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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)  作者: みえない糸
第1章 世界はまだ、正しく壊れている

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第5話「焦げ落ちる病棟」 その5 残り火

 患者のモニターは一定のリズムを刻み、その呼吸は、数時間前よりずっと穏やかだった。


 高峰修一(たかみねしゅいち)は、壁にもたれたまま梓を見ていた。

 祓詞(ふつし)の余韻は、病室の空気にわずかに残っている。

 焦げ臭さだけが薄く漂い、現場の凄惨さを証明していた。


「……無事か、真名井」


「はい。問題ありません。

 ただ、強い“焼損祈念”だったので、少し……疲れました」


 梓は丁寧に息を整え、結い上げた髪を指で軽く押さえる。

 姿はいつも通りだが、指先のわずかな震えだけが“戦いの痕”を物語っていた。


「患者は?」


「記憶は……だいぶ焼かれていました。

 でも、“核心となる名”の部分だけは戻りました。

 数日は混乱すると思いますが、時間と共に安定します」


「そうか……助かったな」


 高峰は大きく息を吐き、天井を仰ぐ。


 カルテは消えた。

 電子記録も、紙も、存在そのものが“抜け落ちた”状態。

 だが本人の記憶が戻った以上、行政処理もどうにかなる。


「にしても……名前を焼く、か。

 そんな残響(エコー)がいるとはな」


「“火”は、祈りの中でも特に強い意味を持ちます。

 清め、破壊、転生……。

 その象徴が、人の名にまで干渉したのでしょう」


「例の影……あれは何だった?」


「“器”は妖怪の性質を借りたものです。

 死者を運び、掴んで焼く――そういう存在。

 しかし、中身は……」


 梓は言葉を切り、目を伏せる。


「……詳しい人物名については、ご報告できません。

 精神層で得た情報は、あくまで“残響の断片”ですから」


「つまり、言いたくないタイプだな」


「いえ……根拠が薄い段階で断定するのは危険です。

 歴史的な人物の祟りは、扱いが難しいので」


 高峰は肩をすくめた。


(残響の中身は明らかに“誰か”だった。

 あの古めかしい裁きの衣……江戸か、それ以前か)


 妙なことに、この不自然な“歪み”が、

 また新たな事件を呼ぶ気がしてならなかった。


「ところで」


 ふと思い出したように高峰が言う。


「中森から連絡があった。

 “火の祟りは、動けば続く”ってさ」


「そうでしょうね」


 梓は静かに、焼損の残る病室を見渡す。


「一度燃えた祈りは、必ず“残り火”を残します。

 完全に消すことはできなくても、弱めることはできますが……」


「再発の可能性は?」


「……高いです。

 ただ、今回の“運び手”は退きました。

 次は別の場所に移るでしょう」


「こっちとしては勘弁してほしいがな」


「私も、同感です」


 ふと、廊下の向こうから、猫のような鳴き声がかすかに聞こえた。

 看護師が驚き、あたりを見回すが、


「……気のせい、ですかね?」


 梓は首を横に振った。


「幻聴ではありません。

 ただ……“ここにはもういません”。

 残響のだけが、少し残っているだけです」


 濡れた足跡も、黒炎の影も消えている。

 それでも、どこかに“誰かが歩いた痕跡”は残っていた。


「……高峰さん」


「ん?」


「私は……

 恐山で、自分の未熟さを痛感しました。

 今回、少しは……役に立てましたでしょうか」


 高峰は驚いた顔で彼女を見る。


「役に立てたかどうか……?

 助けたじゃないか。

 俺でも、この焼けた病室はどうすることも出来なかった」


「ありがとうございます」


 梓は、かすかに微笑んだ。


 その時、スマホが震えた。

 画面には《中森安行(なかもりやすゆき)》の文字。


(……何か、ある)


 梓は通話ボタンを押す。


『よぉ、梓ちゃん。

 どうせ、もう片付けてると思ってよ』


「……どうして分かったんですか」


『声のトーンでな。

 それと、火の祟りが止まったら、こっちの“工具”にも反応が出るのさ』


「今回は……記録が消されました」


『推測通りだ。

 火と記録が同時に消える祟りは、古いんだよ。

 問題は……』


「問題は?」


『そいつ、たぶん“もっと大きい何か”の端っこだぜ。

 まだ燃えてるところがある』


 梓の背筋がわずかに冷える。


「場所は?」


『まだ掴めねぇ。ただな、祓屋あずさちゃん。

 “火の道筋”が北のほうに延びてる。

 気ぃつけな』


「分かりました。

 情報、ありがとうございます。中森さん」


『礼はいらねぇよ。

 仕事だしな』


 通話が切れる。


 高峰が言う。


「中森か?」


「はい。“火の道筋”がまだどこかに残っていると」


「次があるってことか」


「ええ。

 でも……今回は、助けられました」


 梓は患者の穏やかな寝顔を見つめる。


「“名前”は、人が人であるための根源です。

 それを焼かれたままでは、存在そのものが歪みます。

 間に合ってよかった……」


 静かな言葉が病室に沈む。


 高峰は腕を組み、ため息をついた。


「しかし……残り火か。

 また厄介なものが増えたな」


「はい。

 火は、形を変えて残ります。

 見えなくても、消えたわけではありません」


 梓は病室の窓越しに、遠くの空を見上げた。


 冬の空気を切り裂くように、一筋の黒煙が、どこか遠くで揺れていた。


「……まだ、誰かの記録が、燃えている」


 その黒煙は、誰にも見えない。

 しかし、梓には分かっていた。


 “火を運ぶ祟り”はまだ終わっていない。

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