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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)――都市怪異を修正する祓屋の記録  作者: みえない糸
第3章 修正できなかった世界
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第46話 縛れないもの 第4章 怯えているもの

 城下町全体が膝をついた。


 いや。


 膝をつかされた。


 空間そのものが変わったのだ。


 今まで支配していたのは規律だった。


 今は違う。


 恐怖だった。


 生き残れ。


 失敗するな。


 死ぬな。


 そのためなら何を捨ててもいい。


 その本能そのものが空間へ満ちていた。


 梓の呼吸が浅くなる。


 愛音の翡翠が激しく脈打つ。


 今川義元。


 武田信玄。


 石田三成。


 三人も同時に表情を変えた。


 理解したのだ。


 目の前にいるものは。


 ただの残響ではない。


 天下人として生き残った怪物だと。


《儂はな》


 声が響く。


 静かだった。


 だからこそ恐ろしかった。


《勝ったのではない》


 天守閣が揺れる。


《耐えたのだ》


 黒い粒子が吹き上がる。


《織田にも》


《武田にも》


《豊臣にも》


《裏切りにも》


《全てにな》


 その瞬間だった。


 武田信玄が飛び出した。


「だから何だッ!」


 咆哮。


 拳が振り下ろされる。


 今までと同じなら届いた。


 だが。


《止まれ》


 一言だった。


 武田信玄の身体が停止する。


 完全停止ではない。


 違う。


 自分で止まった。


 避けるべきだ。


 死ぬ。


 危険だ。


 その判断が肉体を支配した。


 生存最適化。


 徳川家康の本質。


 死を避けるための判断が、強制的に行動へ割り込んでくる。


 武田信玄は歯を食いしばった。


 筋肉が裂ける。


 骨が軋む。


 それでも前へ出る。


「それで生きたかッ!」


 拳が届く。


 轟音。


 天守閣が揺れる。


 だが。


 届かなかった。


 徳川家康はそこにいない。


 いつの間にか背後にいた。


 武田信玄の目が見開く。


《だからお前は死んだ》


 掌が胸へ触れた。


 静かだった。


 次の瞬間。


 武田信玄の身体が内側から崩壊した。


 胸部。


 腹部。


 肩。


 全身へ黒い亀裂が走る。


 それでも信玄は笑った。


「……そうか」


 豪快だった。


「ならば最後まで抗うだけだッ!」


 そして。


 黒い粒子となって崩れた。


 愛音が目を見開く。


 消えた。


 武田信玄が。


 さっきまで戦っていたのに。


 消えた。


 理解が追い付かない。


 その瞬間。


 今川義元が軍配を振った。


「信玄」


 笑っていた。


「相変わらず騒がしい」


 風が吹く。


 城下町の秩序がさらに崩れる。


 徳川家康の眉が僅かに動いた。


《義元》


「そう怒るな」


 義元は優雅だった。


 最後まで。


「……天下とは窮屈なものよな」


 軍配が落ちる。


 空間が裂ける。


 律令支配が乱れる。


 徳川家康の周囲だけ規律が剥がれる。


 隙だった。


 石田三成が飛び込む。


 刀が閃く。


 肩。


 首。


 脇腹。


 三連撃。


 黒い粒子が舞う。


 徳川家康が初めて後退した。


 梓は息を呑む。


 押している。


 まだ押している。


 しかし。


 徳川家康は笑わなかった。


 怒鳴らなかった。


 ただ。


 静かだった。


《義元》


 一歩。


《お前は》


 また一歩。


《最後まで甘い》


 次の瞬間。


 軍配が砕けた。


 義元の右腕ごと。


 鮮血はない。


 黒い粒子だけが舞う。


 義元の表情が初めて変わる。


 徳川家康はその首を掴んだ。


《お前は負けたのだ》


 静かな声だった。


《だから儂がおる》


 義元は少しだけ笑った。


「……そうだな」


 悔しさは無かった。


 むしろ穏やかだった。


「だから戦とは面白い!」


 首が折れる。


 嫌な音。


 今川義元も消えた。


 愛音の胸が痛む。


 理由は分からない。


 ただ苦しい。


 石田三成だけが残った。


 徳川家康を見る。


 そして小さく笑う。


「やはり」


 一歩。


「あなたは」


 また一歩。


「安心したかっただけだ」


 刀が向く。


 徳川家康の目が細くなる。


《三成》


 初めてだった。


 怒気が滲む。


《貴様だけは》


 黒い粒子が吹き上がる。


《最後まで》


 空間が軋む。


《儂を理解せぬ》


 三成は首を振る。


「違う」


 静かな声。


「理解している」


 そして。


 愛音を見た。


 初めてだった。


 戦闘中に。


 愛音へ向けて視線を向けたのは。


「愛音様」


 少女が顔を上げる。


「前へ……」


 それだけだった。


 次の瞬間。


 石田三成の身体が止まる。


 神経拘束。


 完全停止。


 徳川家康が目前に立つ。


《終わりだ》


 三成は笑った。


 最後まで。


「いいえ」


 一拍。


「これからです」


 そして。


 黒い粒子となって崩れた。


 三人とも消えた。


 愛音だけが残された。


 理解できない。


 なぜ。


 なぜ残った。


 なぜ逃げなかった。


 なぜ自分を守った。


 翡翠が悲鳴を上げる。


 感情が暴れる。


 怒り。


 悲しみ。


 恐怖。


 喪失。


 全部が混ざる。


 徳川家康が愛音を見る。


 そして初めて。


 その名を名乗った。


《儂は徳川家康》


 天下人。


 鎖鬼。


 第三層の核。


《秩序こそ人を生かす》


《統制こそ国を守る》


《感情は乱れを生む》


《故に縛る》


 愛音の翡翠が脈打つ。


 梓は八鍵を握る。


 ここだ。


 修正の核心が見えた。


 だが。


 その瞬間。


 徳川家康の視線が梓へ向いた。


《ならば貴様からだ》


 神経拘束。


 完全支配。


 梓の身体が止まる。


 足が動かない。


 手が上がらない。


 祓詞が間に合わない。


 そして徳川家康が歩き出した。


 静かに。


 確実に。


 修正者を殺すために。

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