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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)――都市怪異を修正する祓屋の記録  作者: みえない糸
第3章 修正できなかった世界
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第30話 知らなければ、救われた その4 祓屋の倫理

 古い一軒家だった。


 外観は普通だが、近づくと生活の匂いがしない。

 洗濯物は干されていない。

 郵便受けにはチラシが詰まりかけている。


 原澤は鍵を探して、ポケットを三つも四つも探った。


「あれ……おかしいですね……」


 背中越しに申し訳なさそうな声。


「すみません、どこに入れたか……」


 ようやく鞄の底から出てくる。


「ありました。昨日は確かズボンに……」


 言い訳がましく呟きながら扉を開けた。


 中に入った瞬間、梓は言葉を失った。


 散らかっている、というより

 片付けるという概念が存在しない空間だった。


 床には書類と本が積み上がり、

 椅子には服が山のように掛かっている。

 キッチンには洗っていない食器。

 冷蔵庫の上にはコンビニの袋。


「……すみません、少し狭いですが」


 本人は本気で恐縮しているらしい。


 悪気がない。

 誤魔化しもしない。


 梓は呆然と立ち尽くした。


 あの幽霊列車から自分を救った人物の住処が、これだとは思わなかった。


「どこか……座れる場所を……」


 原澤は周囲を見回し、

 椅子の上の服を全部床に落とした。


「どうぞ」


 梓はゆっくり腰を下ろす。


 恐怖よりも、困惑の方が強い。


「……ありがとうございます。」


 原澤は湯を沸かそうとして、やかんが空であることに気づき、蛇口をひねった。

 水が出る音だけが部屋に響く。


「さて」


 振り返る。


「何からお話ししましょうか」


 その口調は落ち着いている。

 説教でも、説得でもない。


 事務的ですらある。


 梓は躊躇いながら言った。


「……あれは何なんですか」


 原澤は頷いた。


「残響です」


 短い答え。


 それ以上の装飾はない。


「人の強い思念が、世界に固定されたものです」


 湯を火にかける。

 説明は続く。


「死者に限りません。生者の思念でも成立します」


 梓は息を呑んだ。


「……人の、気持ちが?」


「気持ちというより、状態です」


 言葉を選ぶ。


「強すぎて解消されなかったもの」


 視線を向ける。


「怒り、恐怖、執着、願望……種類は問いません」


 湯が静かに沸き始める。


「重要なのは、終わらなかったことです」


 梓の胸に、重いものが落ちる。


「終わらないと……ああなるんですか」


「はい」


 否定しない。


「世界は整合性を保とうとします」


 原澤は机の端に手を置いた。


「矛盾があると、解消しようとする」


 一拍。


「残響は、その過程で発生する副産物です」


 梓は理解できないまま聞いている。


「副産物……?」


「本来は存在しないはずの状態です」


 やかんの火を止める。


「ですが、消せない」


 その言葉に、強い確信があった。


「だから修正する」


 梓は思わず顔を上げた。


「修正……」


「完全に消すと、別の形で歪みが出ます」


 静かな説明。


「痕跡も因果も残る」


 湯のみを探し、見つからず、コップを出す。


「ですから、成立しなかった状態へ戻す」


 コップに湯を注ぐ。


「何も起きなかった形に近づける」


 梓は震える声で言った。


「……助けるわけじゃないんですか」


 原澤は、少しだけ困ったように微笑んだ。


「結果として助かることはあります」


 そして、はっきり言う。


「ですが、それが目的ではありません」


 空気が冷える。


「祓屋は、人を救う仕事ではない」


 穏やかな声なのに、刃のように鋭い。


「世界を壊さないための仕事です」


 梓は言葉を失う。


 英雄ではない。

 正義でもない。


 ただの修復作業。


「放置すると、残響は増殖します」


 机の紙束を指で叩く。


「干渉し、結合し、現実を書き換える」


 淡々と続ける。


「都市単位で消失した事例もあります」


 梓の背筋が凍る。


「……そんな」


「珍しくありません」


 さらりと言う。


 日常の話のように。


「ですから」


 視線がまっすぐ向けられる。


「個人の感情で動くと危険です」


 梓は胸を押さえた。


「助けたいと思っても?」


「思うのは自由です」


 即答。


「ただし、判断は別です」


 言葉を区切る。


「祓屋に必要なのは、正しさではなく整合性です」


 理解しがたい概念。


「……整合性」


「世界が破綻しない状態を維持する」


 それだけだと、目が言っている。


 梓は俯いた。


 自分が想像していたものと違う。


 もっと、人のための仕事だと思っていた。


 原澤はコップを差し出す。


「熱いので気をつけてください」


 受け取る。


 手が震える。


「……どうして、そんなことをしているんですか」


 原澤は少し考えた。


「誰かがやらないと困るからです」


 拍子抜けするほど単純だった。


「好きでやっているわけではありません」


 苦笑する。


「向いてしまっただけです」


 その言葉には、重さがあった。


 選んだのではない。

 選ばれたわけでもない。

 ただ、できてしまった。


 だから続けている。


「……私にもできますか」


 思わず出た言葉。


 原澤はすぐには答えなかった。


 しばらく梓を見つめて、静かに言う。


「できます」


 梓の心臓が止まりそうになる。


「ただし」


 続く言葉は優しくない。


「何かを諦める必要があります」


 具体的には言わない。


 だが意味は伝わる。


 梓はコップを握りしめた。


 逃げることは、もうできない。


 原澤は小さく息を吐いた。


「まずは基本からお教えします」


 床に積まれた箱を開ける。


 中から黒い棒状の器具が現れる。


「祓屋は素手では何もできません」


 梓の視線が吸い寄せられる。


 未知の道具。


 未知の世界。


 戻れない扉。


 原澤は穏やかに言った。


「ここから先は、技術の話になります」


 それは、勧誘ではなかった。

 警告でもなかった。


 ただの事実だった。

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