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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)――都市怪異を修正する祓屋の記録  作者: みえない糸
第3章 修正できなかった世界
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第36話 反魂 第5章 断絶

 空間は静まり返っていた。先ほどまで満ちていた異様な密度は跡形もなく消え、影も歪みも、あらゆる“繋がり”が断ち切られている。ただの部屋がそこにあるだけだった。だが、“途中で壊された”という感覚だけが確かに残っている。見えないのに、消えていない。終わったはずなのに、終わっていない。そんな曖昧な違和感が、空気に残留していた。


 梓はその中心に立っていた。しばらく動かず、ただその場を見ていたが、やがてゆっくりと振り返る。視線の先には水谷がいる。何も言わず、ただそこに立っている。呼吸は乱れていない。表情も変わらない。やるべきことをやった、それだけの顔だった。


「……どうしてですか」


 梓の声は低く、抑えられていたが、確かに怒りを含んでいた。


「今、送れました…終わらせることができました」


 言葉を選んでいる。だが、その奥にある感情は隠しきれていない。水谷は答えない。ただ視線を向けるだけだ。


「なぜ、斬ったんですか!」


 短い問いだった。余計な言葉はない。それでも十分に重い。


 水谷は一瞬だけ視線を外し、足元を見る。そこには何もない。だが、確かに残っている。残穢は発生している。ただし完全ではない。削られている。中途半端に、歪な形で残っている。


「……仕事だ」


 短く、それだけ答える。


 梓の眉がわずかに動く。


「仕事、ですか。今のが?」


 問い返す声に、苛立ちが混じる。水谷は肯定もしないし否定もしない。ただ、事実だけを言う。


「滅殺した。対象は消えた」


 それで終わりだと言うように。


 梓の中で何かが切れる。はっきりと、音もなく。


「違います。消えていません。壊しただけです」


 一歩、距離を詰める。水谷は動かない。視線も逸らさない。ただ受ける。


「……分かってる」


 小さく言う。その言葉は事実だ。理解している。だが、それでも止めなかった。


「なぜですか。応じていました。納得していました。終わる準備ができていました。それを、なぜ壊すんですか」


 言葉が重なる。抑えているが、確実に怒りは強くなっている。


 水谷はゆっくりと顔を上げる。その目は揺れていない。


「……残るからだ」


 短い一言。


 梓の動きが止まる。


「修正は残らない…滅殺は残る。必要なんだ」


 淡々とした説明だった。感情はない。ただの判断だ。


「……それでいいんですか」

 梓が問う。静かに。


「途中でも、壊しても、ちゃんと終わらなくても」


「終わってる」

 水谷は即答する。


「対象は消えた。それで終わりだ」


 迷いはない。その言葉には、揺らぎが一切ない。


 梓は理解する。この男は違う。見ているものが違う。終わりの意味が違う。同じ“終わらせる”でも、指しているものがまったく別だ。


「違います。それは終わりではありません。途中で断ち切っているだけです」


 言葉ははっきりしている。譲らない意思がある。


 水谷は一歩踏み出す。


「同じだ。結果は変わらない。残るかどうかの違いだ」


 理屈としては成立している。だが、その理屈は梓には受け入れられない。


 数秒、沈黙が落ちる。視線だけが交差する。どちらも動かない。だが、その間にあるものは決定的だった。


「……分かりました」


 梓が小さく言う。その声には諦めが含まれている。納得ではない。理解でもない。ただ、線を引いただけだ。


「もう構いません。次からは、邪魔しないでください」


 それだけ言うと、背を向ける。振り返らない。そのまま歩き出す。足音が静かに響き、やがて消える。


 空間に静寂が戻る。


 水谷だけが残る。


 しばらく動かない。視線は落ちたまま。やがて携帯を取り出し、発信する。


『どうだ』


 中森の声。


「……水谷です。終わりました」


『回収は?』


「……できています」


『量は』


「……不完全です」


 間を置かず答える。


『……梓がいたな』


「はい」


『お前がやったか』


「はい」


『……そうか』


 短く笑う気配。軽い調子だが、その奥は冷たい。


『修正の最中を斬ったわけだ』


「はい」


『いい判断だ』


 即答だった。


『あいつは綺麗に終わらせる。だが、それじゃ足りねえ。こっちは残す必要がある。だから、お前でいい。そのままやれ』


「……了解です」


 通話が切れる。


 水谷はその場に立ったまま、しばらく動かない。視線を落とす。何もない床。だが確かに残っている。それでいい。そう思う。そう判断する。


 その時、視界がわずかに歪む。


 何もないはずの場所に、何かが重なる。人の形に近い輪郭。だがはっきりしない。認識しようとすると、形が崩れる。見えない。だが、いると錯覚する。


 胸の奥が軋む。理由は分からない。記憶もない。だが、体が拒絶する。強く、明確に。


 一瞬で消える。


 何もなかったかのように。


 水谷は動かない。何も言わない。ただ、その違和感を押し込めるように息を整える。


 そして、歩き出す。


 足音だけが静かに響き、やがてその場から消えた。

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