第15話「願われた子ども」 その3 滅殺者が見る胎内
現場の家は、昼間でも薄暗かった。
カーテンは開いている。
電気も点いている。
それでも、光が奥まで届かない。
佐々木結衣は、玄関に立った瞬間に理解した。
(……ここ、もう“母体”だ)
家としての機能は終わっている。
壁も、床も、天井も、
「守る場所」ではなく
「包み込む場所」に変質していた。
靴を脱ぐ必要はない。
この空間に礼儀は存在しない。
結衣はそのまま踏み込んだ。
足裏に、わずかな弾力。
畳の感触ではない。
生暖かく、湿っている。
胃の奥が、静かに嫌悪を訴える。
「……気色悪い」
声は低く、短い。
玄関を抜けた瞬間、
耳鳴りのような音が走った。
心音だ。
どく、どく、という鈍い拍動が、
家全体から響いている。
(祈りが、脈打ってる)
結衣は、八咫刀を起動させた。
柄についた鎖が、歪んだ波形に動く。
一定ではない。
不規則で、だが確実に「成長」している。
胎動に似ている。
「……生まれる気か」
誰に言うでもなく呟く。
廊下の先、
仏壇のあった部屋へ近づくにつれ、
空気が濃くなる。
甘い匂い。
血の匂いではない。
腐臭でもない。
——羊水に近い。
結衣は一瞬、目を伏せた。
脳裏に浮かぶのは、
兄・颯の背中。
あのときも、
同じ匂いがした。
何かが「入れ替わる」直前の匂い。
「……今回は、子どもか」
部屋に入る。
そこに、あった。
仏壇は、崩れていない。
だが、その奥。
壁と壁の隙間に、
白く膨らんだ“袋”が張り付いている。
人ひとり分。
いや、二人分。
表面が、ゆっくりと上下している。
呼吸している。
《……ママ……》
声が、直接、頭に響いた。
子どもの声。
だが、その奥で、
別の無数の声が重なっている。
流産した子。
死産した子。
生まれなかった名もない存在。
祈りで呼び寄せられ、
寄せ集められ、
“形”を与えられようとしている。
「……望まれてないくせに」
結衣は、袋を見据えたまま言った。
「願われたのは、
“お前”じゃない」
袋が、ぴくりと震える。
《……ママが……》
《……必要だって……》
《……一人は、寂しい……》
結衣の喉が、わずかに鳴った。
一歩、前に出る。
「寂しいのは、親だ」
声音は、冷たい。
「子どもは、
親の穴埋めじゃない」
袋の表面に、
小さな手の形が浮かび上がる。
内側から、
叩くように。
《……生まれたい……》
《……生きたい……》
「……違う」
結衣は、八咫刃を構えた。
滅殺用の構文が、
刃先に集まる。
この残響は、
「生きたい」のではない。
“使われたい”。
居場所を与えられ、
意味を与えられ、
現実を乗っ取るための器として。
——兄と同じだ。
(……許さない)
結衣の中で、
静かに何かが折れた。
「……私が終わらせる」
袋が、大きく膨張する。
内側で、
骨の形が浮かび上がる。
頭。
腕。
胴体。
人の輪郭。
《……ママ……》
声が、懇願に変わる。
結衣は、迷わなかった。
「……生まれるな」
低く、確定した声。
滅殺の祓詞を短く吐き、八咫刃を振るう。
「……《断祈》」
次の瞬間、
空間が“裂けた”。
袋の中心に、
縦一文字の亀裂。
中から、
光ではなく、
闇が溢れ出す。
《……っ!?》
無数の声が、
一斉に悲鳴を上げた。
結衣は、目を逸らさない。
「祈りは、
現実を代替できない」
亀裂が、横に広がる。
袋が、
音を立てずに崩れていく。
中から、
何も出てこない。
骨も、血も、
胎児も。
最初から、
“いなかった”かのように。
心音が、止まった。
家全体が、
ゆっくりと沈黙する。
結衣は、深く息を吐いた。
胸の奥に、
冷たい空洞が広がる。
埋まらない。
これで救われる誰かはいない。
それでも。
「……増やさない」
それだけが、
彼女を立たせている理由だった。
世界が、再び反転を始める。




