表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)――都市怪異を修正する祓屋の記録  作者: みえない糸
第3章 修正できなかった世界
217/221

第39話 通さないもの 第5章 残された熱

 白い天井だった。


 均一な光が、揺れずに降りている。影は薄く、奥行きは正確に測れる。歪みはない。意味はそのまま届く。現実だった。


 梓は、目を開けたまま動けなかった。


 呼吸はできる。胸は上下している。だが、それだけだった。指先が動かない。腕も、足も、首も、意識を向けても反応しない。力を入れる、という行為が成立しない。


 感覚はある。


 だが遠い。


 身体が、自分から切り離されたように感じる。


 時間の流れも曖昧だった。


 目を閉じていたのか、開けていたのか、その境目すら分からない。ただ、気がつけば同じ天井を見ている。


 横で機械が鳴っている。


 一定のリズム。


 それだけが、現実に繋がっている証だった。


「……起きているな」


 声がした。


 扉の音は聞こえなかった。足音もない。だが、そこにいる。


 中森だった。


 いつもと変わらない姿。整えられた服。崩れない表情。病室という場所に、まるで馴染んでいない。


 ベッドの脇に立ち、梓を見下ろす。


「意識はある。だが、動かない」


 淡々と確認する。


「想定通りだ」


 梓は声を出そうとした。


 だが、喉が動かない。


 空気は通る。だが、言葉にならない。


 中森はそれを見て、小さく頷く。


「無理に話すな。今の状態では、声も結果に至らない可能性がある」


 椅子に腰を下ろす。


 しばらく、何も言わずに梓を見ていた。


「……借りは返したな」


 唐突に言う。


 梓の瞳が、わずかに揺れる。


「原澤の件だ」


 短い言葉。


 それだけで、意味は十分だった。


 行方不明。


 戻らない可能性。


 あの時、何もできなかった事実。


 その重さ。


「今回は、お前が踏み込んだ」


 中森は静かに言う。


「止めた。完全ではないが、あの場は潰した」


 わずかに間を置く。


「それでいい」


 評価ではない。


 確認だった。


 梓の胸の奥が、わずかに熱を帯びる。


 あの時の熱。


 消えていない。


 まだ、残っている。


「……見たな」


 中森の声が低くなる。


「触れたとも言う」


 視線が鋭くなる。


「お前がやったことは、遮断でも防御でもない」


 指先で空気をなぞる。


「処理の主体が違う」


 わずかに笑う。


「世界側だ」


 梓は、その言葉を理解できない。


 だが、否定もできない。


「“転位侵界”」


 その言葉が落ちる。


 梓は知らない。


 だが、その音に、身体の奥が反応する。


 あの時と同じ感覚。


 言葉より先に、現象がある。


「本来、使えるものではない」


 中森は断言する。


「条件がある。単に追い詰められただけでは足りない」


 視線が、わずかに細くなる。


「全滅の直前だ。場そのものが崩壊しかけている状態。誰一人助からないと確定した時にしか、あれは開かない」


 静かな声だった。


「だから、二度目だ」


 梓の瞳が、微かに揺れる。


「偶然ではない。お前は二回、そこに触れている」


 中森は続ける。


「普通は一度で終わる。二度目は来ない。来る前に壊れる」


 言葉が、少しだけ重くなる。


「だが、お前は残った」


 そこで、初めてわずかな感情が混じる。


「……使いこなす可能性がある」


 それは期待ではない。


 警戒だった。


「だが、それが何を意味するか、分かっているか?」


 梓は答えられない。


 中森は、ポケットから小さなケースを取り出す。


 中に、透明なアンプルが入っている。


 光にかざすと、ゆっくりと揺れる。


「これで抑えられる」


 ベッドの脇に置く。


「完全には戻らない。だが、最低限の動作は可能になる」


 そこで言葉を切る。


 視線を梓へ戻す。


「代償は決まっていない」


 静かに言う。


「何が失われるかは、その時次第だ」


 間が空く。


「記憶かもしれない。感情かもしれない。身体の一部かもしれない」


 さらに短く続ける。


「命のこともある」


 梓の胸が、わずかに上下する。


 その事実だけが、現実として落ちる。


「だから、使うな」


 即答だった。


「少なくとも、自分で選んで使うものではない」


 視線が鋭くなる。


「次も同じ条件が揃えば、勝手に開く。その時に何が残るかは保証しない」


 椅子から立ち上がる。


「……だが」


 わずかに間が空く。


「今回は、生き残った」


 それだけを残す。


 扉へ向かう。


 振り返らない。


「薬代は後で請求する。利息もつける」


 いつもの調子だった。


 そのまま、出ていく。


 静寂が戻る。


 機械音だけが続く。


 梓は、天井を見たまま動けない。


 だが、胸の奥には残っている。


 あの熱が。


 小さく。


 確かに。


 消えていない。


 それが何かは分からない。


 だが——


 もう、知らなかった頃には戻れない。


 それだけが、はっきりしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ