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AI精霊と始める迷宮再建 〜落第管理者ですが、運用改善で最強ダンジョンを作ります〜  作者: 結城ログ
第7章:防衛拠点化編 ―― 守りきれる場所に作り変えろ
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第109話 二枚目の壁が、息をする

 レインが階段を下りきったとき、深層の当番小屋には、すでに三人が集まっていた。


 ガルムが観測盤の前で腕を組み、ドルクが壁の一点をじっと睨んでいる。そのあいだで、セレスの光が、いつもより細く、途切れがちに灯っていた。


「呼び立てて、すまん」


 ガルムが、振り返らずに言った。


「だが、これは、俺の勘だけで判じちゃならん類だ。あんたに、耳で聞いてもらいたかった」


 レインは、観測盤の前に立った。深層第一区画まで届いた中継結晶が、地下の脈動を、細い光の波として盤の上に写している。その波を、しばらく黙って眺めた。


---


 いつもの脈は、知っていた。


 劣化した古代の機構が、拍子を刻んで管を開け閉めする、あの重たい鼓動。緩衝を一枚挟んでから、その拍子は角が取れ、上層に響かない程度まで鈍っていた。日課で下りる当番が、毎日、その鈍い拍子を数えて帰る。それが、この半年の地下の顔だった。


 だが、いま盤に写る波には、その鈍い拍子のうしろに、もう一つ、別の拍子が混じっていた。


「これですね」


 レインは、盤の端の、細かく震える線を指した。手前の重たい波とは、明らかに間隔が違う。速く、浅く、そして——不規則だった。


「いつもの機構の音じゃない。周期が、揃っていません」


「揃ってねえのが、気味が悪ぃんだ」


 ガルムが低く言った。


「機構の音は、劣化しててもよ、拍子だけは律儀に刻む。壊れかけの時計みてえに、狂っても、狂ったなりに一定だ。だがこいつは、そうじゃねえ。数える端から、拍子が変わる」


---


「方角は」


 レインが問うと、ガルムは壁の一点を、顎で示した。


「緩衝の、その奥だ。前に俺が、槌で叩いて手応えだけ拾った——二枚目の壁。あのあたりから、来てる」


 二枚目の壁。ガルムが施工の合間に、緩衝の奥にもう一枚、仕切りの気配があると報告した、あの未踏の隔てだった。観測網も退避線も、そこまでは届いていない。届かせようとすれば、中継結晶をもう一段、奥へ運ぶ必要がある。


「セレス」


 レインは、細く灯る光に呼びかけた。


「その二枚目の壁の向こうは、読めますか」


 しばしの間があった。セレスの光が、読もうとするように、わずかに強まり、そして、すぐに元の細さへ戻った。


『読めません』


 声には、常の断定の切れがなかった。


『中継結晶が届いているのは、深層第一区画までです。その奥は、観測網の外――霧の向こうです。無理に読もうとすれば、届かない範囲を推し量るために、中枢の力を余分に払い続けます。払ったところで、返るのは、確度の低い推測だけです』


---


『わたしに言えるのは、ここまでです』


 セレスは続けた。理詰めの精霊が、読めないと認めるのは、珍しいことだった。


『この不規則な拍子が、上層異常のときの波形と、違うということ。あのときは、機構の脈が強まって、上へ漏れました。周期は速くとも、拍子は揃っていた。今回は、拍子そのものが揃わない。前例のある異常とは、種類が違います。ですが、それが何を意味するかは、データがありません。読めない場所から来る音を、わたしは、分析できません』


「読めないものは、読めないと言う」


 レインは頷いた。


「それでいいんです。無理に読ませて、当てずっぽうを掴まされるほうが、危ない」


 半年前なら、この沈黙に苛立ったかもしれない。分析の精霊が答えを出せない、それだけで、足元が崩れる気がしたかもしれない。だが深層と付き合ってきたこの数か月で、レインは学んでいた。読めない領域を、読めないと知っておくこと。それ自体が、一つの守りなのだと。


---


「ドルクさんは、どう見ますか」


 レインが問うと、壁を睨んでいた老坑夫が、ようやく口を開いた。


「どう見るも、こうもねえ」


 ドルクは、しわがれた声で言った。


「わしが言えるのは、一つだけだ。今の川の付き合い方を、そのまま奥へ当てはめるな、ってことよ」


「今の川の、付き合い方」


「手前の機構は、もう、わしらの手に馴染んだ川だ。流れの癖も、増えるときの前触れも、だいたい読める。だから、止めずに、逃がして、付き合ってこれた」


 ドルクは、壁の奥を、顎でしゃくった。


「だがな。その奥は、別の川だ。もっと深ぇ。手前の川の勘で、深ぇ川の底を踏んだら、足を取られて、そのまま持ってかれる。手前を分かったからって、奥まで分かった気になるのが、いちばん危ねえ」


 レインは、その言葉を、胸に留めた。かつて、深層の機構と付き合う流儀を、このドルクの水番哲学から学んだ。川は止めず、毎日逃がす。直さず、付き合う。だが、その同じ老坑夫が、いま、その流儀を奥へ持ち込むな、と釘を刺している。覚えた付き合い方が、一枚壁を越えれば、もう通用しないかもしれない。その戒めのほうが、重たかった。


---


 その晩、管理棟に精霊たちを集めて、レインは盤の記録を広げた。


 案の定、意見は割れた。


『またとない機会です』


 ミストの光が、真っ先に、華やかに揺れた。


『二枚目の壁が、初めて、はっきりと声を上げた。今こそ、中継結晶を奥へ運び、観測網をもう一段延ばすべきです。全体を見なければ、何が起きているかは、永遠に分かりません。霧の向こうを、明るくしましょう』


『反対します』


 ノアの光が、即座に、硬く応じた。


『正体の分からない変調に、こちらから近づく。減点方式で申せば、これ以上に危険な一手はありません。観測網を延ばすとは、退避線もそこまで延ばすということ。退避線が届かない場所へ人を送るなど、論外です。今すべきは、奥への接近ではなく、手前の緩衝が破れていないかの点検、それだけです』


『警報の拍子を、当番の手順に組み込みます』


 ルカの光が、早口で割り込んだ。


『不規則とはいえ、記録を溜めれば、閾値は引けます。ある拍子を超えたら鳴らす。手順化すれば——』


『閾値が引けないから、不規則なのです』


 ノアが遮った。ルカの光が、不服そうに、ちらついた。


---


 三方向へ引かれた光を、レインは、ひとつずつ見た。


 延ばして全体を見たいミスト。近づくなと閉じるノア。手順に落としたいルカ。どれも、半分は正しい。だが、どれも、そのまま採れば、どこかで破綻する。奥へ延ばせば退避線の届かぬ場所に人を置く。全部閉じれば、変調が育っても気づけない。手順化しようにも、揃わない拍子は閾値にならない。


「延ばしません」


 レインは、まず、ミストへ答えた。


「今、観測網を奥へ運べば、退避線の届かない場所に、当番を立たせることになります。何が起きているか分からないうちに、人を、霧の中へは入れません」


 ミストの光が、惜しむように、わずかに沈んだ。


「かといって、閉じもしません」


 レインは、続けてノアへ向いた。


「近づかないのは、その通りです。でも、聞くのをやめてはいけない。手前の機構だけを見て、奥を見ないでいたら、変調が育っても、気づけません。近づかずに、聞き続ける。その線を、引きます」


---


「境界を、決めます」


 レインは、盤の上に、指で一本、線を引いた。緩衝を挟んだ、深層第一区画の、いちばん奥。中継結晶が、辛うじて届いている、その縁だった。


「観測は、ここまで。この線から先へは、人も、結晶も、延ばさない。でも、この線の上で、奥から来る拍子を、これまでより注意して聞く。二枚目の壁の音を、いつもの機構の音とは別に、新しい見張りの対象として、当番表に一列、足します」


 ガルムが、腕を組んだまま、その線を見た。


「延ばさねえ、ってのは、賢明だ」


 低い声だった。


「俺も、退避線を奥へ引くのは、待てと言うつもりだった。今、引いても、守れねえ。守れねえ線を引くのは、線を引かねえより、たちが悪ぃ。だが——聞くのをやめねえ、ってのは、いい」


「聞いていれば」


 レインは頷いた。


「この拍子が、これから強まるのか、収まるのか、それだけは、分かります。何が鳴っているかは、まだ読めなくても、鳴り方が変わったことには、気づける。それが、境界で見張る、ということです」


---


 当番表に、新しい一列が加わった。


 いつもの機構の拍子を数える列の、その隣。二枚目の壁の音を、別に聞き分けて記す列だった。ベルダが翌朝、その列の見出しを台帳に書き足し、下りる者が、迷わず記せるよう、記号を決めた。手前の音と、奥の音。二つを、混ぜずに、綴じていく。


 直さない。踏み込まない。だが、目は離さない。あの水番の流儀を覚えて以来の、深層との付き合い方の、もう一段奥の応用だった。


 その手はずが、板についてきた数日後のことだった。


 外周の見回りから戻ったガルムが、管理棟のレインを、いつもより硬い顔で訪ねてきた。


「気になる話を、拾った」


 ガルムは、卓に、一枚の走り書きを置いた。バロスの商人筋から回ってきた、噂の紙片だった。


---


「例の、下見に来た連中の、うしろにいる筋だ」


 ガルムは、走り書きを、指で叩いた。


「あいつら、砦の門や退避線を見て回っただけじゃなかった。近ごろ、別のことを、方々で言い触らしてるらしい。灰霧の地下には、まだ誰も手を付けてねえ、もっと奥の区画がある。そっちにこそ、本物の値打ちがある、とな」


 レインは、その紙片を、じっと見た。


 まだ誰も手を付けていない、奥の区画。それは、二枚目の壁のことだった。灰霧側でさえ、まだ観測網を延ばしていない、霧の向こう。その存在を、外の手が、どこからか掴んでいる。


「奥のことを、外が、知っています」


 レインは、低く言った。


「私たちが、まだ触れてもいない場所を、向こうは、値打ちとして、話に乗せているんです」


「気味が悪ぃだろう」


 ガルムが、腕を組んだ。


「奥が、いつもと違う声で鳴き始めた。その同じ頃に、外の連中が、奥の値打ちを言い触らしてる。たまたま、なのか。それとも——」


 ガルムは、言葉を切った。その先を、口に出すのを、ためらったようだった。


---


 レインは、盤に引いたばかりの、あの境界線を思った。


 外を固めていたつもりだった。門を絞り、退避を段取り、頼る手と握る手を、代の卓へ着かせた。守りの向きは、ずっと、外へ向いていた。だが、その外を捌いている、まさにその最中に、内側が、これまでと違う声で息を始めた。そして今、外の手が、その内側の奥を、嗅ぎつけている気配がある。


 外と、奥。別々に構えていた二つが、どこかで、細い糸で繋がっているのかもしれない。


「まだ、決めつけません」


 レインは、自分に言い聞かせるように言った。


「たまたま重なっただけかもしれない。奥の音と、外の噂が、無関係ということも、十分にあり得ます。ですが——」


 レインは、走り書きを、境界線の記録の隣に、並べて置いた。


「無関係だと、決めつけることも、しません。奥の拍子を聞く列と、外の噂を追う筋を、両方、切らずに置いておきます。どちらか片方だけ見ていたら、二つが繋がっていたとき、いちばん手ひどくやられる」


 ガルムは、その二枚の紙が並ぶのを、黙って見ていた。


「奥に、目をやりながら、外も見張るのか」


「そうです。守る範囲は、絞ったつもりでした。でも、絞った範囲の、いちばん奥の縁で、外と内が、同じ一点を、覗き込み始めている」


 レインは、境界線の引かれた盤を、もう一度見た。二枚目の壁は、まだ何ひとつ、その正体を見せない。ただ、揃わない拍子で、息をし続けている。その息を、誰かが、外から聞き取ろうとしている。


 守りの向きを、外だけに定めていられる時は、もう終わっていた。


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