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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)――都市怪異を修正する祓屋の記録  作者: みえない糸
第3章 修正できなかった世界
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第43話 離さない手 第2章 掴まれたまま

 最初に潰れたのは、遊具だった。


 鉄製のジャングルジムが、見えない力で握り締められる。軋む音。金属が悲鳴を上げる。次の瞬間、外側から圧縮されたように歪み、中央から折れた。


 水谷は反射的に後ろへ飛ぶ。


 その直後、巨大な手の影が地面を叩いた。


 轟音。


 砂場が陥没する。


 掴鬼。


 加藤清正の残響。


 まだ完全に姿を現していない。だが、空間そのものへ干渉している。掴む。固定する。逃がさない。その執着だけで周囲を書き換えている。


《離すな》


 声が響く。


 低い。


 怒声ではない。


 懇願に近い。


《守れ》


《失うな》


 地面から、さらに手が伸びる。


 人間の腕ではない。


 黒い泥のような質感。だが形だけは異様に鮮明で、節くれ立った指が空間を掴むたび、周囲の景色が歪む。


 梓が札を走らせる。


「遮断・断界」


 青白い膜が展開する。


 だが。


 次の瞬間、膜ごと握り潰された。


 音が消える。


 術式の輪郭が、圧力で軋み、潰れ、砕ける。


 梓の呼吸が止まる。


「……っ」


 強い。


 純粋な力ではない。


 “掴んだものを離さない”という思想そのものが、術式へ干渉している。防御を防御として成立させない。掴んで固定し、そのまま圧壊する。


 水谷が前へ出る。


 八咫刃を抜く。


 黒い刃に、紫電が走る。


「阻害・断裂」


 低く祓詞を落とす。


 刃が振るわれる。


 紫電が巨大な手を断ち切る。だが、切断面がすぐに閉じる。泥のような肉が再び繋がり、何事もなかったように再生する。


 水谷の目が細くなる。


 再生ではない。


 掴んでいる。


 切断という結果そのものを固定していない。


 だから“切れたまま”にならない。


《離すな》


 声が近づく。


 石碑の奥。


 空気が盛り上がる。


 鎧姿の巨大な影が、ゆっくりと現れ始める。


 甲冑。


 黒い外殻。


 だが顔だけが曖昧だ。


 泣いているようにも見える。


 怒っているようにも見える。


 その両方だった。


《守れ》


《守り切れ》


《離せば、失う》


 言葉と同時に、公園全体が軋む。


 ブランコの鎖が勝手に絡まり合う。滑り台の手すりが内側へ曲がる。木々の枝が互いを締め付けるように捻れる。


 掴鬼は、周囲のすべてへ“拘束”を拡張している。


 梓が八鍵を構え直す。


 胸の灯火が熱い。


 だが、今は使えない。


 転位侵界を乱発すれば、何を失うか分からない。


 しかも今の梓は痛覚がない。


 自分がどこまで壊れているか、途中で判断できない。


 それでも前へ出る。


「……修正します」


 水谷が舌打ちする。


「またそれか」


「このまま滅殺しても、拘束が周囲へ残る可能性があります」


「残穢ごと回収する」


「人間を巻き込んだままです」


 水谷の視線が鋭くなる。


 言い返そうとした、その瞬間だった。


 公園の外から悲鳴が聞こえた。


 二人が振り向く。


 道路沿い。


 通行人同士が抱き合ったまま動けなくなっていた。


 男が女を掴んでいる。


 いや、違う。


 互いに掴み合っている。


 腕が離れない。


 指が食い込んでいる。


 泣いている。


「行かないで」


「置いてかないで」


 知らない者同士だった。


 だが関係ない。


 掴鬼は“喪失への恐怖”を感染させる。


 孤独。


 別離。


 失う不安。


 それを核にして、人間を互いへ縛りつける。


 さらに、別の場所でガラスが割れる音。


 マンションのベランダ。


 母親が幼い子供を抱き締めたまま柵を乗り越えようとしていた。


 高峰の無線が鳴る。


『東湾中央通りで複数の拘束事案発生! 応援を——』


 途中で声が潰れる。


 誰かが泣いている。


 無線の向こうで。


 梓の顔色が変わる。


「広がってる……」


 残響空間が拡大している。


 しかも速い。


 通常の残響は、核となる場所を中心に侵食する。だが掴鬼は違う。“繋がり”を媒介にして広がる。人間関係そのものが感染経路になる。


 家族。


 恋人。


 友人。


 上司と部下。


 親と子。


 失いたくない相手がいるほど、侵食される。


《離すな》


 加藤清正の影が、さらに巨大化する。


 空間を掴んでいる。


 公園そのものを握り潰そうとしている。


 水谷が再び踏み込む。


 紫電が走る。


「滅殺・断祈」


 黒い刃が影の腕を切り裂く。


 今度は深く入った。


 だが。


 次の瞬間、水谷の身体が止まる。


 巨大な手が、八咫刃を掴んでいた。


 刃を。


 直接。


 紫電が暴れる。


 だが離れない。


 掴んでいる。


 絶対に。


《守れ》


 圧力が走る。


 八咫刃が軋む。


 水谷の腕の骨が鳴る。


 普通なら激痛で動けない。


 だが水谷は構わず押し返す。


 その横で、梓が札を展開する。


「遮断・絶界!」


 空間全体へ防御が走る。


 だが。


 掴鬼の巨大な掌が、それを包み込む。


 握る。


 潰す。


 防御そのものが、圧縮される。


 梓の喉から息が漏れる。


「……っ」


 強すぎる。


 しかも、加藤清正は戦いながら侵食を広げている。


 止まらない。


 外では今も誰かが誰かを掴み、締め付け、潰し続けている。


 高峰の無線から怒鳴り声が聞こえる。


『応援要請! 一般人同士が——』


 絶叫。


 骨の折れる音。


 通信が途切れる。


 梓の胸の灯火が、強く脈打った。


 熱い。


 転位侵界が反応している。


 だが、まだ足りない。


 極限ではない。


 世界側は開かない。


 水谷が舌打ちする。


「最悪だな」


 八咫刃を握ったまま、低く吐き捨てる。


 その瞬間。


 巨大な影の掌が、梓へ向いた。


《離すな》


 声が落ちる。


《守れ》


 次の瞬間、空間そのものが梓を掴んだ。

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