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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)――都市怪異を修正する祓屋の記録  作者: みえない糸
第3章 修正できなかった世界
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第46話 縛れないもの 第3章 動けないもの

 城下町は静まり返っていた。


 誰も叫ばない。


 誰も逃げない。


 誰も逆らわない。


 空気そのものが命令になっている。


 歩幅。


 呼吸。


 視線。


 心拍。


 全てが見えない規律へ縛られていた。


 梓は八鍵を握る。


 だが感覚が曖昧だった。


 触れている認識はある。


 だが本当に握れているのか分からない。


 転位侵界の代償。


 触覚の喪失。


 深部感覚の欠落。


 その影響は戦闘中でも容赦なく続いていた。


 目の前には第三層。


 核。


 鎖鬼。


 人間の中心を司る鬼。


 それが天守閣の奥にいる。


 愛音は膝をついていた。


 翡翠が脈打っている。


 呼吸も荒い。


 吸収した鬼たちが抑え込まれている。


 骨鬼。


 血鬼。


 肉鬼。


 影鬼。


 鏡鬼。


 虚鬼。


 全てが沈黙していた。


 愛音にとって最悪の相手だった。


「主様……」


 小さな声。


 返事はない。


 その時だった。


 軍配を持つ男が前へ出た。


 優雅な所作だった。


 戦場には似合わない。


 どこか雅で。


 どこか余裕がある。


「相変わらず窮屈な男よのぉ」


 男が笑い、軍配が振られた。


 風が吹く。


 瞬間。


 城下町が乱れた。


 町人の列が崩れる。


 武士たちの足並みが狂う。


 視線が揺れる。


 律令支配が乱されていた。


 秩序。


 規律。


 統制。


 それらへ直接干渉している。


 梓は理解した。


 この男は秩序を壊している。


 鎖鬼が最も嫌う方向から。


 天守閣の奥。


 空気が重くなる。


 そして。


 初めて声が落ちた。


《おのれ…今川義元…》


 低い声だった。


 感情が混じっている。


《…貴様は昔からそうだ》


 軍配の男は笑った。


「それでよく天下など取れたものよ」


 今川義元。


 その名が明かされた。


 城下町の秩序はさらに乱れる。


 その瞬間だった。


 黒い鎧の男が地面を踏み砕いた。


 爆発。


 城下町が揺れる。


 神経拘束など意に介さない。


 筋肉が裂ける。


 骨が軋む。


 それでも止まらない。


 一直線。


 正面突破。


 豪胆にして策士。


 戦国最強と恐れられた男そのものだった。


「まだ縮こまっておるかッ!」


 咆哮。


 城が震える。


「天下を取ったところで怯えたままとは情けないッ!」


 拳が振り下ろされた。


 轟音。


 天守の石垣が吹き飛ぶ。


 巨大な亀裂。


 黒い粒子が噴き上がる。


 さらにもう一撃。


 さらにもう一撃。


 躊躇がない。


 迷いがない。


 ただ前へ出る。


 その暴力は恐怖そのものだった。


 そして再び。


 天守閣の奥から声が響く。


《貴様…武田信玄か!》


 今度は僅かに低い。


「死してなお鬱陶しい男だ」


 鎧の男は笑った。


 豪快だった。


「ならば今一度、怯え、震えよ!」


 武田信玄。


 その名が落ちる。


 三方ヶ原。


 人生最大の敗北と恐怖。


 その記憶が空間を揺らしていた。


 梓は息を呑む。


 効いている。


 確実に。


 今までとは違う。


 鎖鬼は押されていた。


 そして最後に。


 刀を持つ男が前へ出た。


 静かだった。


 走らない。


 叫ばない。


 ただ歩く。


 真っ直ぐ。


 一直線。


 冷静だった。


 まるで盤面を読むように。


 戦場そのものを見ている。


「あなたは…」


 男が言う。


「天下が欲しかったのではない…」


 沈黙。


 空気が止まる。


「安心したかっただけだ…」


 一歩。


 また一歩。


「織田が怖かった」


「武田が怖かった」


「豊臣が怖かった」


「…そして裏切りが怖かった」


 刀が抜かれる。


 細く。


 鋭い。


「だから縛った」


「だから支配した」


「だから管理した」


 斬撃。


 黒い粒子が散る。


 目には見えない。


 だが確かな手応えがあった。


 男は止まらない。


「あなたは国を守ったのではない」


「自分を守り続けただけだ」


 その瞬間。


 天守閣の奥の空気が変わった。


《石田三成、茶坊主が口だけは達者よな》


 声だった。


 今までで一番冷たい。


 石田三成。


 最後の名が明かされる。


 今川義元。


 武田信玄。


 石田三成。


 《この天下人、徳川家康に手向かうか!》


 その三人が今。


 鎖鬼、徳川家康を追い詰めていた。


 義元が統制を崩す。


 信玄が力で突破する。


 三成が心を抉る。


 三方向からの攻撃だった。


 完璧だった。


 城下町が崩れ始める。


 秩序が乱れる。


 管理が破れる。


 統制が揺らぐ。


 愛音は見ていた。


 三人の背中を。


 命令されていない。


 それでも戦う。


 壊れながら。


 消えながら。


 前へ進む。


 理解できなかった。


 なぜ逃げない。


 なぜ残る。


 なぜそこまで出来る。


 胸が痛む。


 翡翠が脈打つ。


 知らない感情だった。


 その時だった。


 天守閣の奥で。


 長い沈黙が落ちた。


 義元を見る。


 信玄を見る。


 三成を見る。


 遠い昔を見るようだった。


 そして。


 静かな声が落ちた。


《そうか…》


 梓の背筋が冷えた。


 嫌な予感だった。


 本能が警鐘を鳴らしている。


 愛音の翡翠が悲鳴のように震える。


 義元の笑みが消える。


 信玄が構える。


 三成が刀を下げる。


 全員が理解した。


 ここまでは。


 まだ本気ではなかった。


 城下町全体が沈む。


 空が黒く染まる。


 律令支配が強まる。


 神経拘束が深くなる。


 世界そのものが締め付けられていく。


 そして。


 鎖鬼は静かに言った。


《そうか》


 もう一度。


 今度は低く。


 怒鳴りもしない。


 笑いもしない。


 ただ。


 静かな怒りだけが滲んでいた。


《だから……》


 一拍。


 黒い粒子が天守閣から溢れ出す。


 世界が軋む。


《お前達は》


 その声は。


 今までで一番静かだった。


《嫌いなのだ…》


 その瞬間。


 城下町全体が膝をついた。

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