第103話 招かれざる下見
ガルムが戻ってきたのは、日が傾きかけた頃だった。
外周の見回りから帰った若い作業員の話を聞くなり、ガルムは「歩いた場所を、逆からたどる」と言って出ていった。採集に来たという一団が、どこを、どんな順で見て回ったのか。その足跡を、終点から始点へ巻き戻すように追ったのだ。
戻ってきたガルムは、地図を卓に広げて、太い指で線を引いた。
「採れる場所には、ほとんど寄ってねえ」
引かれた線は、簡易市と荷捌き場をかすめただけで、すぐ別の方へ折れていた。
「足を止めたのは、ここと、ここと、ここだ。外周の門。深層へ下りる通路の入口。退避線が枝分かれする継ぎ目。採集者が、わざわざ覚えて帰る場所じゃねえ」
レインは地図の上の三点を、目でつないだ。門、通路、退避線。それは昨日、レインたちが「守る範囲」として書き込んだ核と、ほとんど重なっていた。
「守りたい場所を、向こうも見ている、ということですね」
「裏を返せば、そういうこった」
ガルムは線の端を、爪で軽く弾いた。
「壁の薄いところと、人の流れの細るところを、ちゃんと選んで歩いてやがる。素人の見物じゃねえ。守る側の目で、こっちを測ってる」
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ベルダが、受付の帳面を抱えてやってきた。
「申告と、つき合わせてみたよ」
帳面には、その一団が受付で告げた来訪目的が書いてある。新しい採集地の下見。商談の前の見学。どれも、ありふれた、突っぱねる理由のない申告だった。
「言ってることは、まっとうなんだ。採集の下見に来ました、ってね。だけど足は、採集場所にこれっぽっちも向いてない。口と足が、ちぐはぐなんだよ」
ベルダは帳面を一枚めくった。
「それとなく、探りも入れてみたんだ。どのへんの採集物を見に来たんです、ってね。そしたら向こう、慌てもしないで、まだ目移りしてて決めかねてる、なんて、すらすら返してきた。よどみがないんだよ。あんまり手慣れてるもんだから、こっちが逆に、言葉に詰まっちまった」
「答えを、あらかじめ用意してきてる」
レインは、帳面の文字を指でなぞった。
「とっさに聞かれて、よどみなく返せるというのは、聞かれることを見越していた、ということです。下見に来たのではなく、下見を疑われたときの言い訳まで、ちゃんと荷物に入れて来ている。やっぱり、ただの採集者ではありません」
「だろ。気味が悪いったらないよ」
セレスを呼ぶと、分析の精霊の線が、地図の三点とベルダの記録の上を、すっと重なって走った。
『申告と動線の食い違いを、整理しました』
光が、二つの帳面を並べて照らす。
『来訪目的に採集を挙げた一団のうち、採集区画での滞在は、記録上ごくわずかです。一方、門・深層通路・退避線――守りの要点での滞在は、ふつうの見学者に比べて、際立って長い。たまたま目に留まった、では、この偏りは出ません』
「偶然ではない、ということを、数で言うと、そうなるわけです」
レインは腕を組んで、綴りを見下ろした。
灰霧迷宮は、もう赤字の廃迷宮ではなかった。古代の機構を抱え、それを毎日世話して回している――その事実が、収益という分かりやすい価値を超えて、外へ漏れ始めている。中央が管理すべきもの。あるいは、誰かが先に握れば儲かるもの。そういう目で灰霧を測りに来る手が、紙や蝋印ではなく、生身の足になって、もう砦の中を歩いていた。
「頼る手紙と、握る手紙の話をしていた、そのすぐ裏で、三つ目が下見に来ています。手紙より、こちらのほうが足が早い」
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ガルムが、地図の端を指で叩いた。
「足跡を、外まで逆にたどってみた。連中、砦を出たあと、街道で別の荷馬車と落ち合ってる。荷の積み方からして、ただの行商じゃねえ。どこかの商会の、先回しの手だ」
「どこの、とまでは」
「言い切れねえ。けど、近ごろこの辺をうろつく荷の流れは、たいていセドリックの息のかかった筋に行き着く。断じはしねえが、当たりはつく」
断じはしない。けれど、当たりはつく。ガルムのその言い方を、レインは信用していた。証拠のない断定をしない男が、当たりはつくと言うときは、たいてい外れない。
夜、宿のほうからバロスが顔を出した。商人の耳は、いつも早い。
「妙な噂が、流れててね」
バロスは声を落とした。
「灰霧の地下にゃ、古い時代の動く仕掛けが眠ってる。あれを押さえりゃ、ひと財産だ。そんな話が、近ごろ商人連中のあいだで、まことしやかに回ってる。尾ひれもついてて、中にゃ、国が黙っちゃいない代物だ、なんて言う奴までいるよ」
「出どころは」
「分からん。だが、火のないところに煙は立たねえ。地下の話が、外まで漏れてる――それだけは、確かだ」
レインは、深く息を吐いた。固定費として台帳に書き出した深層の世話が、外から見れば、ひと財産の眠る金庫に見えている。重さを隠さず書いたつもりが、その重さごと、欲しがられ始めていた。
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『提案します』
ノアの声は、いつもどおり硬かった。
『当該の一団を、即時、立ち入り禁止に。あわせて、申告と動線が食い違う来訪者を、今後一律で排除する基準を設けるべきです』
「気持ちは分かります。けど、それはできません」
レインは首を振った。
「あいつらは、何も破っていません。受付で偽名を使ったわけでも、立入禁止の縄を越えたわけでもない。門の数を数えて帰るのは、罪ではありません。見て回っただけの相手を弾く理屈を、こちらは持っていません」
『では、見過ごすと』
「見過ごしはしません。記録します」
レインは、ベルダの帳面と、ガルムの地図と、セレスの整理を、一つの綴りにまとめさせた。誰が、いつ、何を申告して、実際にどこを、どれだけ見て回ったか。申告と動線のズレを、一件ずつ、証跡として残していく。
「止められないなら、せめて、ちゃんと見ておきます。次に同じ足が来たとき、前にもこうだった、と並べて見せられるように」
綴りができ上がると、レインはその束を、しばらく眺めていた。守る範囲は、昨日のうちに絞った。門、深層通路、退避線。守る核は決めた。だが、その核に近づく相手を、どう選り分けるか――そこが、まだ何も決まっていない。
「守る場所は、決めました。けど、そこに誰を入れるかは、まだ決めていません」
レインは綴りを卓に置いた。
「壁をいくら高くしても、門を素通りで入れていたら、意味がありません。守るというのは、たぶん、入口の話なんです。誰を入れて、誰を入れないか。その線を、どこかで引かなければなりません」
言いながら、レインの中で、もう一つの重さが頭をもたげていた。
門を狭めれば、下見の足は止められる。だが灰霧前砦は、毎日たくさんの足が出入りして、ようやく回っている場所だ。採集者が来て、商人が荷を運んで、職人が居ついて――その出入りを締めれば、砦の暮らしそのものが、先に細っていく。
守るために門を閉じれば、守りたかった暮らしが、先に干上がる。
ベルダが、綴りの背を指でなぞりながら、ぽつりと言った。
「線を引くのはいいけどさ。きつく引きすぎると、今度はうちの飯の種まで、締め出しちまうよ」
その通りだった。守る線と、生かす線は、同じ門の上で、引っぱり合っている。
「全部閉めちまえば、楽は楽だがな」
ガルムが、地図をくるくると巻きながら言った。
「閉めた門は、敵も入れねえが、味方も入れねえ。飯も、荷も、人も止まる。守りきった砦の中で、ひからびて死ぬってのも、間抜けな話だ」
「だから、全部は閉めません」
レインは、巻かれていく地図を見た。
「閉めるのではなく、選ぶんです。誰を入れて、誰を入れないか。それを決める仕組みを、明日、組みます。守るというのは、門を厚くすることではなく、門で人を見分けることなんだと思います」
下見の足を止める前に、レインはまず、その引っぱり合いの落としどころを、決めなければならなかった。誰を入れるか――その線を引く仕事が、守りの最初の一歩になりそうだった。




