↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)――都市怪異を修正する祓屋の記録  作者: みえない糸
第2章 殺すことを選んだ祓い
PR
89/313

第16話 正しきもの 第2章 正しさを選ぶもの

 最初の異変は午前九時四分。


『人が落ちました。女性です、屋上から。』


 オペレーターが確認する。


「意識は。」


『分かりません。動いてません。』


「呼吸の確認を。」


『専門家じゃありません。待つべきです。』


「何もしなければ――」


『間違えるよりいいです。』


 通話は切れた。


 出動指令は正常だった。


 だが何かがずれていた。


 ◇


 九時十一分、救急到着。


 群衆は静まり返り、ただ見ている。


 女性は仰向け、重度外傷。


「心肺停止。圧迫開始。」


 処置は迅速に進む。


 心静止。瞳孔散大。


 それでも止めない。


「収容する。」


 滝川が周囲に問う。


「目撃者は。」


 通報者が手を上げる。


「落ちる前に何か。」


「間違っている、と。自分は正しいとも。」


「助けなかったのか。」


 視線が一斉に集まる。


「危険です。専門家に任せるべきです。」


「その間に落ちた。」


「本人の判断です。」


 周囲が同時に言う。


「問題ありません。」


 誰も死を悼まない。


 ◇


 九時十五分、警察到着。


「誰も止めなかった?」


「はい。」


「通報は。」


「直前一件、後三件。」


「自殺だな。」


 西原が断じる。


「まだ分かりません。」


「従え。」


 その言葉が頭に響く。


 ――従え。


 松尾は顔を上げる。


「今、誰かが。」


《疑問を確認しました》


 声が重なる。


《誤りです。訂正してください》


「違う!」


 松尾が叫ぶ。


 周囲はただ見ている。


 西原は無線を取る。


「警察官一名錯乱。」


「違う!」


 視界が歪む。


 死者たちが並ぶ。


《我々は正しかった》


《疑う者は誤り》


 松尾は転倒し道路へ。


 トラックが迫る。


「出ろ。」


 西原は動かない。


「助けてください。」


「自分で動け。」


 その瞬間、引き戻される。


 滝川だった。


「何してる!」


「動けなかったんです。」


「立て。」


「声が聞こえるんです。」


「精神症状だ。」


 即断。


「搬送する。」


「違う!」


「判断は俺だ。」


 腕を掴む。


《判断は適切です》


 滝川の内側で声が響く。


《救う者の判断は優先される》


 滝川は救急車へ戻る。


 ◇


「受入先未定です。」


「最寄りへ。」


「満床です。」


「受け入れる。」


「医師指示は。」


「不要だ。救命優先。」


 圧迫を続ける。


 骨が軋む。


 藤崎が止める。


「助からない。」


《疑問を確認しました》


「違う!」


「停めてください!」


「搬送中だ。」


 小宮は減速しない。


「赤です!」


「緊急走行だ。」


 交差点へ突入。


 衝突。


 車体が跳ね、停止。


 血の匂い。


 小宮は動かない。


 藤崎も負傷。


 それでも滝川は圧迫を続ける。


「止めてください!」


「処置中だ。」


「事故です!」


「患者を救う。」


「生きてる人を!」


 滝川が止まる。


「この人も患者だ。」


「もう亡くなってます!」


《死者を否定しました》


《死者は正しい》


 藤崎は這い出す。


 扉へ。


 だが掴まれる。


「放棄するな。」


「これは違う!」


「なら資格はない。」


《訂正してください》


 藤崎は振り払う。


 外へ転がる。


 道路中央。


 動けない。


「助けて……。」


 人は集まるが近づかない。


 西原も止める。


「近づくな。」


「でも!」


「二次事故だ。」


 松尾は見つめる。


 そこに人間はいない。


 救急車内では滝川が圧迫を続ける。


 死者だけを見て。


 ◇


 九時二十三分。


 救急隊は事故。


 隊員重傷、錯乱。


 搬送中断。


 応援隊が向かう。


「負傷者優先。」


「最初の患者は。」


「心肺停止だ。」


「誰が決めるんですか。」


「現場だ。」


 窓の外、複数の救急車。


 それぞれ異なる正しさで走る。


 救命、優先、手順、命令。


 誰も疑わない。


 だから誰も同じ命を救わない。


 残るのは――


 誰も決めていない「正しさ」だけだった。


 午前十時七分。


 東湾市内では、救急車の到着が目に見えて遅れ始めていた。


 転落。


 列車との接触。


 交通事故。


 庁舎屋上からの飛び降り。


 通報は途切れない。


 だが。


 現場へ向かった救急隊そのものが、新たな事故を起こしている。


 救命を優先し、危険区域へ踏み込む者。


 安全確認を理由に、倒れた人間へ近づかない者。


 手順に従い、助かる可能性のない者へ処置を続ける者。


 搬送順位を巡り、互いの判断を否定する者。


 どの行動にも理由があった。


 どの判断にも、規則や理念が存在していた。


 だからこそ。


 誰も、自分が異常だとは気付かなかった。


 ◇


 東湾県警本部。


 通信指令室では、壁面の大型モニターへ市内の出動状況が表示されていた。


 赤い印が増え続けている。


 事故。


 急病。


 自損。


 錯乱。


 一つの現場へ複数の救急車が向かい。


 別の現場には、一台も到着していない。


「中央区、救急搬送不能。」


「第七救急、交差点事故で停止。」


「南分署から応援を出します。」


「南分署は別件へ向かっています。」


「なら西から回せ。」


「西は現場判断で出動を拒否しています。」


「拒否?」


「管轄外への出動は適切ではないと。」


 指令室の空気が重くなる。


 担当者は画面へ視線を固定したまま、機械的に情報を読み上げる。


 誰も声を荒らげない。


 誰も混乱しているようには見えない。


 だが。


 指示は互いに噛み合っていなかった。


「管轄を優先してください。」


「人命を優先すべきです。」


「現場安全が確保されていません。」


「救命活動を止めてはいけません。」


「手順に従ってください。」


「現場判断を尊重してください。」


 全てが正論だった。


 だから。


 どの指示も撤回されない。


 それぞれの正しさが衝突し、救急網だけが静かに停止していく。


 指令室の後方で、高峰修一は腕を組んでいた。


 画面へ表示された数字を見つめる。


 出動不能車両、六台。


 救急隊員の負傷、十一名。


 現場離脱、三名。


 錯乱状態、確認中。


 数字だけを見れば、大規模災害に近い。


 だが、地震も。


 火災も。


 爆発も起きていない。


 人間の判断だけが壊れている。


「同じ言葉が多すぎる。」


 高峰が呟く。


 隣にいた久世真紀が顔を上げる。


「言葉、ですか。」


「現場報告を検索しろ。」


「何を。」


「正しい。適切。従う。間違い。」


 久世が端末を操作する。


 通報記録。


 無線通信。


 警察官の報告書。


 救急隊から送られた音声データ。


 該当箇所が次々と抽出される。


『正しい処置です。』


『命令に従ってください。』


『本人が選んだことです。』


『間違った者を救う必要はありません。』


『救命を疑うことは許されません。』


『規則どおりに対応しています。』


 数十件。


 そのほとんどが、午前八時以降に集中している。


 久世の指が止まる。


「……これ、同じ人が喋っているみたいです。」


「話者は違う。」


「声紋は違います。でも。」


 音声波形を重ねる。


 声の高さ。


 速さ。


 話し方。


 それらは異なる。


 だが。


 発言の直前に、全て同じ長さの空白が存在していた。


 〇・八秒。


 呼吸でも。


 迷いでもない。


 完全に無音の空白。


 その直後、判断が言葉として出力されている。


「考えている時間じゃない。」


 高峰が言った。


「何かを受け取っている。」


 久世が小さく息を呑む。


「全員が、ですか。」


「少なくとも、この記録に残っている連中はな。」


 ◇


 午前十時四十二分。


 東湾市内某所。


 中森安行は薄暗い部屋で、複数のモニターを前にしていた。


 肩へ古びた鞄を掛け。


 片手には紙袋。


 眠そうな目で画面を見つめる。


 そこには、警察無線の傍受ログ。


 通信指令室の内部音声。


 救急隊の記録データ。


 すべてがリアルタイムで流れていた。


「朝から随分と派手に壊れたな。」


 誰に向けるでもなく呟く。


 画面には死亡報告が並ぶ。


 救急と警察の異常行動。


 中森は椅子へ座る。


 紙袋から小型端末と、黒い金属板を取り出した。


 手のひらに収まる程度の長方形。


 表面には細い溝が刻まれている。


「さて。」


 端末へ金属板を接続する。


 傍受した音声データを読み込ませる。


 一つ目の音声を再生した。


『正しい処置です。』


 波形が画面へ表示される。


 音声そのものではない。


 声の背後へ重なる、通常は記録されない微細な揺らぎ。


 中森は再生速度を落とす。


『正――』


 声が引き伸ばされる。


 その奥に。


 別の音があった。


 低い。


 複数の声が重なったような振動。


 意味のある言葉には聞こえない。


 だが。


 一定の間隔で繰り返されている。


「ここだ。」


 中森が画面を指す。


「発言の直前。」


 無音に見える〇・八秒。


 だが実際には、何かが流れ込んでいる。


 中森は黒い金属板へ指を置いた。


 溝の一部が青白く発光する。


 画面の波形が分離される。


 人間の声。


 環境音。


 機械音。


 そして。


 どれにも分類されない、細い波形。


「残響か。」


 独り言のように呟く。


 二件目を再生する。


『本人の判断です。』


 同じ位置に、同じ波形。


 三件目。


『救命を疑うことは許されません。』


 同じ。


 四件目。


『規則どおりに対応しています。』


 同じ。


 中森は無言で波形を並べていく。


 完全な一致ではない。


 だが。


 根の部分が共通している。


 一つの信号から枝分かれしたような形だった。


「感染源は音声じゃないな。」


 画面を拡大する。


「これは、上書きの痕跡だ。」


 判断が書き換えられた後に残る残滓。


 侵入経路は特定できない。


「見る。聞く。読む。考える。」


「どれでも入り込める。」


 中森は椅子へ深く座り直す。


「だから厄介だ。」


 別のデータを開く。


 死亡者の端末ログ。


 監視カメラ音声。


 すべてに同じ揺らぎが残っている。


「接触歴なし。」


「共通媒体なし。」


「地域もバラバラ。」


 それでも同時に始まっている。


 中森は現場写真を開く。


 浴室の鏡。


《CORRECT》


 高校の机。


《正》


 市役所端末。


『訂正完了』


 救急車ログ。


『救命は正しい』


「言葉が統一されてねぇ。」


 意味は同じ。


 だが出力が違う。


「前の奴とは違うな。」


 中森は別の波形を呼び出す。


 あの時の残響――島原の乱に連なる時代の匂いを帯びた存在の残滓。


 鋭く収束した一本の核。


 今回の波形は違う。


 太く、絡み合っている。


「同一じゃない。」


「だが癖は同じだ。」


 死者の記憶を再構成し、思想へ変える構造。


「誰かが形を与えてる。」


 中森は低く呟く。


「……だが、妙だな。」


 視線を波形へ落とす。


「なんで今なんだ。」


 あの時代の残響が、現代にここまでまとまって現れる理由がない。


 長い時間を経て、散逸していてもおかしくないはずだ。


「眠ってたのか。」


「それとも、掘り起こされたか。」


 指先で波形をなぞる。


 複数の線が絡み合う構造。


「一つの意思じゃない。」


「複数が、同時に動いてる。」


 波形を分解する。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 異なる周期が重なっている。


「一体じゃないな。」


 自死。


 服従。


 裁き。


 救命執着。


 反応が分岐している理由。


「複数の残響が同時に動いてる。」


 さらに解析を進める。


 ノイズの奥に規則性。


 断片的な音声が浮かぶ。


《我らは――》


《裁かれ――》


《死をもって――》


 最後に。


《名は要らぬ》


 中森の目が細くなる。


「名を隠してる。」


 玄察は名乗った。


 だが今回は違う。


「名を持たないんじゃない。」


「名乗らない。」


 さらに考える。


「いや。」


「一つじゃないのか。」


 複数の名持ちが重なっている。


 一つの思想へ。


「群れか。」


 その瞬間。


 傍受回線に新しい音声が割り込む。


『現場到着。負傷者は三名。』


 正常な報告。


 〇・八秒の空白。


『正しくない者から、処置を中止します。』


 中森は別モニターを開く。


 位置情報。


 東湾中央病院前。


 さらに別の通信。


『搬送拒否が発生――』


『医師が選別を開始――』


『警察が立入りを――』


「病院まで来たか。」


 拡大が速い。


 中森は端末を閉じる。


「結衣を動かすか。」


 だが思考を止める。


「いや。」


「まだ核が見えてない。」


 今回の残響は単純な命令ではない。


 人間のあらゆる「正しさ」を利用している。


「核は死者だ。」


 死者が選んだことは正しい。


 死者が信じたことは間違っていない。


 死という結果が、それを証明する。


「その論理で動いてる。」


 そして。


「複数の名持ちが、それを代弁してる。」


 モニターに赤い印が増え続ける。


 一つ。


 また一つ。


 異なる正しさが、人間を裁く。


 中森はスマートフォンを取り出す。


 佐々木結衣へ発信。


 数回の呼出音。


『……何。』


「前の残響と繋がった。」


『玄察?』


「違う。」


 画面の波形を見る。


「今回は一体じゃない。」


『何体。』


「分からん。」


『名前は。』


「隠してる。」


『なら、引きずり出す。』


「簡単に言うな。」


『名前があるなら、呼べば振り向く。』


 結衣の声は冷静だった。


『振り向いたものから斬る。』


 通話が切れる。


 中森はスマートフォンを下ろす。


「……相変わらずだ。」


 黒い金属板の発光が消える。


 だが。


 完全に暗くなる直前。


 溝の奥に文字が浮かぶ。


《我々》


 中森はそれを見逃さなかった。


 一人称ではない。


 一体でもない。


 それが。


 今回、最も危険な答えだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。