第39話 通さないもの 第3章 通じない
林の中は、すでに外界から切り離されていた。風はあるはずなのに葉は揺れず、音は発せられているのに遠くへ逃げない。人の声も、無線のざわめきも、どこかで押し返され、場の内側に溜まり続けている。見えない壁があるのではない。外へ向かうあらゆるものが、途中で意味を失う。結果として、何も通らない。
お堂の前に、それは立っていた。
鎧のような輪郭を持つが、金属ではない。乾いた皮膚を何層にも重ねたような、硬く滑らかな外殻。触れれば弾かれると直感させる質感。顔の位置は暗く沈み、目だけが静かにこちらを見ている。怒りも憎しみもない。ただ、外から来るものを拒むという意思だけが、そこに在る。
《通さぬ》
声が落ちる。小さい。だが、その言葉が林全体に行き渡る。拒絶そのものが、空間の性質になっている。
救急隊は処置を続けているが、完全には届かない。酸素も、薬剤も、身体の奥まで“通りきらない”。治療が成立していないのではなく、成立の途中で遮断される。結果だけが削られる。苦しむ学生の呼吸は浅く、筋肉は強張り、回復に至らない。
その時、境界が裂けた。
音ではない。だが、確かに裂けたと分かる歪みが、林の端に走る。閉じられていたはずの空間が、無理やり押し広げられる。そこから、少女が滑り込む。
愛音だった。
着地は軽い。周囲を見渡し、中心の影へ視線を定める。迷いはない。状況を理解するのに時間はかからない。
「……それ」
小さく呟く。
「邪魔」
一歩踏み出す。境界の抵抗を、意に介さず越える。そのまま大鎌を振る。軌道は正確だった。急所へ、迷いなく。
——届かない。
触れている。だが、意味を持たない。切断という結果が成立しない。衝撃も伝わらない。刃が存在していないかのように、干渉だけが消える。
愛音の目が細くなる。
「……なにこれ」
もう一度振る。角度を変え、速度を上げる。連続して振り下ろす。だが結果は同じだった。すべてが弾かれるのではない。最初から“成立していない”。
《通さぬ》
同じ言葉が返る。
愛音は舌打ちした。
「うるさい」
苛立ちを隠さない。さらに踏み込む。距離を詰め、力任せに叩き込む。空間ごと削るような一撃。それでも変わらない。通らない。壊れない。削れない。
初めて、攻撃が意味を持たない相手。
その事実が、逆に愛音の動きを荒くする。
「……壊れろよ」
低く言いながら、さらに踏み込む。
その隙だった。
背後の空間が、わずかに歪む。
音はない。気配も薄い。だが、そこに“いる”。
水谷だった。
いつの間にか侵入していた。境界の歪みを最小限に抑え、痕跡を残さず入り込んでいる。視線はすでに定まっていた。狙いは一点。愛音が引きつけている中心。
クナイが放たれる。
無駄がない。最短距離。干渉の隙間を縫うように、精密に。
——だが、届かない。
刃先が触れた瞬間、軌道が逸れる。弾かれたのではない。接触という事象が成立する前に、結果だけが排除される。
水谷の眉がわずかに動く。
「……なるほど」
短く吐く。
理解した。
防御ではない。拒絶だ。外からの干渉を受け付けない思想そのもの。
もう一度、踏み込む。
今度は連続。速度を上げ、回数で押す。だが、やはり同じ。すべてが“通らない”。
その間にも、愛音は攻撃を続けている。
「なんで通らないの」
苛立ちが露骨に混じる。大鎌を振るたびに、空気が裂ける。だが中心には届かない。
《義を壊した者は、通さぬ》
静かな声。
その瞬間、空気が締まる。
愛音の足が止まる。
動きが、固定される。
踏み出した姿勢のまま。
腕を振り下ろした角度のまま。
完全に。
一瞬ではない。
継続する固定。
行動が、遮断される。
愛音の目が、ゆっくりと細くなる。
苛立ちが、怒りに変わる直前。
「……は?」
声は小さい。
だが、明確だった。
動けない。
自分の意思とは無関係に、身体が止められている。
その事実が、理解される。
水谷が距離を取る。
無理に攻めない。
この相手は、突破できない。
だが同時に。
完全でもない。
通さない。
それだけの構造。
なら——
崩し方はある。
思考が動きかけた、その時。
影が、ゆっくりとこちらを向いた。
評価している。
侵入者を。
排除対象として。
《歪みは、通さぬ》
その言葉が落ちる。
空間がさらに締まる。
愛音は動けないまま、笑った。
怒りを含んだ、歪な笑みだった。
だが、その笑みすら。
まだ、通らない。
林の中で、誰も優位に立てないまま。
ただ、拒絶だけが成立していた。




