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AI精霊と始める迷宮再建 〜落第管理者ですが、運用改善で最強ダンジョンを作ります〜  作者: 結城ログ
第7章:防衛拠点化編 ―― 守りきれる場所に作り変えろ
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第106話 走らせてみて、わかること

 訓練をやると触れを出した朝、いちばん先に文句を言いに来たのは、簡易市で汁物を売っている女だった。


「こっちは仕込みの真っ最中だよ。鍋を火から下ろして、店を閉めて、逃げる真似ごとをしろってのかい」


「半刻だけ、お借りします」


 レインは頭を下げた。


「一度も走らせないまま、本番を迎えるほうが、こわいんです。今日つまずいておけば、いざという時に、同じところでつまずかずに済みます」


 女は鼻を鳴らした。それでも前掛けを外したのは、砦で何かあれば真っ先に逃げ遅れるのが自分たちだと、分かっているからだった。


---


 合図の鐘が鳴った。


 簡易市、荷捌き場、採集区画の入口、宿。区画ごとに割り付けた門へ、割り付けた順番で、人が動きはじめる。レインは、退避線の分かれ目に立って、その流れを目で追った。


 最初の区画は、綺麗に流れた。簡易市の客は、決めておいた門へ、一列で吸い込まれていく。順番も守られている。


『順調です』


 ルカの光が、退避線の上を走った。


『第一の区画、退避完了。想定より、わずかに速い』


「まだです」


 レインは、地図の後ろのほうを指した。合図の鐘から遠い、宿と採集区画の入口。そこの流れが、まだ動いていなかった。


---


 鐘が鳴ってから、ずいぶん経ってから、宿のほうの人影が、ようやく動きはじめた。


「遅い」


 レインは、砂時計の砂を見て、眉を寄せた。


「同じ合図で、同じ時に動くはずでした。前のほうは、もう抜け終わっている。後ろは、まだ出てもいない。この差は、なんですか」


 答えは、走ってきたリナが持ってきた。宿のほうに配していた、逃げる側の一人だ。


「鐘、聞こえませんでした」


 息を切らせて、リナは言った。


「正しくは、聞こえたんですけど、遠くて。市の鐘なのか、訓練の鐘なのか、分からなくて。しばらく、みんなで顔を見合わせていました。誰かが『これ、逃げるやつじゃないの』って言い出して、やっと動いたんです」


『鳴らしたはずです』


 ミストの声が、めずらしく戸惑った。


『各区画に鳴り物を仕込みました。一斉に鳴るように――』


「一斉に鳴らしても、遠い鐘は、遠く聞こえるんです」


 レインは、後ろの区画に、印をつけた。合図は、鳴らせば届くものではなかった。近い者には大きく、遠い者には小さく届く。近いところが動き終わる頃、遠いところはまだ「これは何の音か」と迷っている。合図の網には、端のほうに、穴が空いていた。


---


 その端の区画から流れ出した人の波が、次の詰まりを作った。


 二つの区画の流れが、一つの合流点で重なる場所だった。地図の上では、別々の門へ分けたつもりだった。だが、逃げた先で一度、同じ広場を通る作りになっていた。そこへ、遅れて動きだした後ろの区画が、先の区画の尻に追いついて、団子になった。


「詰まってるよ、ここ」


 広場の脇から、エルメアの声が飛んだ。


「押されて、前の子が転びかけた。誰も踏まなかったからよかったけどね。本番で、後ろから本気で押されてたら、今ので一人、下敷きだよ」


 レインは、その広場へ駆け寄った。人の背中が、狭い口に向かって、団子のまま押し合っている。逃げる速さの問題ではなかった。二つの流れを分けたつもりで、出口の手前で、また一つに束ねてしまっていた。


「合流点が、狭すぎます」


 レインは、その一点を、地図に濃く塗った。


「別々の門へ分けても、逃げた先で同じ場所を通れば、そこで一つに戻ってしまう。分けるなら、合流する場所まで、最後まで分けないと意味がありません」


---


 三つ目は、二本目の退避路だった。


 ガルムが「逃げ道は二本以上、一本は潰れる前提で」と組ませた、その二本目だ。訓練では、一本目をわざと「塞がった」ことにして、逃げる側を二本目へ回してみた。


 だが、二本目へ向かった者たちは、途中で立ち止まった。


「どこですか、二本目」


 リナが、壁際で足を止めていた。


「一本目は、いつも通る道だから分かります。でも、二本目は、普段使わないから、どこに入口があるのか、ぱっと分からなくて。壁と同じ色で、看板もなくて」


 ガルムが、腕を組んで、その壁を睨んだ。


「作りゃいいってもんじゃねえ、か」


 低く唸って、ガルムは壁を叩いた。


「二本目は、いざって時にしか使わねえ。使わねえから、覚えられねえ。覚えられねえ道は、無いのと同じだ。俺は道を引いた気でいたが、逃げる奴の目からは、壁が続いてるだけだったんだな」


「印が、いります」


 レインは頷いた。


「普段使わない道ほど、目立たせないと。いつもの道が塞がった時に、目が探すのは、派手な印です。二本目は、地味に作っちゃいけなかったんです」


---


 半刻の訓練で、段取りは三か所で綻んだ。合図の届かない端。狭い合流点。分かりにくい二本目。レインは、その三つを、帳面に書き取っていった。書きながら、不思議と、気は重くなかった。


『失敗が、三つ出ました』


 ノアの声は、いつもの硬さのままだった。


『机上で組んだ段取りが、実地で三か所、破れました。厳しく見れば、この避難計画は、不合格です』


「合格を、探していたんじゃありません」


 レインは、帳面から顔を上げた。


「今日は、どこで壊れるかを、見つけに来たんです。三つ壊れた、じゃなくて、三つ見つかった。走らせなければ、この三つは、本番まで隠れていました。隠れたまま本番を迎えるより、今日、明るいところで転んでおくほうが、ずっといい」


 訓練は、うまくいかせるためのものではなかった。うまくいかない場所を、先に見つけるための装置だった。ガルムが「動かした時に、初めて綻びが見える」と言った、その綻びを、わざと引き出すために走らせた。


---


 見つかった三つは、その日のうちに手が入った。


 合図は、遠い区画に、鐘だけでなく、走って報せる者を一人ずつ立てた。音が届かなくても、人が走れば、迷いは消える。ガルムは、捌く側の人手を、前の区画から後ろの区画へ回した。前は放っておいても流れる。手が要るのは、動きの鈍い後ろだった。


 狭い合流点は、二つの流れが最後まで交わらないよう、片方の門の位置をずらした。二本目の退避路の入口には、遠くからでも目につく赤い布を垂らし、壁の色から浮かせた。


 エルメアの言っていた、一度に流していい人数の上限も、門ごとに小さな立て札で示した。ここから先は次の合図まで待つ、という区切りを、目で見て分かるようにする。人が詰まるのは、たいてい、待てば防げることだった。数えて、線を引いて、その線を見えるようにしておけば、勢いのままに押し寄せる足も、いくらか落ち着く。


 直したところで、もう一度、短く走らせた。二度目は、後ろの区画が、鐘と同時に動いた。合流点で団子はできず、二本目へ回された者も、赤い布を目印に、迷わず入口を見つけた。待つ人数の立て札の前では、後ろの区画が、きちんと順番を待った。誰も、我先にとは走らなかった。


「一度は、走った道になりました」


 レインは、二度目の流れを見送って、息をついた。紙の上の線が、初めて、人の足で踏まれた。踏まれて、壊れて、直された。まだ本番ではない。だが、机上の絵から、一度は動かした段取りへ、守りが半歩だけ、進んだ。


---


 訓練を終えて帳面を閉じたところへ、ベルダが一枚の書状を持って入ってきた。


「レイン。表の門に、使いが来てるよ」


 差し出された封には、見覚えのある印が押されていた。領主側の、実務窓口の印だった。


「灰霧前砦を、領の備えとして、正式に話をしたい、とさ」


 レインは、閉じたばかりの帳面に、目を落とした。守る場所を決め、門を絞り、逃げる順番を走らせた。ようやく、守りの形が半分見えてきたところだった。その半分できた守りを、外から「備え」と呼びたい手が、いよいよ卓に着こうとしている。頼る手が、机の向こうに座る番が、来たらしかった。

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