表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)――都市怪異を修正する祓屋の記録  作者: みえない糸
第3章 修正できなかった世界
169/210

第30話 知らなければ、救われた その2 幽霊列車

最初にそれを見たのは、深夜の掲示板だった。


動画は削除済み。

投稿者も退会。

残っているのは、断片的な書き起こしと、引用されたコメントだけ。


《終電のあとに来る列車がある》

《車内に人がいない》

《乗ったやつが降りてこない》

《停車駅が増える》


都市伝説にしては、妙に具体的だった。

路線名。駅名。発生時刻。曜日。天候。

そして、共通している条件が一つ。


「終電の二本後」


運行されていないはずの時間。

公式ダイヤには存在しない。

だが、複数の投稿が同じ時間帯を指している。


梓は、鉄道会社の公開ダイヤを並べ、時刻表を照合した。

Excelを開き、時系列を並べ替え、欠損を抽出する。

仕事でやっていた手順と同じ。

違うのは、扱っているのが“人の消失”だということだけ。


(……ここだ)


午前二時三分。

複数の投稿が、この時刻を中心に集まっている。


二時三分。


その数字に、理由のない嫌悪が走った。

何かと結びつきそうで、結びつかない。

思い出したくない記憶の縁だけを触られたような感覚。


梓はノートを閉じた。



駅は、夜になると別の場所になる。


昼間はただの通過点。

だが深夜、終電後の構内は、巨大な機械の内部のように感じられる。

光はある。電力も生きている。

だが、人間がいないだけで、空間はこんなにも空虚になる。


改札は閉鎖。

シャッターの隙間から侵入した。

防犯カメラはあるが、動いているかは分からない。

警備員の巡回もあるはずだが、今は気配がない。


ホームに出た瞬間、温度が変わった。


風がない。

地下特有の空気の流れも感じない。

ただ、音だけが遠くまで伸びていく。


靴底が床を叩く音が、必要以上に響いた。

コツン、コツン、コツン。

止まると、余韻だけが残る。

自分の存在が、ここでは異物だと知らされる。


(……帰る?)


一瞬だけ、そう思った。

だが、帰れば一生、同じ場所で立ち止まる。

何も知らずに生きることは、もうできない。


梓はホームの端に立った。

線路の向こうは暗い。

トンネルの奥は、光を拒絶する黒だった。


時計を見る。


二時一分。


心臓が速くなる。

待つだけで、こんなに怖いとは思わなかった。

襲われるより、起きるかどうか分からない現象を待つ方が、ずっと消耗する。


二時二分。


耳鳴りが始まった。

キーンという高い音ではない。

もっと低い、骨の中で鳴るような振動。


二時三分。


その瞬間、世界が一段階だけ静かになった。


完全な無音ではない。

だが、普段の都市のノイズが一斉に引いた。

遠くの車の音も、換気設備の低音も、どこかに押し込まれた。


――代わりに、何かが近づいてくる。


音ではない。

存在感。


トンネルの奥が、わずかに明るくなった。

ヘッドライト。

しかし、通常の列車の光と違う。

照らすというより、闇を押し退けている。


金属の擦れる音。

レールが震える。

列車が来る。


梓は息を止めた。


現れた車両は、古かった。

現在の型式ではない。

塗装は剥げ、窓は曇り、表示板は消灯している。

だが確実に動いている。


列車は、減速した。

停車する。


ドアが開いた。


音が、しない。


通常なら空気が動き、圧が抜ける。

だが、この列車は何も変えない。

ただ、口を開けるように、暗い内部を晒した。


誰も乗っていない。


座席はある。

つり革もある。

広告も貼られている。

だが、人の気配が完全にない。


(……乗るな)


本能が叫ぶ。

体が一歩後退しようとする。


(でも)


ここまで来て、引き返したら何も分からない。

原澤の言葉。

「次は助けられない」


つまり、これは“次”だ。


梓は、足を踏み出した。


床は冷たい。

通常の車両のような振動もない。

停車しているのに、止まっている感じがしない。

どこかに滑っている。


ドアが閉まった。


その瞬間、背中の汗が一気に冷えた。


発車の加速も、揺れもない。

景色が動き出す。

ホームの柱が流れ、闇に飲まれる。


車内の灯りが、一瞬だけ強くなった。

蛍光灯が点滅する。


そして。


窓の外に、駅名表示が見えた。


――存在しない駅だった。


梓は立ち上がった。

喉が詰まる。

声が出ない。


駅の構造は普通だ。

ホーム、柱、看板。

だがすべてが古い。

時代が違う。

時間がずれている。


列車は止まらない。

通過する。


次の瞬間。


ガラスに、何かが映った。


自分ではない。


誰かが座っている。


梓は振り返った。

誰もいない。


再び窓を見る。


そこには、確かに人影がある。

座席の端。

背中を丸め、俯いている。


顔は見えない。

髪が長い。

女のように見える。

だが、動かない。


呼吸も、揺れもない。

存在しているだけ。


梓の心臓が、跳ね上がった。


(見つかる)


理由はない。

だが確信があった。

視線を合わせたら終わる。


ゆっくりと、目を逸らそうとする。

体が言うことを聞かない。

恐怖で固まるのではない。

別の力で、拘束されている。


そのとき。


影が、顔を上げた。


目が合った。


――空だった。


眼窩だけがあり、奥に何もない。

闇ですらない。

ただの欠落。


梓は叫ぼうとした。

声が出ない。

肺が動かない。


影が、立ち上がる。

床に足音がしない。

近づいてくる。


逃げなければ。

逃げなければ。

逃げなければ。


体が、動かない。


影が、手を伸ばした。


指は細く、長く、関節が不自然に多い。

人間の骨格ではない。


触れられる。


その瞬間。


列車が、急停止した。


衝撃はない。

だが、世界が引き戻された感覚。


ドアが開いた。


外は、さっきの駅のホーム。

同じ場所。

同じ柱。

同じ時計。


影は、いない。


梓は、転がるように外へ飛び出した。

膝を打ち、床に倒れる。

冷たい。

固い。

現実の感触。


振り返る。


列車は、もうない。


トンネルの奥は、ただの闇だった。


梓は、しばらく動けなかった。

呼吸が乱れ、視界が滲む。

涙ではない。

脳が過負荷を起こしている。


(……今のは)


答えは出ない。

だが、確実に分かることが一つある。


これは、偶然ではない。


そして。


自分は、もう戻れない。


ホームの時計は、二時五分を指していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ