間話 鬼というもの 第2章 鬼というもの
机へ広げられた資料は、どれも古かった。
コピー用紙もあれば、和紙に近い質感の紙もある。年代も形式も統一されていない。中には明治時代の記録を写したものまで混ざっていた。
共通しているのは一つだけだった。
全てに、人間の図が描かれている。
骨。
血管。
筋肉。
神経。
脳。
眼球。
皮膚。
内臓。
人体の構造図だった。
だが医療資料ではない。
どの図にも人名が添えられていた。
伊能忠敬。
杉田玄白。
宮本武蔵。
真刀徳次郎。
鳥山石燕。
松尾芭蕉。
他にも無数の名前が並んでいる。
水谷は資料へ目を落とした。
「偉人ですか」
「そう呼ばれてるな」
中森は葉巻を咥える。
「だが本質は違う」
煙が揺れる。
「鬼は偉人の残響じゃねぇ」
資料を指で叩く。
「人間の部品だ」
水谷は黙る。
中森は続ける。
「普通の残響は感情だ」
怒り。
悲しみ。
後悔。
執着。
そういうものが形になった存在。
「だが鬼は違う」
紙を一枚めくる。
そこには四十八の円が描かれていた。
「鬼は人間を構成する機能そのものに食い込んでる」
骨。
血。
肉。
皮。
夢。
影。
鏡。
無。
神経。
受容。
裁定。
中心。
他にも三十六。
人体のあらゆる機能。
あらゆる役割。
あらゆる構造。
それぞれに鬼が存在する。
「骨を抜けば立てない」
中森が言う。
「血を抜けば死ぬ」
「肉を失えば動けない」
「神経を壊せば命令が届かない」
一拍。
「つまり鬼ってのは、人間を人間にしてる部品そのものだ」
地下室が静かになる。
水谷は資料を見ていた。
気持ち悪かった。
人間を部品へ分解している。
祀社らしい発想だった。
人間ではない。
機能。
性能。
用途。
交換可能な部位。
そんな見方だった。
「四十八体全部が同じ価値じゃない」
中森は別の資料を取り出した。
そこには三つの階層が描かれている。
第一層。
第二層。
第三層。
「祀社が欲しがってるのは、この中の十二体だ」
水谷の視線が止まる。
「十二体」
「ああ」
中森は頷く。
「残り三十六は枝葉だ」
紙を叩く。
「重要なのは土台の方だ」
第一層。
器。
身体を構成する基盤。
第二層。
精神。
人格や認識を構成する基盤。
第三層。
核。
人間を人間たらしめる中心。
名称だけが並んでいる。
詳細は記されていない。
意図的に伏せられているようにも見えた。
「愛音はこれを吸収している」
中森が言った。
「第一層」
紙を指差す。
「器だ」
骨。
血。
肉。
皮。
それらを揃える。
「次に第二層」
夢。
影。
鏡。
虚。
「人格を作る」
水谷は静かに聞いていた。
中森は葉巻を灰皿へ置く。
「ここまでは分かる」
少しだけ眉を寄せる。
「問題はその先だ」
第三層。
核。
その文字だけが黒く塗り潰されている。
「ここから先は俺も全部知らん」
正直な声だった。
「何が起きるか」
「何になるか」
「完成形が何か」
「祀社が何を見てるのか」
首を振る。
「分からん…」
資料を閉じる。
「ただ一つだけ分かる」
地下室が静かになる。
「ろくでもねぇ」
吐き捨てる。
「それだけだ」
水谷は少し考える。
「愛音は分かっているんですか」
「理解してねぇだろうな」
中森は即答した。
「分かってるならもっと上手くやる」
一拍。
「今のあいつは犬みたいなもんだ」
「犬ですか」
「ああ」
笑う。
「褒められたい」
「役に立ちたい」
「必要とされたい」
それだけ。
「目的を理解して動いてるわけじゃねぇ」
中森は思い出す。
愛音の目。
主様。
主様。
主様。
そればかりだった。
執着。
依存。
忠誠。
どの言葉も正しい。
どの言葉も少し違う。
もっと原始的だった。
必要とされたい。
捨てられたくない。
それに近い。
「だから危ねぇ」
中森が言う。
「そこに感情が動き始めてる」
水谷は黙る。
「昔はもっと単純だったはずだ」
欲しい。
取る。
終わり。
それだけだった。
だが今は違う。
寄生体が死ぬ。
気にする。
主へ褒められる。
喜ぶ。
叱られる。
落ち込む。
感情が芽吹いている。
「…人間になってるんですか」
水谷が聞いた。
中森は少し考える。
「分からん…」
正直だった。
「人間になってるのか」
「壊れてるのか」
「その途中なのか」
誰にも分からない。
「だが鬼を取り込めば取り込むほど変わっていきやがる」
それだけは確かだった。
水谷は資料から視線を上げる。
「なら…」
一拍。
「祀社は成功しているのですか?」
中森は苦笑した。
「そこが気持ち悪いんだよ」
煙を吐く。
「失敗なら安心できる」
「だが違う」
「どちらか分からんが確実に進んでる」
地下の空気が重くなる。
愛音は鬼を吸収している。
祀社はそれを進めている。
寄生体は使い潰されていく。
それでも計画は止まらない。
むしろ進んでいる。
その事実が嫌だった。
「中森さん」
水谷が言う。
「何だ?」
「真名井は…」
そこで言葉が止まる。
珍しかった。
水谷が言い淀むこと自体。
「どうした」
「……何でもありません」
「嘘つけ!」
中森は笑う。
「嬢ちゃんのことだろ?」
水谷は答えない。
沈黙が答えだった。
中森は葉巻へ火を付け直す。
鬼の話は終わった。
だが本題はむしろここからだった。
真名井梓。
転位侵界。
削れ始めた祓屋。
そして。
昔、自分が口にした予言。
中森は煙を吐く。
灰色の煙がゆっくり天井へ昇る。
「嬢ちゃんの話をするか…」
低い声だった。
地下室の空気が少しだけ変わった。




