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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)――都市怪異を修正する祓屋の記録  作者: みえない糸
第3章 修正できなかった世界
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第37話 誤差 第3章 測られる側

 規制線を越えた瞬間、高峰は足の裏に違和感を覚えた。踏みしめたはずの感触が、あまりにも正確すぎる。重心の揺れがない。普段なら無意識に行われる微細な調整が一切存在せず、歩幅も角度も、最初から決められていたかのようにぴたりと収まる。歩いているのに、どこかで「配置されている」感覚が消えない。息を吸うと、その違和感はさらに強くなる。空気の流れに偏りがない。風があるはずなのに、どこにも揺らぎがない。音の反響も、距離の感覚も、すべてが均一に整えられている。測られている。そうとしか思えなかった。


 背後で足音が一つ増える。若い刑事がついてきている。顔は強張っているが、目だけは前を見ている。「戻れ」と低く言うと、「分かってます。でも現場ですから」と返ってきた。止まる気はない。その声に混じる意地を見て、高峰はそれ以上言わなかった。ただ、「見えているものを信用するな。触るな。勝手に動くな」とだけ告げる。返事はあったが、軽い。理解しているとは思えなかった。


 路地の奥に進むと、最初の被害者の男の子が見える。片足を出したまま、完全に固定されている。目は乾き、涙が止まったまま固まっている。生きている。呼吸はある。だが、それだけだ。時間だけが進んでいる。その事実が、じわじわと現実を侵食する。視線の先に、線があることに気づく。白い粉のようなものが、地面に細かく張り巡らされている。直線、角度、距離、どれも異様な精度で刻まれている。最初はただの汚れかと思った。だが違う。これは意図して引かれている。街そのものが測られている。


 その中心に、それは立っていた。痩せた老人の輪郭。和装。だが身体の半分は白く乾いた骨のように露出し、もう半分は影に沈んでいる。背には歪な器具が背負われ、手には細長い測定棒が握られている。人の形をしているのに、人ではない。見た瞬間に分かる異質さだった。「……骨の鬼か」と無意識に呟くと、影がわずかに反応する。《誤差は許されない》静かな声だった。《位置は定義される》その言葉が空気に落ちた瞬間、若い刑事が息を呑む。「誰だ……」問いかける声は震えていた。影がゆっくりと向き直る。《我は測る者》わずかな間。《伊能忠敬》名が告げられる。


 その直後、刑事が一歩踏み出した。止める間もなかった。踏み出した姿勢のまま、完全に固定される。「おい!」声をかけるが、返事はない。目だけが動く。恐怖が張り付いている。《そこは既に測定済みだ》《動くな》空気が締まる。背後で叫び声が上がる。警官が複数、なだれ込んでくる。「入るな!」間に合わない。一人目が触れた瞬間に固定される。二人目が振り向いた姿勢で止まる。三人目が走りかけたまま止まる。連鎖だった。動作の途中で、全員が止まる。


 一人がバランスを崩す。膝が折れる。だが折れたまま止まる。筋肉が裂ける音がした。それでも固定は解けない。壊れた状態で保存される。声が出ない。叫べない。ただ壊れていく。これは拘束ではない。標本だ。生きたまま、状態だけが固定される。《正確だ》《狂いがない》伊能忠敬が呟く。その背後に影が並んでいる。固定された人間と同じ姿勢の影。歩こうとした者、逃げようとした者、助けを求めた者。すべてが整列している。結果としての人間。


 高峰は札を抜いた。一枚目を叩きつける。空間が歪む。見えない線がわずかにズレる。固定された刑事の指が、ほんのわずかに動く。だが、それだけだ。身体は動かない。《修正か》伊能忠敬が興味を示す。《だが、誤差は排除される》次の瞬間、見えない線が高峰の身体をなぞる。頭、肩、腰、膝、足先。すべての位置が確定される。動けば終わる。呼吸が浅くなる。だが止まれば全員死ぬ。


 二枚目を抜く。叩きつける。空間の干渉が鈍る。固定された警官の目が動く。喉が震える。「……たす……」声にならない。だが身体は動かない。伊能忠敬が一歩踏み出す。距離が消える。気づいた時には、すぐ目の前にいる。《精度が落ちている》《だが問題ない》測定棒が高峰へ向く。《位置を確定する》線が収束する。逃げ場が消える。全方向から座標が締め付ける。高峰の足が止まりかける。膝が固まる。肩が動かない。視界が固定される。瞬きが遅れる。その間に乾く。涙が浮かび、止まる。


 自分も、あちら側に入る。


 理解した瞬間、全身が冷え切る。固定された刑事が必死に目を動かし、こちらを見ている。助けを求めている。だが届かない。その横で、首の折れた警官がまだ呼吸している。壊れたまま、生きている。《終わりだ》伊能忠敬の声が落ちる。測定棒が、ゆっくりと振り上がる。


 高峰の身体が、完全に止まる寸前だった。

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