第36話 反魂 第4章 襲撃
圧が、空間そのものを押し潰していた。
影が重なり合い、幾層にも折り重なった“人の形”が梓へと押し寄せる。距離も奥行きも意味を失い、ただ密度だけが増していく。
梓はその中心で、受け続けていた。避ける。流す。祓う。だが、終わらない。消しても補われ、崩しても再構成される。
この術は、単なる生成ではない。維持されている。
ならば、核がある。供給源がある。
梓は視線を上げた。
そこにいる。半分が現実、半分が影に溶けた男。その背後に、無数の“誰か”。すべてが、繋がれていた。
《……まだ立つか》
低い声には、苛立ちが混じっていた。
《壊れるべきものが、壊れぬ》
梓は呼吸を整えながら言う。
「壊れるものじゃない」
一歩、踏み出す。影がぶつかる。衝撃。だが、止まらない。
「壊しているのは、あなたの方だ」
その言葉に、影が揺れた。ほんのわずかに。だが、確実に。
《……壊しているだと?》
声が低くなる。
《戯言を申すな!》
圧が増す。
梓は、それを正面から受け止める。
「成立していません」
はっきりと言う。否定ではない。断言だった。
その瞬間、影が一斉に動く。
《黙れ、痴れ者が!!》
怒号とともに圧が跳ね上がる。四方から叩き潰すように迫る。梓は受ける。押される。床に膝が触れる。
それでも、視線は逸らさない。
「……あなたは」
圧の中で、言葉を続ける。
「これを“戻した”と思っている」
一拍置く。
「でも、これは繋ぎ止めているだけです」
影の動きが、わずかに鈍る。だが、すぐに戻る。
《同じだ》
即座に返る。
《繋がっていれば、それでよい》
迷いはない。だが、強すぎる。その強さ自体が、歪みでもあった。
梓はもう一歩、踏み込む。
「違います」
もう一度、言う。
「繋がっているように見せているだけです」
一瞬の沈黙。
そして、空気が重く沈んだ。
《……これ以上の侮辱、許さぬ》
低い声。怒り。だが、それだけではない。揺れがある。
《我が術を。我が理を。否定するか》
圧が増す。だが、先ほどとは違う。乱れている。
梓はそれを見逃さない。
「否定ではありません……」
静かに言う。
「……あなたがやろうとしていることは、分かります」
一歩、近づく。影が来る。だが、受ける。
「失ったものを、もう一度そこに置きたい」
さらに一歩。
「繋ぎ直したい」
影が止まる。完全ではない。だが、確実に弱まる。
《……》
声が出ない。代わりに、背後の影が不安定に揺らぐ。
梓は続ける。
「だから、繰り返している。精度を上げるために。何度も」
沈黙が落ちる。長く、重い沈黙だった。
男の形が、わずかに歪む。怒りではない。拒絶でもない。自分の行為を言語化された、その認識が刺さっていた。
《……それが》
ようやく声が出る。
《それが、何だというのだ!》
強がりだった。明らかに。
《それで届く! 届かせる!》
言い切る。だが、確信は揺れている。
梓は言った。
「……届きません」
はっきりと。逃げずに。
「今のままでは」
沈黙。
男の顔が歪む。怒り、否定、そして理解。そのすべてが混ざる。
《……分かっておる》
小さく、呟く。
初めて、本音が漏れた。
《分かっておるとも。これは完成などではない…完全ではない…繋いでおるのだ》
一歩、前に出る。影が揺れる。
《だが……ここで止めるわけにはいかぬ!》
強いのは、術ではない。意志だった。
《ここで終われば、我の全てが無駄になる》
それが本音だった。理ではなく、執着だった。
梓はそれを見る。そして、言う。
「終わりじゃありません」
静かに。
「ここは途中です」
一拍置く。
「続けるなら、次の理でやるべきです」
沈黙が落ちる。長く、苦しい沈黙だった。
道満の表情が揺れる。拒絶したい。認めたくない。だが、理解している。ここでは届かない。どれだけ繋いでも、どれだけ重ねても、“それ”には至らない。
《……我は》
声が震える。
《我は、ここで終わるために術を積んだのではない》
怒りではない。悔しさだった。
《……未完のまま……終わるなど》
言葉が詰まる。術者としての矜持が、それを許さない。
だが、限界も理解している。
《……》
長い沈黙のあと、ゆっくりと目を閉じる。
《……ならば》
絞り出すように言う。
《……次だ》
認めた。敗北ではない。延期として。
《来世で再び繋いで見せようとぞ》
目を開ける。その中には、まだ火が残っていた。
梓は静かに頷く。
「はい」
手を上げる。祓詞の構えを取る。
「あるべき形に戻します」
空気が整う。
《……頼む》
影が静まる。完全に。防備を解く。
その瞬間だった。
空気が裂けた。
「――祓詞、滅祓!」
低い声が横から走る。
一瞬で距離を詰めた影。祓詞を纏った刃が、道満を貫く。完全に。
《――おのれ、謀ったかっ!!……》
声が途切れる。理解する暇もないまま、存在が崩れる。術が断ち切られる。繋がりが、強制的に切断される。
道満の姿は、霧散した。
途中で。
無理やり、終わらされた。
静寂が落ちる。
残るのは、崩れた空間と、そこに立つ水谷だけだった。
梓は振り返る。
その目に、はっきりとした怒りを宿して。




