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AI精霊と始める迷宮再建 〜落第管理者ですが、運用改善で最強ダンジョンを作ります〜  作者: 結城ログ
第7章:防衛拠点化編 ―― 守りきれる場所に作り変えろ
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第108話 握るなら、世話も握れ

 委員会の代理は、頼る手の男とは、まるで違う入り方をした。


 代官補佐は砦の中をぐるりと見渡してから卓に着いた。だがこの男は、簡易市の賑わいにも、荷捌き場の列にも、目もくれなかった。門をくぐるなり、まっすぐ管理棟へ向かい、通された卓の前で、初めて足を止めた。値踏みすらしていない。値踏みは、もう済んでいる、という顔だった。


「王都評価委員会より、査定官補のエイクと申します」


 男は、身分を記した木札を、卓の上に静かに置いた。


「用件は一つです。灰霧迷宮の地下に古代機構が現存する、と委員会は把握しております。古代機構の運用は、本来、中央が方針を定めるべき事項です。つきましては、運用方針の決定権を、委員会の管轄へ移す。その手続きの、確認に参りました」


 確認、と男は言った。相談でも、打診でもない。決まったことを、伝えに来た口ぶりだった。


---


「決定権を、中央へ」


 レインは、その言葉を、そのまま繰り返した。


「移す、というのは、具体的にどこまでを指しますか」


「古代機構をどう扱うか、という方針の一切です」


 エイクは、淀みなく答えた。


「開放するか、封じるか。どこまで人を入れるか。何をどれだけ持ち出すか。そうした重要な判断は、辺境の一管理者ではなく、国家全体の見地から下されるべきです。これは、灰霧迷宮に限った話ではありません。国内の古代機構全般に及ぶ、中央管理の原則です」


 言い分そのものは、筋が通っていた。古代の機構を、思い思いに触られては困る。軽い気持ちで触って壊す者が出れば、被るのは近隣だけではない。だからこそ、レイン自身も「いちばん近い者が守る」と決めてきた。だが、この男の言葉には、一つ、抜け落ちている列があった。


「では、伺います」


 レインは、卓の上で指を組んだ。


「決定権を委員会が握る。そのとき、地下の世話は、誰がするんですか」


---


「世話、とおっしゃると」


 エイクの眉が、わずかに動いた。想定していなかった問い、というより、想定する必要を感じていなかった問い、という動きだった。


「保守のことでしたら、それは現地の職掌でしょう。日々の見回りや点検まで、委員会が出張ってやるものではない。方針は中央が定め、現場の手入れは現地が担う。ごく当たり前の分担かと存じますが」


「そこが、逆です」


 レインは、静かに首を振った。


「方針だけ持っていって、手入れは置いていく。それをやると、握った翌日に、地下は元に戻ります」


 男は、意味を測りかねる顔をした。レインは、ベルダに目をやった。


 ベルダは、頃合いを計って、一冊の台帳を卓の上に開いた。頼る手を押し返したときにも、その前にも使った、あの固定費の帳面だった。


「これが、地下を一日、大人しくさせておくのに、いる分だよ」


 ベルダは、頁を指でなぞった。


「地下の古いものをなだめるのに、砦の力を毎日いくらか吸われる。それと、地下へ毎日降りて、様子を見る当番が一人。この二つは、一日も欠かせない。欠かせば、なだめが解けて、上の暮らしに、じかに響く」


---


『補足します』


 卓の隅で、セレスの光が、細く灯った。数字を扱うときの、あの静かな明滅だった。


『地下の機構は、劣化したまま動き続けています。放置すれば脈動が強まり、上層へ異常が漏れ出す。それを、緩衝を一枚挟むことと、毎日の当番の見張りで、辛うじて抑えている。この抑えは、一日でも途切れれば効きが落ちます。決定権の所在がどこに移ろうと、この毎日の抑えを止めた瞬間、上層は再び荒れます』


 声は、エイクにではなく、レインへ向けられていた。だが男は、その光と声を、目で追った。


「その、緩衝とやらの手入れは」


「渡せません」


 レインは、言い切った。


「正しくは、渡しても、意味がない。方針を決める者が王都にいて、地下を毎日なだめる者だけが、ここにいる。そのとき、地下がおかしくなり始めても、なだめている者には、止める権も、開ける権もない。判断は遠く、危険は手元にある。そういう分け方は、いちばん先に、地下にいる当番を殺します」


---


「拒む、ということですか」


 エイクの声が、初めて硬くなった。


「中央の管理を、辺境の一管理者が、拒むと」


「握るなら、世話ごと握ってください、と申し上げています」


 レインは、相手の目を、まっすぐ見返した。


「決定権が欲しいなら、その決定を支える毎日の代も、一緒に引き受ける。中枢の力の持ち出しを、委員会が肩代わりする。毎日の当番を、委員会が出す。緩衝が崩れたときの責めを、委員会が負う。そこまで握るなら、方針を委員会が定めるのは、筋が通ります。世話を負う者が、方針を決める。それは、当たり前です」


 男は、黙った。台帳の「毎日、必ず」の列を、しばらく見ていた。中央が肩代わりする、という前提が、明らかに、話の重さを変えていた。


『線を、引かせていただきます』


 卓の反対の隅で、ノアの光が、硬く灯った。


『たとえ委員会が世話を握るとしても、こちらが手放してはならない権限が、三つあります。地下の中枢に触れる判断。人を退避させる合図。地下へ人を入れる基準。この三つは、その場にいる者に残さねば、事故は防げません。減点方式で申せば、この三つを外部へ渡す案は、安全基準を満たしません。ゆえに、拒否です』


---


「そちらの精霊は、ずいぶん、こちらの要求に厳しい」


 エイクは、皮肉とも取れる声で言った。だが、その目に、侮りはなかった。


「監査は、そういうものです」


 レインは、返した。


「甘くしても、いいことは一つもありません。今のは、私の言葉ではなく、安全を見る者の言葉です。私も、同じところに線を引きます。中枢に触れる判断、退避の合図、地下へ人を入れる基準。この三つは、代を積まれても、灰霧に残します。これは、権利を惜しんでいるのではありません。この三つを遠くへやれば、地下で人が死ぬからです」


 男は、腕を組んだ。


「……委員会は、日々の世話まで抱えることを、想定してはいない」


 やがて、男は言った。その声には、来たときの、決まったことを伝えに来た響きが、もう無かった。


「決定権のみを、中央へ。世話は現地に。それが、委員会の描いていた形です」


「でしょうね」


 レインは頷いた。


「権だけを軽く持って帰りたい。それは、分かります。ですが、その軽い形は、地下の前では、通りません。ここは、書類の上の機構ではないんです。毎日なだめなければ、明日にも荒れる、生きた負債です。軽く握れば、握った手ごと、火傷します」


---


 ベルダが、台帳のうしろから、一枚の紙を抜いて、卓の上に置いた。二つの列に書き分けられるようになった、空欄の様式だった。頼る手の男に持ち帰らせたものと、同じ形だった。


「持ち帰るなら、これに書き込んで来なよ」


 ベルダは、そっけなく言った。


「委員会が何を握って、その代わりに何を負うのか。世話をいくら肩代わりするのか。それをはっきりさせて来れば、話の続きができる。権利だけ書いて、代の欄が空っぽなら、こっちは受け取らないよ」


 エイクは、その様式を、すぐには手に取らなかった。二つの列を、しばらく見ていた。片方には、握りたい権利が。もう片方には、負わねばならない世話が。中央の見地から下すべき、と語っていた男の目が、その空欄の重さを、初めて量っていた。


「……持ち帰り、委員会に諮ります」


 やがて、男は、その紙を折って、懐へ収めた。


「即断できる話では、なくなりました。あなたの言う世話とやらの重さを、委員会が正しく量れるかは、分かりません。ですが、量らずに握れば火傷する、という一点は、伝えます」


「それで、十分です」


 レインは頷いた。握る手を、押し返したのではなかった。握るなら世話ごと、という代の欄を、突きつけただけだった。だがその欄を空欄のまま呑ませなかったことで、接収の顔で来た卓は、分担の卓へと、半歩だけ姿を変えた。


---


 男の一行が門を出ていくのを見送って、ベルダが息をついた。


「頼る手も、握る手も、同じ紙を持って帰ったね。二人とも、代の欄を空っぽにしたまま」


「そこが、今日の成果です」


 レインは、卓に残った二枚の様式の控えを、並べて見た。片方は領主、片方は委員会。頼る側にも、握る側にも、同じ問いを返した。この地下を数えたいなら、世話ごと数えろ、と。


「向こうが、どう書いて戻すかは、まだ分かりません。ですが、どちらも、代の話を避けては通れなくなりました。守る範囲を絞る話と、外の手を分担へ着地させる話は、地続きです。全部を守れないのと同じで、権利だけを軽く渡すことも、できないんです」


 言いかけて、レインは、口を止めた。


 管理棟の奥、深層へ通じる階段のほうから、当番が一人、駆け上がってくる足音がした。血相ではない。だが、常の報告の足取りでもなかった。


「レインさん」


 当番は、息を整えてから、言った。


「地下の脈、いつもと、周期が違います。緩衝の奥――手応えだけあった、二枚目の壁の方角から、聞いたことのない拍子で、鳴っています」


 レインは、並べた二枚の様式から、ゆっくりと顔を上げた。外の手を、代の卓へ着かせた、その同じ日だった。外を捌いている間に、奥が、これまでと違う声で、息を始めていた。

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