第39話 通さないもの 第2章 内と外
若者たちが最初に理解したのは、自分たちが閉じ込められているという事実だった。だが、その次に理解したのは、それよりもっと厄介なことだった。閉じ込められているのは自分たちだけではない、ということだ。
お堂を壊した五人のうち、手首に傷を負った女は、地面にしゃがみ込んだまま動けなくなっていた。熱い、と何度も言う。だが、その声は次第に細くなり、代わりに呼吸が浅く速くなっていく。傷口そのものは小さい。枝で擦っただけの浅い裂け目だ。普通なら消毒して終わる程度のものだった。だが、その周囲の赤みは異様な速さで広がり、やがて腕全体が硬直していった。
「救急、呼んだんだよな」
誰かが確認するように言う。
「ああ、繋がった。でも場所が……」
通報した男が言葉を濁す。林の奥、正確な位置が説明できているか自信がなかったのだろう。だが、それでも来るはずだと、全員がその一点にすがっていた。
お堂の前に立つ影は、微動だにしていなかった。ただそこにある。見ているというより、そこから出ることを許していない、という在り方だった。
《通さぬ》
再び、声が落ちる。
誰も返せない。返したところで意味がないと、本能が理解している。
その間にも、症状は進行していた。女の呼吸がさらに浅くなる。喉が閉じ、空気が通らない。胸が上下するたびに、苦しそうな音が漏れる。もう一人の女が泣きながら名前を呼ぶが、反応は薄い。意識が遠のいているのが分かる。
ようやくサイレンが近づいてきたのは、その数分後だった。木々の向こうで赤い光が揺れる。人の気配が増える。それだけで、わずかに現実へ引き戻される。
だが、状況は簡単には戻らなかった。
救急隊と地元警察が現場に到着し、林の中へ踏み込んでくる。担架、医療バッグ、無線のやり取り。現実の動きが一気に流れ込む。若者たちは一斉に声を上げる。助かった、と言いかけて、言葉が詰まる。
隊員の一人が、倒れている女に近づいた。症状を確認し、仲間に指示を出す。
「硬直が強い、呼吸確保急げ」
手際は良い。だが、その動きが途中で止まる。
隊員の足が、ぴたりと止まった。
「……?」
自分でも理解できていない顔だった。もう一歩踏み出そうとして、身体が進まない。見えない何かに押し返されるように、胸の前で動きが止まる。手は伸びる。だが、肝心の一線を越えられない。
「どうした」
別の隊員が声をかける。
「いや、これ……」
言葉にできない違和感が、現場に広がる。
その時だった。
林の奥から、低い声が響く。
《外からの歪みは、通さぬ》
全員が振り向く。
壊れたお堂の前に、それは立っていた。鎧のような輪郭。だが材質は分からない。硬いはずなのに、どこか滑らかで、触れれば拒絶されると直感できる質感。顔の位置は暗く沈み、目だけが異様に静かだった。
地元警察の一人が、半歩前に出る。
「誰だ、そこにいるのは」
当然の問いだった。だが、その問いは届かない。
《不義なる者は、通さぬ》
それだけが返る。
そして、隊員の一人が膝をついた。さっきまで問題なかった男が、足首を押さえている。靴の中で何かを踏んだのだろう。小さな切り傷。誰も気に留めない程度のもの。
だが、その傷が、異様な速さで広がる。
「おい……」
誰かが声を漏らす。
筋肉が強張る。足が震える。呼吸が乱れる。
現場の空気が一変する。
感染。
その言葉が頭をよぎる。だが説明がつかない。経路がない。だが現実として広がっている。
隊員は即座に判断した。
「撤退! 一度引くぞ!」
だが、その判断すら、通らない。
来た道へ戻ろうとした瞬間、同じ拒絶が立ちはだかる。入れたはずの場所から出られない。林の境界が閉じている。
内と外が、分断されている。
その構造を理解した時、誰もが言葉を失った。
逃げ場がない。
その中で、傷を負った女の呼吸が途切れる。
「酸素!」
処置が行われる。だが、それも完全ではない。身体が応じない。筋肉が拒絶する。治療すら“通さない”。
その時、現場の無線が鳴った。
「本部より連絡、当該事案は通常感染症とは異なる可能性あり。専門対応を要請済み——」
言葉が途切れる。
その“専門対応”が何を指すのか、ここにいる誰もが知らない。
だが、ひとつだけ確かなことがあった。
これは、通常の手段ではどうにもならない。
同じ頃、東湾。
高峰修一の元へ、その報告は届いていた。
端末に映るのは、断片的な映像と音声。現場から送られてきた不鮮明な記録。林、壊れたお堂、動けなくなる隊員、そして聞き取れない声。
だが、それで十分だった。
理解するには。
高峰は、無言で画面を見ていた。
そして、短く言う。
「……残響だな」
隣にいた同僚が顔を上げる。
「管轄外ですよ」
「分かってる」
即答だった。
だが、その目はすでに別の場所を見ている。
通常の案件ではない。
警察の枠に収まる話ではない。
なら、動くべき相手は一人しかいない。
高峰は携帯を取り出した。
コール音が鳴る。
短い。
『……はい』
梓の声だった。
「新潟で残響が発生した」
要点だけを伝える。
「侵入拒否型。外に出られない。内部で感染が進行してる」
わずかな沈黙。
『……障壁ですね』
断定だった。
「来られるか」
『向かいます』
今度は迷いがなかった。
通話が切れる。
高峰は端末の画面をもう一度見た。
林の奥に立つ影。
何も通さない存在。
その在り方は、あまりにも単純で、だからこそ厄介だった。
そして、同時に。
別の場所でも、同じ情報が届いていた。
中森が、静かに笑う。
「義か」
興味深そうに呟く。
「青いな…」
灰を落とす。
「壊されるのも、分かる気がする」
その視線は、すでに次の動きを決めていた。
祀社。
そして——
愛音。
同じ場所へ向かうものが、二つになる。
林の中で、誰もそれを知らないまま。
ただ、通らない世界に閉じ込められている。




