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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)――都市怪異を修正する祓屋の記録  作者: みえない糸
第3章 修正できなかった世界
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間話 鬼というもの 第4章 残ったもの

 中森は葉巻を灰皿へ置いた。


 火はまだ残っている。


 赤い光だけが静かに揺れていた。


 地下室は静かだった。


 換気扇の音。


 機械の駆動音。


 そして雨。


 それだけ。


「……さて」


 中森が言う。


「今度はお前だ」


 水谷は無表情のまま立っている。


「俺ですか?」


「ああ」


 中森は笑った。


「最近おかしいだろ」


「自覚はありません」


「そういうところだよ」


 即答だった。


 水谷は黙る。


 中森は机へ肘を乗せる。


「質問だ」


「何でしょう」


「何で梓の嬢ちゃん助ける」


 水谷の表情は変わらない。


 だが答えるまで僅かに時間があった。


「仕事上の都合です」


「嘘だな」


 中森は即座に切る。


「前からだ」


「前から庇ってる」


「前から死なせない」


「前から前へ出る」


 一拍。


「何でだ?」


 水谷は少し考える。


 本当に考えている。


 答えを探しているようにも見えた。


「…分かりません」


 そしてそう言った。


 中森は葉巻を咥える。


 煙が揺れる。


「便利な言葉だな」


「事実です」


「だろうな」


 中森は笑う。


 嘘ではない。


 本当に分かっていない。


 だから厄介だった。


「嫌いじゃなかったか?」


 中森が聞く。


「何がです」


「修正」


 沈黙。


「…今も嫌いです」


「理由は」


「甘い」


 即答。


「残響は人を殺します」


「修正しても戻らないのなら…」


「即座に滅殺し、原因を絶ちます」


 水谷らしい答えだった。


 昔から変わらない。


 結衣も似たことを言っていた。


 中森は思い出す。


 あの日のことを。


 病室だった。


 消えかけた少女。


 身体は既に失われている。


 声だけが残っていた。


『修正なんて綺麗事』


 佐々木結衣はそう言った。


 淡々とした声だった。


 いつも通り。


 上司でも部下でもない。


 ただの協力者だった。


『……兄は戻らない』


 静かな声だった。


『家族も戻らない』


『だから私は斬る』


 中森は何も言えなかった。


 正しかったからだ。


 あの時の結衣は。


 確かに正しかった。


 少なくとも本人にとっては。


 そして。


 今の水谷も同じことを言う。


 だから気味が悪い。


 中森は煙を吐く。


「じゃあ何で助ける?」


 再び聞く。


 水谷は答えない。


 いや。


 答えられない。


「……分かりません」


 やがてそう言った。


「気付いたら動いています」


 中森は笑った。


 苦笑だった。


「重症だな」


「そうでしょうか」


「そうだよ」


 地下室が静かになる。


 水谷は本当に分かっていない。


 だから中森は何も言わない。


 言うべきではない。


 知ったところで混乱するだけだ。


 本人の中で整理されていないものを、外から無理やり説明しても意味がない。


 だから黙る。


 結衣のことは。


 あの日のことも。


 言わない。


 中森は目を閉じた。


 思い出す。


 天草四郎。


 二度目の灼滅。


 肉体どころか魂ごと燃え尽きる最終祓詞。


 本来なら何も残らないはずだった。


 だが残った。


 梓が手を伸ばした。


 結衣は消え切らなかった。


 死んだ。


 だが消えなかった。


 そしてもう一つ。


 残ったものがあった。


 水谷真。


 寄生体に壊された男。


 結衣に滅殺された男。


 本来なら終わっていたはずの肉体。


 空の器。


 だから中森は提案した。


 使うか、と。


 あの時の結衣は迷わなかった。


 そして。


『恩を返す』


 そう言った。


 梓への恩。


 復讐を果たせた恩。


 それだけだった。


 少なくとも本人はそう言った。


 だが中森は知っている。


 本当にそれだけなら。


 あの滅殺は失敗しない。


 結衣は失敗するような人間ではない。


 だから。


 迷ったのだ。


 ほんの一瞬。


 水谷を見て。


 自分を見た。


 兄を見た。


 家族を見た。


 そういうものが過った。


 だから斬り切れなかった。


 結果として肉体が残った。


 中森はそこまで理解している。


 だが口には出さない。


 出す必要もない。


 水谷は知らない。


 今も知らない。


 知らなくていい。


 少なくとも今は。


「……中森さん」


 水谷が言った。


「何だ?」


「俺がおかしいとして」


 一拍。


「どうすればいいんですか…」


 中森は笑った。


「何もしなくていい」


「そういうものですか」


「ああ」


 煙が揺れる。


「人間なんて大体そんなもんだ」


「理由なんか後から付いてくる」


「先に動く方が多い」


 水谷は納得していない顔だった。


 だが反論もしない。


「それに」


 中森は続ける。


「お前は元から人付き合い下手だからな」


「否定はしません」


「だろ」


 少しだけ笑う。


 そして。


 中森は内心だけで呟く。


 残るもんは残る。


 どれだけ消そうとしても。


 どれだけ切り離そうとしても。


 残る。


 未練。


 後悔。


 感情。


 執着。


 そういうものは残る。


 だから残響が生まれる。


 だから鬼が生まれる。


 だから人間は厄介だ。


 水谷なのか。


 別の何かなのか。


 そんなことは今はどうでもいい。


 重要なのは。


 残ったものが動き始めていることだった。


 そして。


 それは愛音も同じだった。


 中森は葉巻を見つめる。


 赤い火が小さく揺れた。


「最後はあいつだな」


 ぽつりと言う。


「愛音だ」


 その名前が出た瞬間。


 地下室の空気が少しだけ冷えた気がした。

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