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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)――都市怪異を修正する祓屋の記録  作者: みえない糸
第3章 修正できなかった世界
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第39話 通さないもの 第2章 内と外

 若者たちが最初に理解したのは、自分たちが閉じ込められているという事実だった。だが、その次に理解したのは、それよりもっと厄介なことだった。閉じ込められているのは自分たちだけではない、ということだ。


 お堂を壊した五人のうち、手首に傷を負った女は、地面にしゃがみ込んだまま動けなくなっていた。熱い、と何度も言う。だが、その声は次第に細くなり、代わりに呼吸が浅く速くなっていく。傷口そのものは小さい。枝で擦っただけの浅い裂け目だ。普通なら消毒して終わる程度のものだった。だが、その周囲の赤みは異様な速さで広がり、やがて腕全体が硬直していった。


「救急、呼んだんだよな」


 誰かが確認するように言う。


「ああ、繋がった。でも場所が……」


 通報した男が言葉を濁す。林の奥、正確な位置が説明できているか自信がなかったのだろう。だが、それでも来るはずだと、全員がその一点にすがっていた。


 お堂の前に立つ影は、微動だにしていなかった。ただそこにある。見ているというより、そこから出ることを許していない、という在り方だった。


《通さぬ》


 再び、声が落ちる。


 誰も返せない。返したところで意味がないと、本能が理解している。


 その間にも、症状は進行していた。女の呼吸がさらに浅くなる。喉が閉じ、空気が通らない。胸が上下するたびに、苦しそうな音が漏れる。もう一人の女が泣きながら名前を呼ぶが、反応は薄い。意識が遠のいているのが分かる。


 ようやくサイレンが近づいてきたのは、その数分後だった。木々の向こうで赤い光が揺れる。人の気配が増える。それだけで、わずかに現実へ引き戻される。


 だが、状況は簡単には戻らなかった。


 救急隊と地元警察が現場に到着し、林の中へ踏み込んでくる。担架、医療バッグ、無線のやり取り。現実の動きが一気に流れ込む。若者たちは一斉に声を上げる。助かった、と言いかけて、言葉が詰まる。


 隊員の一人が、倒れている女に近づいた。症状を確認し、仲間に指示を出す。


「硬直が強い、呼吸確保急げ」


 手際は良い。だが、その動きが途中で止まる。


 隊員の足が、ぴたりと止まった。


「……?」


 自分でも理解できていない顔だった。もう一歩踏み出そうとして、身体が進まない。見えない何かに押し返されるように、胸の前で動きが止まる。手は伸びる。だが、肝心の一線を越えられない。


「どうした」


 別の隊員が声をかける。


「いや、これ……」


 言葉にできない違和感が、現場に広がる。


 その時だった。


 林の奥から、低い声が響く。


《外からの歪みは、通さぬ》


 全員が振り向く。


 壊れたお堂の前に、それは立っていた。鎧のような輪郭。だが材質は分からない。硬いはずなのに、どこか滑らかで、触れれば拒絶されると直感できる質感。顔の位置は暗く沈み、目だけが異様に静かだった。


 地元警察の一人が、半歩前に出る。


「誰だ、そこにいるのは」


 当然の問いだった。だが、その問いは届かない。


《不義なる者は、通さぬ》


 それだけが返る。


 そして、隊員の一人が膝をついた。さっきまで問題なかった男が、足首を押さえている。靴の中で何かを踏んだのだろう。小さな切り傷。誰も気に留めない程度のもの。


 だが、その傷が、異様な速さで広がる。


「おい……」


 誰かが声を漏らす。


 筋肉が強張る。足が震える。呼吸が乱れる。


 現場の空気が一変する。


 感染。


 その言葉が頭をよぎる。だが説明がつかない。経路がない。だが現実として広がっている。


 隊員は即座に判断した。


「撤退! 一度引くぞ!」


 だが、その判断すら、通らない。


 来た道へ戻ろうとした瞬間、同じ拒絶が立ちはだかる。入れたはずの場所から出られない。林の境界が閉じている。


 内と外が、分断されている。


 その構造を理解した時、誰もが言葉を失った。


 逃げ場がない。


 その中で、傷を負った女の呼吸が途切れる。


「酸素!」


 処置が行われる。だが、それも完全ではない。身体が応じない。筋肉が拒絶する。治療すら“通さない”。


 その時、現場の無線が鳴った。


「本部より連絡、当該事案は通常感染症とは異なる可能性あり。専門対応を要請済み——」


 言葉が途切れる。


 その“専門対応”が何を指すのか、ここにいる誰もが知らない。


 だが、ひとつだけ確かなことがあった。


 これは、通常の手段ではどうにもならない。


 同じ頃、東湾。


 高峰修一の元へ、その報告は届いていた。


 端末に映るのは、断片的な映像と音声。現場から送られてきた不鮮明な記録。林、壊れたお堂、動けなくなる隊員、そして聞き取れない声。


 だが、それで十分だった。


 理解するには。


 高峰は、無言で画面を見ていた。


 そして、短く言う。


「……残響だな」


 隣にいた同僚が顔を上げる。


「管轄外ですよ」


「分かってる」


 即答だった。


 だが、その目はすでに別の場所を見ている。


 通常の案件ではない。


 警察の枠に収まる話ではない。


 なら、動くべき相手は一人しかいない。


 高峰は携帯を取り出した。


 コール音が鳴る。


 短い。


『……はい』


 梓の声だった。


「新潟で残響が発生した」


 要点だけを伝える。


「侵入拒否型。外に出られない。内部で感染が進行してる」


 わずかな沈黙。


『……障壁ですね』


 断定だった。


「来られるか」


『向かいます』


 今度は迷いがなかった。


 通話が切れる。


 高峰は端末の画面をもう一度見た。


 林の奥に立つ影。


 何も通さない存在。


 その在り方は、あまりにも単純で、だからこそ厄介だった。


 そして、同時に。


 別の場所でも、同じ情報が届いていた。


 中森が、静かに笑う。


「義か」


 興味深そうに呟く。


「青いな…」


 灰を落とす。


「壊されるのも、分かる気がする」


 その視線は、すでに次の動きを決めていた。


 祀社。


 そして——


 愛音。


 同じ場所へ向かうものが、二つになる。


 林の中で、誰もそれを知らないまま。


 ただ、通らない世界に閉じ込められている。

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