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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)――都市怪異を修正する祓屋の記録  作者: みえない糸
第3章 修正できなかった世界
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第31話 戻れない日常 その1 祓屋の暮らし

 原澤伸の家は、住宅街の外れにある。


 古い一軒家。

 特別な外観はない。

 むしろ、拍子抜けするほど普通だった。


 だが玄関を開けた瞬間、梓は悟った。


 ――汚い。


 前回は緊張もあり、そこまで気にならなかったが改めて見ると愕然とする。


 靴が散乱し、新聞が床に広がり、傘が何本も倒れたまま放置されている。

 生活感というより、放置感だ。


「……すみません」


 原澤は少し困った顔をした。


「片付けが苦手でして」


 その言い方があまりにも穏やかなので、梓は怒る気にもなれなかった。


「いえ……大丈夫です」


 嘘だった。


 大丈夫ではない。


 居間に入るとさらに惨状が広がる。

 本、資料、封筒、空のカップ、よく分からない機器、乾きかけの洗濯物。

 机の上には札や黒い棒状の端末が無造作に置かれている。


 生活空間と作業場が混ざっている。


「好きに使ってください」


 原澤は本当に気にしていない様子で言った。


「部屋は二階に空いています」


 それだけ言うと、台所に向かう。


 冷蔵庫を開ける音。

 しばらく沈黙。


「……何もありませんね」


 申し訳なさそうに言う。


 梓は思わず言った。


「私がやります」


 振り返る。


「料理、掃除、洗濯。全部」


 原澤は少し目を丸くした。


「助かります」


 本当に助かった顔だった。


 その日から、梓はこの家で暮らすことになった。



 朝は早い。


 だが原澤は起きない。


 梓が起きて掃除を始めても、二階から物音はしない。

 ようやく起きてくるのは昼近く。


「おはようございます」


 完全に朝ではない時間に挨拶する。


 梓は苦笑しながら食事を出す。


 それでも不思議と不満はなかった。

 自分が役に立っている感覚があるからだ。


 食後、原澤は机に向かう。


「では、今日の話をしましょう」


 授業のように穏やかな口調。


「残響とは何か、ですね」


 梓は背筋を伸ばした。


 原澤は資料を一枚取り出す。


「一般的には、幽霊と呼ばれる存在です」


 しかしすぐに首を振る。


「ですが本質は違います」


 紙に円を描く。


「人の強い感情、記憶、執着、信仰」


 さらに線を重ねる。


「それが世界に残留したもの」


 円は歪んだ塊になる。


「人格を持つ場合もあれば、持たない場合もあります」


 梓は静かに聞いていた。


「怨霊のように人を害するものもいれば、ただ存在するだけのものもある」


 一拍。


「問題は、力を持ったときです」


 視線が鋭くなる。


「生前の能力、地位、信念、あるいは恐怖」


 紙を指で叩く。


「強いほど、現象は大きくなる」


 梓の脳裏に神社の光景がよぎる。


 原澤は続けた。


「過去の偉人が残響化した場合、非常に危険です」


「なぜですか」


「信じられているからです」


 即答だった。


「信仰や伝承は、世界に強く刻まれる」


 つまり、人々が恐れたり敬ったりするほど強くなる。


「昔の人々は、これを妖怪と呼びました」


 資料をめくる。


「病をもたらすもの、火を起こすもの、人を惑わすもの」


 静かな声。


「説明できない現象を人格化した」


 梓は呟いた。


「……残響を理解するための言葉」


「ええ」


 優しく肯定する。


「妖怪は存在ではなく、分類です」


 原澤は次の紙を出す。


「残響にも性質があります」


 箇条書きのように指を折る。


「取り憑く者。寄生する者。人格を乗っ取る者」


 さらに続ける。


「操る者。同化する者。感染する者」


 梓の背筋が冷える。


 感染。


 それは人間社会そのものを壊す。


「対処方法も変わります」


 ここで初めて、机の上のクナイを手に取った。


「修正と滅殺」


 言葉が重い。


「修正は、元に戻す」


 刃を下ろす。


「滅殺は、存在を終わらせる」


 梓は息を詰めた。


「原澤さんは……」


「修正が専門です」


 穏やかに答える。


「可能なら、消さない」


 視線が柔らかくなる。


「人だったものですから」


 だが続ける。


「ただし、修正不能な場合もあります」


 そのときだけ、声がわずかに低くなった。


「そういう存在は――狩るしかない」


 梓は言葉を失う。


 優しい人が言う言葉ではない。


 だが、現実だ。


「覚えておいてください」


 原澤は静かに言った。


「祓屋は正義の味方ではありません」


 一拍。


「被害を止めるだけです」


 部屋に沈黙が落ちる。


 窓の外では、子どもたちの声が聞こえる。

 普通の日常。


 だがここには、別の世界の理屈がある。


 原澤は少しだけ笑った。


「難しい話ばかりですね」


 机の上を見回す。


「掃除も教わらないといけません」


 梓は思わず笑った。


「それは私が教えます」


 原澤は本当に嬉しそうに頷いた。


 奇妙な同居生活。

 奇妙な師弟関係。


 だがこの家で、梓は確実に変わっていく。


 普通の生活の中で、普通ではない知識を覚えながら。


 戻れないことを、少しずつ受け入れながら。

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