を打った。


『半息とは、どれだけですか』


 ドルクは答えなかった。


 指のあいだは詰めた形のまましばらく動かなかった。

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